第7話 斧神ラドニアル
「──斧神ラドニアル。我らミノタウロスは〝斧〟を力の象徴とし、その神を崇める」
モーランドの口から告げられたのは、彼らの力の象徴と仕える神の名であった。
しかしそのことと、アーリナに何が関係しているのか──ミサラには皆目見当もつかなかった。
「何を言いだすかと思えば、貴様らの信仰とはな。世界には剣や槍、斧に杖、そして、弓を使う5人の神がいると言われている──魔物にまで信仰されるとは、神も大変なものだな」
「ほう、ならば話は早い。もう分かったであろう? そういうことだ。後のことはアーリナ様に──」
「いや、待て! 全く分からないんだが?」
彼女は両手を広げてアーリナの前へ立ち、迫るモーランドを睨みつけた。
彼は「やれやれ……」と首を傾げながら、「 貴様は知らぬのか? アーリナ様の持つ力のことを。ふう~」とため息交じりに問いかけた。
「アーリナ様の力? 貴様は何を企んでいる?」
「少しは落ち着いたらどうだ? 我が先に聞いておろう。アーリナ様の力を知っているのか否か?」
「立場を弁えろよ、タウロスロード。貴様は勝負に負けたのだ。私の問いにこそ答えろ」
彼は右頬にある古傷を掻きながらその場へ座り込み、「仕方あるまいな」としてゆっくりと話しはじめた。
「初めに言っておくが、貴様に負けたのではない。勘違いはするな。アーリナ様は神の力を宿す者なのだ。斧神ラドニアル様にその使い手として選ばれた。貴様はアーリナ様の側近なのであろう? そうであるなら、光輝く斧を見たことはないのか?」
モーランドの言葉に、ミサラは思わず息を呑んだ。
それと同様にアーリナもまた、ポカンと口をあんぐりとさせ彼の顔を見つめていた。
(え、え……えっ? モーランドさんの言ってる斧って、ラドニーのこと、だよね?)
ジャキンと鞘に擦れる音を鳴らして再び剣を抜いたミサラは、地面に座るモーランドの首筋に刃をピタリと当てた。
「貴様、それをどこで知った? まさか、以前からつけ狙っていたのか」
「モハハッ、つけ狙うとは牛聞きが悪いな。そうではない、ずっと探していたのだ。斧神の力を宿したアーリナ様に忠誠を誓い、仕えるためにな」
彼はアーリナの持つ斧のことに加え、ここに来た目的を話した。
アーリナは突然のことに頭が混乱していたが、彼らの話を聞きながら落ち着いて整理し、ようやく事態を理解した。
(──そっか、ラドニーって神様だったんだ。神の名前がついた武器ってだけじゃなかったんだね。まあ、光の球が斧になるんだし普通じゃないもんね。それにモーランドさんはえっと……配下? 手下? 手駒? あれっ、パシリだっけ? んまあ、そんな感じに私に仕えたいってことかな?)
彼女は黙考しながらモーランドに近づくと、首筋に光るミサラの剣をそっと除けて「私からも聞いていい?」と尋ねた。
アーリナの声に彼はサッと膝を立て姿勢を正すと、胸に手を当て頭を下げた。
「ハッ。アーリナ様、何なりと」
この態度にミサラは思わず「ちっ」と舌打ちを入れてしまった。あからさまに違うその態度に、イラッとしてしまったのだ。
(あれ? ミサラって……こんなんだったっけ? ひょっとして、魔物には厳しいのかな?)
