第11話 戦慄のミサラ

 コンココンッコッ。


 アーリナの部屋の入口をノックする音が聞こえる。


 このノック手法はミサラのもの──彼女たちは、二人だけの秘密のリズムを決めていた。


 アーリナは嬉しそうに入口へと向かう。


 「ミサラ、ちょっと待って。今、開けるね」


 家族との夕食の後、彼女の部屋にはもう一食、別の食事が届けられていた。


 ミサラは毎晩のように両親の目を盗み、こうして料理が乗ったトレイを片手に梯子を登ってきてくれるのだ。


 「もうお腹ペコペコ。今日は何かなぁ~」


 「ふふっ。すぐに準備しますので、少々お待ちを」


 ミサラは微笑みつつ、アーリナの首にナプキンを巻くと、テーブルの上にフォークやナイフを静かに置いていく。


 彼女を令嬢として丁寧に扱ってくれるのは、ミサラだけだ。


 本日の一食目は、痩せ細った小魚ともやし草のサラダのみ──でも、それはいつものこと。


 アーリナにとって、夕食の本番はこれからなのだ。


 小さなテーブルに並べられた温かく美味しそうな料理の数々を、アーリナは垂涎の思いで見つめていた。


 「さぁ、どうぞアーリナ様。今日のメニューは──」


 「いただきま~す!」


 ミサラがメニューを紹介する前に、彼女は待ちきれずに口いっぱいに頬張る。


 お腹だけでなく、心まで満たされる──彼女の顔は幸せいっぱいにパァっと咲いた。


 「う、旨っ! 美味しい! いつもありがとう、ミサラ」


 アーリナは頬をふくらませたまま、感謝の言葉を口にする。


 ミサラもその様子に、満面の笑みを浮かべている。

 

 「アーリナ様、よく噛んでゆっくりですよ。いつもながら、本当に美味しそうに食べてくれますね。使用人冥利と言いますか、作り甲斐があるってものです。それに私も、お陰様で料理スキルが向上してきた気がします」


 いつもと変わらない、微笑ましい光景──これがアーリナとミサラの日常だった。

 

 しかし、今日からは違っていた。

 アーリナの可愛らしい声とは違い、少し野太い声もその場にはあった。


 「ミサラよ、我にも食事を用意してくれたのか。感心だな。いい心がけだ」


 「ねぇ、ミサラ。今日の授業は何? 」


 「う~ん、そうですねぇ……。薬学もまだまだ先は長いですし、武器無しでの戦い方も教えておきたいですからね」


 「ミサラよ、我にまで食事とは気が利くではないか。いい心がけだ」


 「薬学も面白いんだけど、天気もいいし、私的には、お外で体を動かしたいかも」


 アーリナとミサラは、新たな居候であるモーランドの言葉には一切反応しなかった。


 彼はムッとして、声を大きく張り上げた。


 「ミサラよ! 我にまで食事を感謝する!」


 彼女たちは表情なく、真顔でモーランドに振り向く。


 「モーランドさん、昨日言ったよね? ここでは静かにしなくちゃだって」

 

 「ああ? モーランド、貴様の口にも合ったのか? まぁ、マズいなんて言ったら、どうなるかはわかっているな?」


 アーリナとミサラの視線が、モーランドを激しく串刺しにした。


 彼はただ、食事のお礼を伝えたかっただけなのだが……。


 モーランドは小さくなった身体と同じくらい、心まで縮み上がってしまっていた。


 タウロスロードの固有スキル【変体】は、その名の通り、身体を大きくも小さくも出来るものだ。


 この一見、便利そうにみえる能力にも、唯一の欠点がある。


 それは、体と声の大きさが連動してしまうことだ。


 (はぁ~もう……。家族に見つかりでもしたら、それこそモーランドさんが食卓に並んじゃうわ。でもまぁ、この部屋に家族が来たことなんて一度しかないし、少しくらいは、大きくなってもらってもいいかな?)


