第32話 ミサラとザラク
「……はい、承知いたしました。こちらのことはご心配なく。アーリナ様も──」
プシュン。
魔伝機の会話が途切れた。
ミサラは翳していた右手を下ろし、「ふぅ~」と一つ、溜息をついた。
「最近、とんと調子が悪いですわね……。新しい魔伝器に新調したほうが良いかも知れません。ダルヴァンテ様が戻られたら、要相談ですね」
彼女はポンと、軽く魔伝機の表面を叩いた。
実は衝撃で治ったりするのかしら?──とミサラは首を傾げる。
その魔伝機だが、魔石鍛工学の粋を集めた魔器の一種であり、この世界の重要な連絡手段の一つである。
内部構造についてはどれも同じだが、外観は様々なデザインがあり、インテリアとしても親しまれている。
もちろん、携帯可能な小型化されたものまで多種多様な品揃えだ。
使い方はいたって簡単。
手に取る受話器などはなく、筐体そのものに手を翳して話すことで、内部に仕込まれた魔石が声の振動を吸収、光へと変換し、相手方の魔伝機へと飛ばす仕組みとなっている。
魔石を原動力としているため、滅多に壊れる物ではないが、このところ話が途切れることが多くなってきた。
「まぁ、今日のところはいいでしょう。話は概ね済んでおりましたし──」
ミサラは壁に掛けてあったエプロンを手に取り、調理場へと向かう。
その様子を二階からこっそりと覗き見ていた、ザラクとモーランドの二人組。
急いで階段を降りると、彼女へと駆け寄った。
「ミサラよ、領主様は何と?」
モーランドは子牛の姿のまま、腕を組んで仁王立ち、ミサラを見上げる。
だが、ミサラの視線は彼ではなく、その奥のザラクに向けられていた。
テーブルに置いてあるフルーツに、そろ~り手を伸ばす、彼の姿に──。
「ザラク! 私の目の前で盗み食いとは、いい度胸をしているな」
圧倒的重圧──とても女性とは思えないほど低い威圧的な声に、ザラクは腕をピタリと静止させた。
彼の頬には大粒の嫌な汗が一筋、ゆっくりと流れ落ちた。
「あ、あ~そ、そのなんだぁ……」
恐る恐る、ミサラの方を振り向くザラク。
彼女の体からは、怒りのオーラのような、得体の知れない悍ましいものが沸き立っていた。
「ったく、なんだもすんだもない。ここはアーリナ様のお屋敷だ、身勝手な振舞いは慎んでもらおうか。お前は大人しく、そこに座っていろ──して、モーランド。ダルヴァンテ様は本日、ドーランマクナ領領主ルゼルア様の邸宅にお泊りになられるという話だ。時間も時間だ、今からご帰還では夜通しになってしまうからな」
ザラクはミサラの吊り上がった目に戦々恐々としていたが、モーランドは目を丸くし、口元を朗らかにした。
「モハッ、そうであったか。では今日のところは、この窮屈な体型のまま過ごす必要はないってことだな!」
笑顔の彼が腰に手をあて、大きく息を吸いこむと、体はみるみるうちに巨大化し、元のミノタウロスの姿へと戻った。
「ふぅ~やはり、自然体が一番である」
一息ついた彼は、テーブルへと近づき、ザラクの隣の椅子を引いた。
何の気なしに座ろうとしたモーランドだったが、
「待て! モーランド! 貴様、その図体のまま、人様の椅子に座れるとでも思っているのか?」
ミサラの制止に、彼は一瞬動きを止め、首を傾げて椅子を見つめた。
「う~む……確かにそのようだな。ミサラよ、破壊する前に問うてくれて助かったぞ。危うく、アーリナ様に面目が立たぬところであったわ……」
彼女はやれやれと首を振り、モーランドは腰の袋をまさぐると、取り出した古紙に目を落とす。
ザラクはその様子に、「まさか!」と目を輝かせた。
「おい、モーランド。ひょっとして、魔法で椅子をデカくするつもりか?!」
モーランドはザラクの問いに鼻息をフンッと鳴らし、何かを思い出したかのように、屋敷の裏口へと向かっていった。
その突然の行動に、ミサラは慌てて怒声を上げる。
「モーランド! 何を考えている! そのまま外に出るなど、私が許さないぞ!」
ここはクルーセル家の屋敷であり、人目の多い町の中。
魔物が出入りするところを誰かに目撃でもされたりしたら、それこそ一巻の終わりだ。
カッ!