ミサラの醸し出すいつもとは違う雰囲気に、アーリナは「えへへ」と苦笑いを浮かべながら彼の前にしゃがみ込んだ。
「ねえ、モーランドさん。教えて欲しいの。何で斧神様は私を選んだのかな? 何か目的でもあるの? それともたまたま?」
モーランドはブルブルと顔を振り、「たまたまなど滅相もございません」と否定した。
「そうでございますね……。ご理解いただくためには、我のここまでの経緯も含めてお話し致しましょう」
彼はそう告げると過去を振り返り、アーリナに語りはじめた。
元々温厚な種族であるミノタウロス族。
彼らは地下に広がるダンジョンの奥深くで静かに暮らしていた──とはいえ、宝を求めて侵入してきた人間と刃を交えることも決して少なくはなかった。
その度にミノタウロスは必死に応戦した。自らの生活圏を脅かすものを排除するのは当然の権利であり、特に宝物庫にある武器の数々は、彼らにとってもかけがえのないものであった。
そんなある日、事件は起きた。
モーランドは今から約10年程前、一人の男と対峙していた。男はこれまで踏み入ってきた他の人間たちとは違い、異様さを身に纏う孤高の存在だった。
彼は『雑魚に興味はない。戦うのは私とお前の二人のみ──差しで勝負しようじゃないか。それにしてもここは手狭だな、外にでないか?』と言い放ち、モーランドを誘った。
対するモーランドは明らかな罠だと感じていた。人間がたった一人で、このような深層まで辿り着けるわけがない。必ず、どこかに待ち伏せがあるはず──と彼はその目を鋭く光らせた。
だが、男はさらに『断ってもかまわないが、私の誘いに乗るか、それとも王国騎士団の連合部隊を相手取るか──お前に選ばせてやろう。今ここで決めろ』と付け加えた。
あまりにも脅迫まがいの言動だ。人間とは斯くも愚かな生き物なのだろうか。自分たちの世界では飽き足らず、全てを手にしようと欲望に塗れる──モーランドは一族を守るため、重い腰を上げて男と共に地上へと出た。
(この男は卑劣、何を企んでいるか分からぬ。打てるだけの手だては打っておいたが──)
彼はここに来るまでの間に、ミノタウロスの戦士たちに出入口までの道を先行させ、そのまま身を潜めるよう命じていた。ところが予想に反して、その男は正々堂々と戦いを挑んできた。
何一つ裏工作などなく、モーランドの予想は大きく裏切られた。
『こ、これが、人間の魔力だとでも言うのか……』
男の圧倒的魔力に、モーランドの顎は脱力した。両手に持つ斧を構えたまま、その場を一歩も動くことができなかった。大地を踏みしめるたびに雷鳴が轟き、迸る電撃が彼の足を貫き止めていたのだ。
そんな窮地のモーランドを救うべく、仲間たちが一斉になだれ込むも、雷の前には全てが無力だった。到底、太刀打ちなど出来ず、一瞬にして倒れ行く多くの仲間たち。
彼らの犠牲によって一瞬の隙を突き、何とか難を逃れたモーランド。
彼の心の中にあったのは、種の絶滅。
多くの仲間を失ったモーランドは、この諦念を拭い去るには信仰する神の力に縋るしかないと思い立ち、とある場所を目指した。
斧神ラドニアルの祭壇──彼は傷ついた体に鞭を打ち、神々を祭る神殿に辿り着きはしたが、斧神はすでに旅立った後だった。
神々は長年その地位にあると心が荒んでいく。そのため数千年に一度、地上へと降り立ち、心を浄化するという言い伝えがあると先代のタウロスロードからも聞いていた。
地上へと降り立った神が心を浄化するための条件──すなわち、再び天上へと戻るためには、下界でポイントを貯めることが必要だという。
(はぇ? ポイント? ポイントって何? 何か買えるの?)