 アーリナの計らいで、少しだけサイズアップしたモーランド。


 ようやく、普通に話が出来る程度にはなった。


 「ふぅ~これで、喉が枯れることもありません。アーリナ様、感謝いたします」


 「まぁ、この方が私たちも聞きやすいからね。ところで……あ、そうだった! 呼び方は〝モー君〟でいい?」


 「モ、モー君?!」


 「うん? だって呼び捨てにしてって言ってたよね? だったら、呼び捨てよりあだ名のほうがよくない? モー君じゃ嫌?」


 「モモーゥ……」


 モーランドはアーリナがつけてくれた愛称に、驚きと嬉しさで思わず嬉ションしそうになりながらも、何とか気合で耐え抜いた。


 「ふぅ~、あ、危なかった……。いや、そんなことよりもです。嫌なことなど、決してありません! 我にそのような、素敵な呼び名を。ありがたき幸せの絶頂にございます!」


 「そ、そう? それならよかった……。じゃあさ、早速聞きたいことがあるんだけど。タウロスロードって、ミノタウロスの王様ってことだよね?」


 「はい!その通りです」


 「だったらその……ミノタウロスの軍勢って、今はどのくらいいるの?」


 アーリナが聞いたことには理由がある。

 彼女はこれより先、数の力が戦いに大きな影響を与えると信じていた。


 だからこそ、まずは現状の規模感を把握する必要があると考えたのだ。


 「そうでございますね。正確に数えたことはありませんが、数百……いえ、数十はいるかと……」


 「数十? あ、ああ……そうなんだ。数自体は大したことはないのかぁ……」


 彼の答えに、アーリナは少しだけ肩を落とした。


 ミノタウロスは魔物の中でも強力な種族だと聞いていたし、世界にはもっと多くの仲間がいると期待していた。


 (強い魔物だし、数千・数万は当たり前にいるのかと期待しちゃった……。いくら魔契戦があるとは言っても、それは戦力があっての話だしね……)


 魔契戦とは、王国内における領地奪取に関する取り決めの一つだ。


 相対する戦力差がほとんどない場合、互いに指定した5人による戦いを以て勝敗を決する。


 その目的は、被害の拡大を抑えることだ。


 戦力差が大きければ大きいほど、戦いはあっという間に幕を閉じる。


 だが戦力が拮抗している場合、長期の消耗戦となりやすく、王国戦力の維持向上の目的に反してしまう。


 そのため、事態を防ぐために制定された王国公認の戦いだ。

 

 (そう言えば、雷の……誰か強い人と戦った時、神様を頼ったとか何とか言ってたよね?……そっか、数十人もいないってことは、きっとそうよね。多くの仲間を──)


 アーリナはモーランドを同情の目で見た。

 彼は少し考え込んだ後、何かを思いついたかのように再び口を開いた。


 「ざっとですが、ご命令とあらば、すぐにでも二万頭ほど出立させられます」


 「うん……だよね。やっぱり絶滅寸前なら、そうな……んんっ!? 万? 二十頭じゃなくて、万!?」


 アーリナは目が飛び出そうなほどに驚き、彼はその様子に大爆笑した。


 「モハハハハ! アーリナ様もご冗談がお上手ですなぁ。二十頭では、流石の我も王は語るなど出来ませんよ」


 笑い声が部屋中に響き渡り、アーリナとミサラは慌てて、彼の口を塞いだ。


 「しーっ、静かにして! 家族に見つかるとホントにヤバいんだから!」


 「また縮こまりたいのか、モーランド。バレたらまずいことは貴様も承知のはずだろ?」


 アーリナの部屋は屋根裏で、そのすぐ下には父と妹の部屋が横並びにある。


 彼女とミサラは二人揃って、床に耳を当てて下の音に耳を澄ませた。


 「う~ん。何も聞こえないし、一階にいるのかも……大丈夫かな?」


 「そのようですね……。私がここに上がる際はお庭に居られましたから。まだ戻られていないのかもしれませんね」


 彼女たちは顔を上げ、安堵の溜息をフゥっと漏らした。


 とにかく今は、夢のためにも大事な時──両親は勿論、妹にだってこちらの動きを勘づかれることがあってはならないのだ。

 

