第26話 打ち鳴らせ! 戦いのゴング

 柱が軋み、ガラガラと崩れ落ちる音が聞こえる。

 砕けた石片が砂埃となって舞い、この場の視界はアーリナが想定していた以上に悪化していた。


 「これは厳しいわね……。ザラクはどこにいるのかな?」


 「アーリナよ、予の話はまだ終わって──ふごっ?!」


 「しーっ! 誰か来るわ」


 彼女はラドニアルの口元を掌で覆うと、石柱の陰に身を隠しながら、近づく足音の方に視線を向けた。


 そこには肩を押さえ、苦し気に走るザラクの姿があった。


 「あ、いたー!」


 アーリナは嬉しさのあまり、思わず大声を上げてしまった。


 彼女の声に気づいたザラクが、身振り手振りで危険をアピールするも、時すでに遅し──。


 ズシンズシンと重量感のある足音を響かせ、アーリナの真横で何かが止まった。


 石柱の向こう側──そこにいるのは、もちろん、古の魔物キュートリクスだろう。


 「ブフー、ブフー」と荒れ狂う鼻息が聞こえ、その風圧によって床に落ちた石が勢いよく前に転がっていく。


 柱越しに走った緊張感に彼女の恐怖心は煽られ、ゴクリと生唾で喉を鳴らした。

 

 ゆっくりと前方に目をやると、ザラクが物陰に隠れて「あっちだ」と指差し、合流地点を示している。


 アーリナは静かに柱から離れる。

 魔物の視界に入らぬよう、石柱を遮蔽物にしたまま横へと移動を開始した。


 息を凝らして空気のように、恐る恐る忍び足で……だが──。


 ザクッ。


 彼女は砕けかけた石をその足で踏んでしまった。

 静寂を打ち破るには十分すぎるほどの音を、キュートリクスのすぐ傍で立ててしまったのだ。


 当然、魔物がそれを見逃すはずはない。


 「逃げろー!」


 ザラクは柱から身を乗り出して、アーリナに向かって声高に叫んだ。


 しかし、キュートリクスはその暇すら与えてはくれず、天井にぶつかりそうなほどの高さで跳躍すると、彼女の頭上を大きく飛び越えた。


 そして、アーリナの行く手を遮るように轟音とともに着地した。


 「うおっとっと?!」


 彼女は慌てて前のめりになった体に全力でブレーキをかけた。

 

 舞い上がる砂埃の奥に、大きな影が浮かんだ。

 アーリナがその先に目を凝らしていると、急にその埃が霧散した。


 長槍を物凄い勢いでグルルルと回転させ、視界を晴らしたキュートリクス。


 その瞳は、深海の闇に沈んだかのように無機質に彼女を見下ろしていた。

 

  「……あ、あぅああ」


 アーリナの口から、言葉にならない声が漏れ出る。


 彼女にとってはこれが初めての実戦だったが、先ほどまでの意気軒昂いきけんこうの振る舞いは息を潜め、恐怖でその場に磔となった。


 両足の震えが止まらない。

 逃げ出そうにも、体がまったくいうことを利かない。


 胸を打つ鼓動だけが、加速度的に早くなった。


 アーリナの両手に持たれたラドニアルは、彼女の心の動きを鮮明なまでに感じ取っていた。


 アーリナの心は、完全に恐れで満たされてしまっている。

 

 「ふぅ……まったく、世話の焼ける」


 ラドニアルは大きく溜息をつくと、光の斧となった自身の体をさらに輝かせた。


 「ラ、ラドニー?」


 「アーリナよ、目を閉じよ」


 熾烈な光輝──光は大きな束となって、前方へと一気に照射された。


 ガスンッ。

 

