第10話 かわいい牛になった件

  帰路についていたアーリナたち。

 すでに屋敷があるアルバスの町は、もう目前にまで迫っていた。


 アーリナの問いに、モーランドは頬の傷に指先をなぞらせながら、気まずそうに答える。


 「──実は、アーリナ様にお伝えしなければならないことがございます……。よろしいですか? 落ち着いてお聞きください。我は、貴方様の傍を離れられない身体になってしまったのです。忠誠とはまさしく、心技体の全てをその御方へと捧げること。故に、これからは毎日、ご一緒させていただくことになるかと……」


 「……はぇ?」


 「……」


 彼の言葉に呆気に取られた彼女たちであったが、その直後、悲鳴じみた声が場に響いた。


 「え、えぇーっ!?」


 「な、何だとぉー!?」


 モーランドが二人に告げた、あり得ない事実。

 アーリナの頭に浮かんだのは、一大事という三文字だけだった。


 (いやいや一大事どころか、超絶大問題じゃないの? でも、それがもし本当なら、私……私には一生、この牛がつきまとうっていうの?!)


 彼女はあまりの焦りから、モーランドに前のめりになって詰め寄る。


 「モ、モーランドさん! それって、どのくらい傍じゃなきゃダメなの? 私からどのくらいなら離れられる? それとえと、え~と……あとさ、期間は一生ってことは……流石にないよね?」


 「──そうでございますね……。神に仕えるなれば、その祈りを捧げることで庇護下にある範囲内に限り離れることは可能でした……。ですが、今回はその神に直接ではなく、力を宿した者に仕えるということでして、我も初めてのことにございます。ハッキリとは申し上げられませんが、これから少しずつ試させていただこうかと。ただ、先代からはこうも伝え聞いております──」 


 彼が言うには、タウロスロードが神の力を宿した者に忠誠を誓った場合、主が力を失うまでの間、その下から離れられなくなるようだ。


 不明点も多く、確かかどうかは分からないが、先代のタウロスロードから続く伝承とのこと。


 つまり、この言い伝えどおりであれば、アーリナは自分の命が尽きるか、はたまたラドニアルが天界へと舞い戻る日まで、目の前の屈強な牛にまで憑りつかれることになってしまった……ということである。


 モーランドの話に、彼女は口をパクパクさせ、頬をひくつかせて困惑した。


 その隣では、ミサラも頭を抱えながら深い溜息をついた。


 「アーリナよ、まだ帰らぬのか? 予も力を使いすぎた。もう疲れたぞ」


 頭を悩ますアーリナに向かって、ラドニアルが早めの帰路を促す。


 「ラドニーは黙ってて! 今取り込み中なの。疲れてるなら、勝手に寝てていいから」


 今の彼女に、ラドニアルを構っている余裕はなかった。


 アーリナの生涯問題はさておき、このまま屋敷へモーランドを連れて帰るなんて──。


 (いやいやいや、そ、それは無理でしょ?! こんな馬鹿でかい牛の魔物……。ってまぁ、見方を変えればそうねぇ、逞しい殿方ではあるけど……。かと言って、いくら男好きのレインでも、これにはさすがにビビるよね?)


 領主ダルヴァンテの執事、レイン・ルックウッド。


 相手を魅了する、朝露のように潤んだ深緑の瞳。


 濃紺の髪を肩で揺らし、その毛先は踊るように外へと跳ねる。


 エルフの血が入っているのだろうか?

 純血か混血かは分からないが、特徴的なピンと伸びた耳はエルフそのものだ。


 見た目は若々しく、肌はツルツルとして色気を放ち、昔風に例えるならエロカワってやつだ。


 ただ、正直苦手──アーリナにとって、彼女がかける言葉全てが氷のように冷たく感じた。


 『アーリナ様、屋敷の外にお一人で出るのは控えてくださいと、何度も言いましたよね? 高貴なこのクルーセル家の品位を落としたいのですか?』


 『え、えっとぉ、レイン。その、お庭でお花を……』


 『言い訳など結構です。さぁ、行きますよ。早くお部屋に──』


 (一人でお庭に出てると、レインに部屋に戻されるなんて、日常茶飯事だったな)


 『あら、レイン。その手を放してもらえますか? アーリナ様のお世話は私が担当なのです。貴方に口出しされる覚えはありませんわ』


 『まったく、無礼な女ね。ミサラ、私はダルヴァンテ様の執事、いわゆる側近なの。一方、貴方は何かしら? あらやだぁ、単なる使用人? ゴミ箱担当がお似合いじゃない』


 『ええ、そうね。じゃあ、目の前にあるも始末したほうがよさそうね』


 (でも、ミサラが来てからは、レインに噛みつかれても守ってくれたっけ)