 「あのね、モー君。いい? この下には家族がいるの。モー君の存在を気づかれるわけにはいかないし、あんまり気を抜きすぎないでね。あと、ミサラ!」


 「はい、アーリナ様。いかがなされましたか?」


 「うん。彼にも私たちの目的、話しててもいいよね?」


 「え、えと……まぁ、そうですよね。アーリナ様のなのですから。決して裏切るような真似は……しないですよね?」


 申し訳なく頭を下げるモーランドと、彼に対し、恐怖をその目力で植え付けようとするミサラ。


 アーリナは「じ、じゃあ話すね」と控えめに仕切り直すと、ゆっくりと口を開いた。


 「──私の目標は、皆が安心して生きることができる、皆が笑顔になれる、そういう居場所を作ること。この世界は奪い合いや差別ばかりで、私は平等な世界ってやつを目指したいの。このことはミサラも賛同してくれてる。モー君はどう思うかな?」


 モーランドは彼女の問いに、頬杖をついて考えている。


 「そうですね……。皆が安心できる場所ですか。それは、我らミノタウロスも共存することが出来る場所……ということでよろしいのでしょうか?」


 彼は意外と真面目に答えてくれた。


 モーランドはミノタウロスの王だ。

 アーリナに忠誠を誓っているとはいえ、当然、そこに暮らす仲間たちのことを第一に考えているのだろう。


 「うん。私は人間も魔物も区別はしない。敵対するなら別だけどね。ミノタウロスが人間に友好的なら、是非そうしたいわ」


 「もちろんです。アーリナ様に敵対する者など、我が種族には一頭たりともおりません。主の仰せのままに」


 モーランドの返事にアーリナは嬉しい反面、少しだけ重く感じていた。


 (もちろん、仲間は欲しかったよ? でも、ミサラと二人の計画から、少なくとも二万超えは確定……規模感いきなり飛びすぎじゃない?)


 あまりの飛躍に天井を仰ぎ見た彼女だったが、気を取り直して話を続ける。


 「モー君、私たちは同じ志を持つ仲間よ。それにはまず、伝えておかなければいけないことがあるの」


 「はい、アーリナ様。我に何なりと」


 「まぁ、そんなに硬くならないでよ。私たちの目的には大きな障害があるの。それは……この家ね」


 「家? ここに何か問題があるというのですか?」


 アーリナは彼に、この家での自分の立場や両親、妹のリアナのことを一つ一つ紐解いて伝えた。


 モーランドは話を聞き終えると、両拳を強く握り締めて鼻息を荒くした。


 「ぐぬぬぬ……おのれぇ、人間め。アーリナ様を何とお思いか。すぐにでも我がけじめというものをつけてくれるわ……」


 彼は興奮のあまり、テーブルをバンッと叩いて立ち上がった。


 アーリナがやべぇと思った次の瞬間、ミサラが手に持ったフォークを彼の耳元に当てて言葉を添えた。


 「いいですか? モーランド。今度、このような音を立てたり、大声で騒ぐようなことがあれば、分かっていますね? を、私オリジナルの特製献立メニューに加えますからね……」


 その言葉は物凄くえげつなく、心を抉るように響いた……。


 丁寧に綴られた言葉がより一層、アーリナとモーランドの恐怖心を掻き立てていた。


 モーランドは素直に座り直し、「……はい」と小さく答えて俯いた。


 アーリナは誓った──ミサラだけは、決して敵に回してはならないと……。


 (──あれ? そう言えば、ラドニーが全然出てこなかったね。さすがの神も、ミサラにはビビってるのかな?)

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