 石畳に響く金属音。

 そのあまりの眩しさにキュートリクスは持っていた槍を手放し、片手で目頭を押さえ首を振って悶えだした。


 ラドニアルは彼女の手元から上を見上げ、言葉を投げた。


 「目を開けてよいぞ。全く持って、本当にしょうがないヤツだな。予の話は聞かぬわ、この程度の敵に恐れおののくは。お前を使い手に選んだ予の判断が間違っていたとでも言いたいのか? 断じてあってはならぬぞ。予は決して間違えなど起こさぬ。しっかりするのだ、アーリナよ。予に力を籠めよ。さきほどまでのアホ面はどうした? ノー天気うすらバカのままのほうがよほど使えるわ、これだから人間というものは……ああやだやだ、斧なのに鳥肌が立つわ。ったく、さっさとしろ馬鹿者がぁ。お前のその豆粒みたいな頭には何も詰まってないのか? そうかそうか、だからいつもあんなアホ面で恥ずかしげもなく生きていられるのか。ほう、納得だ。それにお前はな──」


 ラドニアルはアーリナを煽り倒した。

 もはや、神とは思えぬほどの態度で次々と言葉を連ねた。

 

 やっと終わったかと思っても、更なる罵倒が繰り出され、このまま延々と続く螺旋のループに陥ったかにすら思えた。


 彼女は口を開け、ポカンとした表情のまま彼の言葉を聞いていたが、その目は見る見るうちに細く吊り上がった。


 「何よ、ラドニー! ノー天気うすらバカ? はぁ~? いつ私がアホ面なんてしてたのよ! いい? 見てなさいよ。私だってやるときはやるんですからね!」


 彼女は憤懣ふんまんとした気持ちを全て吐き出し、手に持つラドニアルを力強く握りしめた。


 「……で、力を籠めるって何? どうすんの?」


 アーリナは全く分かっていなかった。

 ラドニアルが彼女に何度も伝えようとしたことの中には無論、この斧の使い方も含まれていた。


 「はぁ……何度も溜息をつかせるな。よいな? 時間がないから手短に言うが、予を持つ時には常に何のために振るうのかを心にとめよ。要はポイントだ。お前の思考、行動そのものがポイントとして算出される。ポイントが高ければ高いほど、それと引き換えに予の力を引き出すことが出来る。お前はただ、自分の行いを信じ、その正義のために予を振るえばいい。力を籠めよとは、心に目的を強く描けということだ」


 アーリナは思い出していた。

 そう言えば、ポイントなんてものがあったなと。


 (たしか、クソださネーミングの……ええと、何だったっけ……あっ! 〝天への返り咲きプログラム〟だったね……今考えてみても、全然エモくない)


 彼女は斧神ラドニアルを手に握りしめ、大きく息を吸い込んだ。


 気持ちもなだらかにし、呼吸を整え、落ち着きを取り戻していく。


 「うん、大丈夫……。じゃあ、いくよラドニー!」


 アーリナは心の中で目的を念じるように繰り返す。


 ザラクを助けること──そのためにはまず、目の前の敵を叩き伏せる必要がある。

 

 (命を守るため、命を守るため──私は仲間を必ず守る。そのためにはコイツは邪魔、叩き斬って私は進む!)


 アーリナの強き願いによって、ラドニアルの光はさらに激しく迸った。


 彼女の両手から溢れ出した光は、体を伝って足元へ流れ落ち、地面を脈打ちながら目の前のキュートリクスさえも取り込むようにして広がった。


 「す、すごい……」


 アーリナはあまりにも神々しい光を前に感嘆の声を漏らした。


 その様子にラドニアルもまた、鋭い眼光には似つかわしくない笑みで口元を緩ませた。


 「フフフ……やはりな。予の判断は正しかった。さぁ行け、アーリナよ。予の力を存分に振るうがいい」


 彼女は彼の言葉に二つ返事で応じると、光の斧を大きく振りかざして地面を蹴って突進した。


 一方、目を眩ませていたキュートリクスはようやく視界を取り戻した。

 落とした槍をすぐさま手に取り、盾の後ろに身を隠すと、アーリナの攻撃を真正面から受け止めた。


 ガガーン!


 鐘のように鳴り響いた激突音が、アーリナとキュートリクスの戦いを告げるゴングへと変わった。




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