第4話 光の魔剣士
合成薬の爆発から、数分が経過──。
「ぶわっ、くさっ!……これは洗わないとダメだわ。ミサラ急いで! 洗濯よ、洗濯!」
アーリナは鼻をつまみ、目には涙を浮かべていた。
あまりにも強烈すぎる臭いは、もはやクサイを通り越して、痛いとすら思える。
せっかく、ミサラが魔法で薬液の飛び散りから守ってくれたのに、拭き掃除の結果、服にまで染みついてしまった。
魔法薬学の授業は強制終了──アーリナとミサラは、庭にある大きな桶に水を汲んで二人並ぶと、鼻が曲がりそうな臭いの服を両手でゴシゴシと力を入れて洗い始めた。
「ア、アーリナ様! 水をこっちに飛ばさないでください。洗濯物が増えちゃいますよ」
「──アハッ! ミサラの焦った顔、おもしろい」
こういう馬鹿みたいなことも、何だかんだで楽しい──アーリナはいたずら心でそう思った。
彼女とミサラが笑いながら洗濯をしていると、屋敷の前を通りかかった一人の領民から声をかけられた。
「おおっ! こんにちはっぺ、アーリナ様。また何かの失敗っぺ?」
「あ、バスケスさん。見てのとおり、今日もやっちゃった……それより、いい収穫はあった?」
アーリナに話しかけてきたのは、バスケス・エイリムという名の魔猟師だった。
長い茶色の髪をオールバックに流し、口元全体に髭を蓄えた顔と筋肉質な腕。
背丈はアーリナより少し高いくらいで、ドワーフと見紛う無骨な風貌をしている。
勝手なドワーフのイメージで、「この見た目なら斧でしょ!」 と言いたくなるが、魔猟師の主力猟具は弓だ。
バスケスの背中には、体よりも大きな弓が背負われていて、彼自身の背の低さも相まってかなり目立つ。
魔猟師とは、様々な魔力の籠った矢を使い分けて狩りを行う者達のことである。
この辺りには、動物や魔物が多く棲息している。美味しいお肉が食べられるのも彼らのおかげだし、街の安全が保たれているのも、領警団と魔猟師が危険な魔物を狩ってくれているからだ。
バスケスは荷馬車の後ろへ回ると、掛けられた布を一気に捲り上げて、両手を広げて「じゃ~ん!」と自慢げに披露した。
「ほれ、見ろっぺ。これが今日の収穫っぺ!」
「わあ~すごい! これって何の魔物? 初めて見たけど、ミノタウロスに似てるね」
アーリナが獲物の大きさに驚いて声を上げると、隣にいたミサラが急に立ち上がり、「バスケス! 離れなさい!」と大声で叫んだ。
その直後──荷馬車の魔物が突然目覚め、牙を剥き出しに、彼に向かって襲い掛かった。
ねじれた角に耳輪を備えた牛の頭と、鎧のように硬い筋肉を持つ巨大な魔物だ。
一刻を争う状況にもかかわらず、アーリナは焦ってなどいなかった。
(絶対に大丈夫──この距離ならミサラが必ず止めてくれる)
彼女なら魔物を仕留めることができると、心から信じていた。
ズサッ──瞬きする間もないほどの速さだ。
一瞬にして距離を詰め、眩い光が魔物の胸を突き刺した。
その場で崩れ落ちる魔物と、大口を開けたまま座り込むバスケス。
ミサラの実力は剣だけではない。
この国でも数少ない、〝無詠唱魔法〟の使い手でもあった。
光の魔剣士──王国騎士団時代の異名通り、その実力は今だ健在だ。
(本当によかった、ミサラが私の味方で。それに、師匠だしね)
ミサラは地面に腰を落としたバスケスの手をとり、グイッと引き起こした。
「お怪我はないでしょうか?」
「あ、はいよ。大丈夫っぺよ、ミサラさん。それにしても、どえらい強さっぺ~……」
アーリナには、彼が少し引いているように感じた。
だが、それも無理はないと思った──というのも、彼女も初めて見た時は腰を抜かして驚いたからだ。
「……すみません。火急のことでしたので、思わず魔法を使ってしまいました。ところで、バスケスさん。この魔物はどこで?」
ミサラは横たわる魔物を観察しつつ、バスケスに問う。
「あ、ああ、門を出てすぐのところっぺよ。町に近かったから、被害が出る前にと思ってよお」
「そうですか。確かにその判断は正しいですね。この魔物は〝ミノタウロス〟と呼ばれています。私はこれまで、この魔物によって壊滅した村をいくつも見たことがあります。今回のように死んだふりをして、自らを人里へ運ばせることもある──非常に狡猾で獰猛な魔物です」
バスケスと言葉を交わすミサラ。
その話を聞いて、アーリナは目を丸くしながら思った。