モーランドの話の途中だが、アーリナはポイントに心ときめいていた。
ここでいうポイントとは世間で言う〝徳〟みたいなもので、神自らの力だけでは貯めることができない。何故なら、神は御姿を武器に変えて地上に降り立つことになるからだ。
無論、武器だけに一人ではどうすることも出来ず、誰かの手によって振るわれることでしかその力を行使することは叶わない。使い手が武器を振るう理由。それこそがポイントの増減を導く鍵となるのだ。
(ふ~ん……託した相手に大きく依存するってことね。なるほどなあ~)
ラドニアルは一度、転生を果たしたばかりの
「モーランドさ~ん、ちょ~っと酷くないかなあ? 下種? いきなり下種って何なのさ!」
猿のようにムキーッと歯噛みするアーリナに、彼は慌てて弁解した。
「あ~いえ、断じて我の思いなどではありませぬ。これはあくまでも、ラドニアル様のお言葉をそのまま使わせていただいております。神通力といえばおわかりいただけるでしょうか? 我の頭の中に、斧神様のお言葉が響いてくるのです」
「斧神様、言葉遣い悪っ!」
モーランドは不満を吐露する彼女を宥めて話を続けた。
斧神はその後も我が身を任せるに相応しき者を世界中くまなく探し続けたが、どこを探しても見つからなかった。そんな中、ラドニアルは『そうだ、あの転生者は今頃どうしているだろうか?』とアーリナの現在に思いを馳せた。
『う~む。いやいやほとんどありえないとは思うが、もしかしたらあの小娘、態度を改めているかもしれない。力の素質だけはあったからな。一応、様子だけ見に行ってやろうか。運が良ければ大当たり、博打と変わらぬが仕方あるまい。他に宛もないからな。しっかし、ここからだと相当遠いな……ふう、面倒くさ。やっぱやめとこうか。小娘め。まったく、お前から来いよ』
斧神の思いは一周して、彼女へと立ち返った。
早速アーリナの元へと舞い戻ったラドニアルは、そこからしばらく遠目に彼女の様子を観察していた。アーリナの生活や心を見ていく中で、『これは大きなポイントを得るに足る逸材に成長しておるのではないか?』と当初の印象からは一転、斧神はここで手打ちと決め、彼女の手に宿ることを決めたのだった。
(む~っ。終わりよければ全て良し──じゃねぇつうの! 何なんこの神、最初なんてほとんど投げやりじゃん。私のこと完全にバカにしてるよね?)
彼女はラドニアルのお言葉に体をプルプルと振るわせ、モーランドは後ろ頭をワシャワシャと掻きながら「モハハ……」と口元をひきつらせた。
「モーランドさん、確認なんだけど。この話って、斧神様の言葉に一言一句、間違いないんだよね?」
「……あ、はい。あくまで我如きが、斧神様の言葉を是正するわけにはいきませぬゆえ。一言一句そのままをアーリナ様にはお伝えいたしました」
「へえ~、じゃあ、斧神様って神通力だっけ? それで言葉を使えるんなら、もちろん話すことだってできるんだよね?」
「ハッ。それは当然にございます!」
アーリナの問詰めに彼はすんなりと斧神の罪を認め、言葉を話せることまであっけなく暴露してしまった。
彼女は「そっか、話せるんだあ」と唇の端をニタリと吊り上げ、いつもどおりに手のひらを広げて光の球を呼び出した。
「ねえ、ラドニー。話せるんだよねえ? 聞こえてるなら返事してよ」
「あ、ちょっ、アーリナ様。お言葉ですが、相手は斧神ラドニアル様でございます。この世界の五神の一角、もう少し敬意をば──」
モーランドが慌てて声をかけるも彼女には無意味。斧神を嘗め回すように睨み、「さあ、話せ~」と悪態をつきだしたアーリナだったが、幾度呼びかけようとも全く反応なく時だけが過ぎていった。
「モーランドさん、何も言わないじゃん。本当に喋れるの? これ。でもさあ、もし本当に斧に意思があるなら、私の独り言とか、着替えとかも普通に見てたんだよね? へえ~、神様ってやらしいんだあ~」
ピクッ──彼女の声にここにきて初めて動きがあった。「あれ? 何か動いた?」とアーリナが顔を近づけて確認していると、光の球が大きく揺れ動き、激しい怒りが場に轟いた。
「誰がやらしいだ、小娘! 予が、お前如きの裸などに興奮するとでも思っておるのか! それよりもだ、タウロスロードよ、余計な話までするんじゃない!」
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