 と、そんなことはどうでもいい──今はモーランドのことだ。


 彼女は現状に頭を悩ませすぎて、余計なことまで考えてしまっていた。


 モーランドは、目の前の二人に恐る恐る問いかける。


 「あ、主にミサラ。ひょっとしてですが、我の姿のことでお困りなのではありませんか?」


 その言葉に彼女たちは素直にコクリと頷き、モーランドは高笑いを上げて誇らしげに答えた。


 「モハハハハ! アーリナ様、我とて今のままで人間と一緒に居れるなどとは思っておりませぬ。よろしいですか? 見ていてください。ミサラよ、お前も腰を抜かすぞ? では──モハーッ……モハーッ……」


 彼はゆっくりと呼吸を整え始めた。


 そこから一気に、身体中の空気を絞り出すようにして大きく息を吐き出した。


 「はぇ? え? すごっ!やばーい!」


 「──こ、これは一体どうなってるんだ! 」


 目の前で起きた光景に、アーリナとミサラは驚き叫んだ。


 みるみるうちにモーランドの体は小さくなり、アーリナと同じ目線に彼の視線が重なったからだ。


 「モハッ。どうです? これならばいかがしょう? 人間の家にも十分馴染むと思いますが?」


 その顔は自信に満ちていた。

 モーランドの言葉通り、背丈はアーリナと同じくらいの大きさまで縮んだ。


 (私の身長が140センチくらいだし……同じくらいかな? でも、正直、まだ無理があるよね?)


 手足は短くなり、顔も少し可愛らしい牛になった──とはいえ、顔に残る戦士のような傷跡はそのままで、二足歩行と体格の良さも変わらない。


 (あ……でも、四足歩行になってもらえれば、ペットとしていけるかも?)


 アーリナは彼にさっそく、四足歩行を指示してみた。


 しかし、あまりのぎこちなさに、ミサラの審判が光の速さで下された。


 「──アーリナ様、却下です。お言葉ですが、そんな不自然な牛がいるとお思いですか? それに、勝手に動物を連れて帰ったとしても、ご家族から追い出されるのは目に見えていますよ?」


 「おい、ミサラよ。我を動物扱いするでない! 我はタウロスロードだぞ」


 「ええい! 貴様は黙っていろ!」


 確かに、ミサラの言うことはごもっともだ──と、彼女は思った。


 アーリナが神の力を宿しているとはいえ、あの屋敷では底辺の存在だ。


 こんな異様な牛を連れ込んだりでもしたら、追い出されるどころか、今夜のディナーにされかねない。


 「じゃあ、ミサラはどうすればいいと思う?」


 「えっ? そ、それは……。そうですねぇ……」


 彼女の質問に、ミサラは何も答えることが出来なかった。


 そこへモーランドが割って入り、


 「この大きさでは、まだ足りませんか?」


 と、目を丸くして尋ねた。


 「え? まだいけるの?」


 「アーリナ様、それはさすがに……」


 「ミサラよ、我を見くびってもらっては困る。為せば成る──任せよ」


 彼は自信満々に、再び息を吐き始めた。

 息を吐くたびに体が小さくなり、もはやマイクロ豚を凌駕するほどのサイズ感となった。


 「凄い!可愛いわ。ねぇ、ミサラ」


 「え、ええ、アーリナ様。可愛いかどうかは置いておきましても、これなら鞄に隠して持ち帰れますね!」


 アーリナとミサラは互いの両手を合わせ、顔を寄せて喜んだ。


 「……な……よ……た……」


 そのとき、かすかな声が彼女たちの耳へと届いた。


 二人は足元のモーランドへと視線を落とす。


 「モーランドさん、今、何か言った?」


 「……だ……ミサ……アーリ……そ」


 彼は口を動かしてはいるようだが、その声はほとんど聞き取ることが出来ない。


 「ああ~そうねぇ、身体が小さくなると声も小さくなるみたいね……」


 「はぁ~、何と間抜けな……」


 アーリナとミサラの呆れ顔が、モーランドの頭上に並んだ。


 普段、ここまで収縮することのなかった彼にとっても、完全な盲点だった。


 モーランドは気を取り直して、咳ばらいをして喉を慣らせた。


 「ゴホ、ゴホン!あ~あ~……。アーリナ様! これで聞こえますか?」


 「え? あ、うん聞こえる。普段の声まで小さくなっちゃうんだね」


 「はい、そのようで……面目ありません。いやはや、話すたびにこれでは喉が持ちませんな。モハハハハ!」


 「全く……。まぁ、貴様は声がでかすぎるからな。それくらいでちょうどいいだろ? では、アーリナ様、先を急ぎましょう」


 ここまで時間はかかったが、ようやくモーランドの大きさ問題は解決した。


 アーリナは意気揚々と腰に下げたポーチを開けて、彼を入れようとした。


 「い、痛っ! 痛いです、アーリナ様。もう少し、優しくお願いできれば……」


 「分かってる分かってる。あとちょっとで入りそうなの、我慢して!」


 痛がるモーランドを、ポーチに無理くりねじ込んだアーリナ。

 「これでよし!」と、ミサラにニンマリ笑顔を返す。


 「では、行きましょうか。アーリナ様」


 彼女たちの背を赤い夕陽が照らし出す中、ミサラはアーリナの手を取って屋敷へ向け歩きだした。




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