(ふえぇ~ヤバいやつだったんだ。それに、ミノタウロスに似てると思ったら、本物の
その後、しばらく歓談した三人。
「いやあ~、やはりアーリナ様のお傍に居られる方は違いますっぺなあ。助かりましたっぺ。次回、買い出しの際はうちの店にも是非お立ち寄りを。お礼もかねてサービスしますっぺ。では、ここらで失礼」
バスケスは感謝を述べると、荷車に戻ってミノタウロスの亡骸を乗せ直し、早足で去っていった。
(え~と、まさかだけど、あれを売り物にしたりしないよね?……しばらくお肉は控えようかな)
彼が去ったあとも、ミサラはどこか浮かない顔をしていた──眉を寄せて、口元をキュっと結んでいる。
そんな彼女が気になったアーリナは、
「ミサラ、どうしたの? さっきから何か考え事?」
と尋ねた。
「えっ──ああ、すみません……アーリナ様。少し気になることがございまして」
「気になること? とりあえず話してみてよ。隠しごとは無しって、いつも言ってるでしょ?」
彼女の言葉に、ミサラは言いにくそうに眉を顰めた。
「どうせ、さっきの魔物のことでしょ? 街の近くだったみたいだしね。ミノタウロスのせいで壊滅した村をいくつも見てきたって言ってたし……もしかしてだけど、この街が危ないとか?」
アーリナは思ったことを口にして、グイグイと彼女に迫った。
ミサラは「ふう~まったく」と深くため息をついて、観念したように口を開いた。
「アーリナ様には敵いませんね。よろしいですか? あの魔物は恐ろしいほど強力なのです。先程のミノタウロスはまだ幼い個体でしたが、成熟したものは別格です……それに、あれはダンジョンの最深部に棲む魔物なのです。これまで壊滅した村は、そのダンジョンの近隣ばかりでした。ですが、この町の近くでダンジョンなど、噂一つ聞いたことがありません」
「う~ん、ダンジョンを根城にしているミノタウロスが、何故、こんなところをうろついているのか……確かに気になるわね」
「アーリナ様、この謎の解明には考えられることが二つあります。ひとつは、地下に広がるダンジョンの入口がこの付近に繋がったかも知れないということ。そして、もうひとつが〝タウロスロード〟出現の可能性です」
(ええ~っと…… また何か、ヤバい名前が出てきたね……)
アーリナは思考を巡らせ、頭の中を整理する。
(う~ん、ミサラが瞬殺したミノタウロスは、若くてさほど強くなかったけど、実際はもっと強いのがいるってことだよね? それとタウロスロード。多分、ミノタウロスの王様ってことよね? さらにめちゃんこ強いとか?)
彼女は自分の想像で目尻がピクピクとひくつきだした。
そこへミサラが一つ、お願いを零した。
「アーリナ様、少しだけ屋敷を空けてもよろしいでしょうか?」
「──えっ?」
彼女の言葉を受け、アーリナは「う~ん、う~ん」と首を傾げて思い悩んだ。
(家を空ける? ここまでの流れだと、ミサラはミノタウロスの調査に出かけたいってことだよね? でも……私が勝手に街の外への外出許可なんてだして、もし父にバレたりでもしたら……)
──だが、ミサラは彼女の心内などお見通しなのだろう。
壁に立てかけてあった
「アーリナ様。我、ミサラ・グレイシアスは貴方様の剣、この命に代えても必ず守り抜きます。どうか私にご指示を──」
「あ、え、その……ミサラも分かってるでしょ? 私はこの家じゃ……」
「ええ。アーリナ様こそが私の唯一の主であります。他のご家族のことは関係ございません。大丈夫ですよ。ミノタウロス相手に遅れは取りませんし、それに下調べです。すぐに戻りますから。どうしても指示が難しいということであれば、そうですね……買い出しに行ったことにしましょう」
「で、でもぉ~」
「よろしいですね? アーリナ様」
今度は逆に、ミサラがアーリナに詰め寄る。
アーリナの顔はみるみるうちに困惑色に染まっていく。
「う、うん。わかったよ……」
彼女はミサラに押し切られて渋々と了承したが、心の中では不安よりも嬉しさのほうが勝っていた。
(これでいいよね? ミサラは私を認めてくれている──彼女の為にも、いつまでも家族にビクビクなんてしていられない。私も強くならなきゃ。必ず、皆が生きやすい世界を作るんだ)
アーリナは遠ざかるミサラの背に、改めてそう誓った。
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