彼女は床を蹴りだし、飛ぶようにモーランドを止めにかかった。
──が、彼は扉を開けると同時に体を縮ませて走り出すと、そのまま裏手の小屋へと入っていった。
掴みかかった両手を盛大に空ぶったミサラは、危うく地面に滑り込みそうになりながらも、寸でのところで踏みとどまった。
対するモーランドは、
「大丈夫だ。ミサラの心配はわかっておる。人目につかぬよう出入りするから安心しろ」
と、声をかけた。
彼は小屋の扉を閉め、ミサラは裏口の扉を閉じて鍵をかけた。
彼女は不機嫌な顔のまま、再び調理場へと歩み、ふとザラクに目をやる。
彼はミサラの視線に気づくと、丸まっていた背筋をピンと伸ばして座り直した。
「──ザラク」
ミサラが名前を呼ぶと、彼の肩はビクッと揺れた。
ここのところ、彼女の声に過敏に反応することが多くなったザラクだが、元々、女性というものに対しての耐性がまるでなかった。
彼の出自はここフィットリアであり、幼い頃は両親とともに過ごしていたが、あるとき、母は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
そこからは、父との二人三脚──途中、領地を追われ、保護名目の捕虜にもなった。
シュトラウス領での監視下の生活は、日々息苦しさもあったが、男二人、支え合って何とか生き抜いてきた。
与えられた生活費も少なく、食べていくにも心もとなかった彼は、生きるために狩りや採集をし、料理が下手な父のために毎日の調理もこなした。
『美味しい』と口いっぱいに頬張る父の顔を見て、幼心ながらに、『人を幸せに出来るのは、これだ!』と、ザラクは思った。
──俺は必ず、世界一の料理人になる。
料理以外に見向きもしなくなった彼は、自己流を磨き、それでは一流にはなれないと知れば、様々な店での弟子入りを重ねた。
よいと思うものを取り入れ、ダメだと思えばすぐに見限り次に移動──それの繰り返しだ。
数年に及ぶ修行のうえに勝ち取った、一級料理人認定試験。
史上最年少で合格するという栄誉まで獲得した彼だったが、多感な時期を料理に捧げて過ごしてきた。
その反動からか、あまり対面で話すことに慣れていない──特に、女性とは……。
ミサラにも言われたが、人の目を見られないのも、幼年期を過ごしてきた環境も去ることながら、『一日も早く、一流に』と、
料理人の修行では女性も多かったが、ザラクは口を利くこともなかった。
彼が唯一話をしていたのは、その間もずっと、教えてくれる料理人の男……ただ一人とだけ。
真に必要なのは、食材や使用器具の目利きのみ──他人の顔など、心底どうでもよかった。
そんな無関心が功を奏したのかどうかは分からないが、最難関とされる試験を突破し、シュトラウス領での職探しを始めたザラク。
しかし、すぐにそれどころではなくなってしまった。
──全く、人生とは思い通りにはいかないものだ。
ついに、王国評議会での審議結果が出たのだ。
王国主催の魔技大会──その優勝者にフィットリアの統治権を委ねる。
まさかの事態に彼は職探しを中断、包丁を戦闘用のナイフに持ち替え、故郷を守るために修行を始めた。
当然、孤独だった。
女性どころか、父親とも離れ、誰とも口を利いていない。
彼が口を開くのは独り言か、ナイフを振る際の吐息を漏らす時だけだった。
そんな時、アーリナとミサラを森の中で目撃した。
ザラクはすぐに気づいた。
ミサラの顔には覚えがあったし、連れの小さな女の子は、魔力なしの落ちこぼれと聞いていた領主の娘、アーリナであるということに。
彼女達の修行の様子に、『やっぱり凄いな』と感嘆しながらも、彼は眉を
料理だって一流に教えてもらったほうが覚えが早いし、勿論、戦いだって一流の騎士に稽古をつけてもらったほうがいいに決まっている。
それでも、声をかけるまでには時間がかかった。
理由は単純。
どうやって声をかければいいのか、何を話せばいいのか──他者と交わることに慣れていない上に、女性とはこれまで数えるほどしか話をしていない。
あの時は覚悟を決めて、命を削る程、勇気を振り絞って声をかけた。
そこから、どうにかこうにか悟られまいと乗り切っては来たが、こうも女性から怒られてばかりだと、どうしても委縮してしまう──ザラクは頭を悩ませた。
アーリナはまだ子供故に、そこまで扱いには困らない。
しかし、大人の女性であるミサラの場合、どうしても意識はしてしまう。
何をすれば喜ばれるか、機嫌を損ねるとどうなるのか──女心の全く分からない彼にとって、クルーセル家での生活は、心底不安でしかなかった。
「何をビビってやがる。そういえば、料理人なんだろ? それも一級の。私も今日は少しだけ、羽を伸ばしたい。モーランドの分はお前がやってくれるか? 師匠の分くらい、弟子のお前が用意するのが筋ってもんだろ?」
ミサラの口元がようやく緩んだ。
彼女は元々、王国騎士団でも小隊の指揮を任される士官、それに騎士養成所の教官でもあった。
規律の中で生きてきたミサラ。
彼女にとっては、男勝りな裏の顔もまた、本当の自分と言えるものだ。
強い口調も悪気があってのものでもなく、厳しい指導の延長線──のはずだったが、ここ最近、本心から「斬り捨てるぞ」と言い放つことも度々あり、彼女は都度、心の中で反省をしている。
現在は使用人として働いている彼女。
親愛なる主君であるアーリナに、どこの馬の骨とも分からない男や意味不明な神、さらには図々しい牛が絡んでくるとなると、どうしても抑えきれない衝動に見舞われるのだった。
──騎士団時代の口癖が、強烈に表立ってしまう。
アーリナには見られたくはなかった一面で、彼らと出会うまではずっと奥底に抑え込んできた。
度々、漏れ出ることはあったが、何とか誤魔化してきたつもりだった。
だが最近は、ミサラの中でもその心境は変化していた。
主であるアーリナに対してのみ、礼節を重んじれば、それ以外は──。
また「斬る」と頭をよぎり、ブルブルと顔を振る彼女。
調理場に立つと、隣に並ぶザラクに笑みを浮かべて話しかける。
「さて、作るとしようか。どっちが相手を喜ばせられるか、勝負だ」
「ミサラ、お前バカなのか? 一級料理人である俺に、元騎士様が勝てるとでも思ってんのかよ? 包丁と剣は違うんだぜ?」
彼の返しに「何を!」と、ドンと肩をぶつけるミサラに、頬を赤らめるザラク。
彼もまた、ほんの少しだけ緊張が解れたように、ぎこちない笑みで応えた。
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