第29話 神業:斧神の天秤

 数分後──。


 「……それだけはゆかぬ。予の飯抜きだけはあってはならぬぞ!」


 「アーリナ様、申し訳ございません……。私としたことが、このような紙野郎についムキになってしまいました」


 アーリナの苛々はついにピークを迎え、積もりに積もった感情が一気に爆発した。


 ミサラはペコペコ、ラドニアルはブンブン──彼女に対し、頭を上下左右に振っていた。


 「いいからミサラは早く剣を収めて! ラドニーはちゃんと質問に答えなさい! って、ええと……。私、何を聞いてたんだっけ?」


 怒りと共に彼女の問いは、忘却の彼方へと消え去っていた。

 ラドニアルは溜息を漏らしながら、アーリナを諭す。 


 「やれやれ。お前の知りたかったこととは、予の力に関することではなかったのか?」


 斧神ラドニアルの力、その発動条件と制限──。

 このことについては彼自身、幾度となく話そうとしていたことだったが、彼女は現在に至るまで聞く耳を持たずにいた。


 「そうそう、それよ。さっさと教えなさいよ」


 「ったく、予は何度も話そうとしていたではないか。その度にお前というやつは……。いや、もうよい。では今度こそ、しっかりと聞いておくのだぞ」


 ラドニアルの口から語られる、秘められし力。

 元々は〝神力〟と呼ばれる魔力の源水とも言えるほどの強大な力──。


 神々は地上に降り立つ際、御神体を武器へと変化させるが、神力もまた魔力として置き換わる。


 魔力は通常、長き年月を重ねて練り上げられ、その強さは質と量に左右される。


 強さは練度、量は期間。

 人間であれば長きに渡って修行を積み、歳をとることで得られるものだが、神力ベースの魔力ともなれば、どちらの条件もすでに満たしているのは言うまでもない。


 そして、魔力を消費し得られる力には、魔法とスキルの2つが存在する。


 この世界では〝魔法=人間の力、スキル=魔物の力〟として認識されているが、人として使えるスキルもあるにはあって、それらはもっと物理的なものとして捉えられている。


 例えば、料理スキルや調合スキルといった修練を重ねて会得する技術がそれに当たる。

 

 一方、魔物の場合、攻撃力アップや回避速度アップといった補助魔法に近いものから、その特異体質を利用した炎を吐くなどの行動を魔力で更に強化するなど、ありとあらゆる強力なものが散見される。


 スキルは魔法とは違い、詠唱を必要とせず、ほとんどが意識下で発動する。


 強力なスキルを持つ魔物には、無詠唱魔法を使える人間でなければ到底太刀打ちできない。


 人間と魔物の間には、魔力行使の手段一つをとっても、それだけの力の差があるということだ。

 

 ここで人間はさておき、何故、魔物の話になるかと言えば、斧神の持つ力も同様にスキルに分類されるということのようだ。


 神々の武器に宿る〝神業〟と呼ばれる究極の固有スキルの一つ。


 ──その名を〝神業:斧神の天秤〟という。


 神業と呼ぶに相応しいその力は、これまで見聞きしたとおり、斧刃で斬った相手を主君に従わせるというものだ。


 しかし今回、その力は発動しなかった。

 古の魔物キュートリクスは、アーリナによってただ斬殺され、分断された体が床一面の血の海へと沈んでいった。


 あまりにも惨たらしく、凄惨な光景……。


 彼女はラドニアルの話に耳を傾けながらも、横槍を入れずにはいられなかった。


 「神業かぁ~。呼び名はカッコいいんだけど、やっぱ、聞いてる話と違うよ。アイツ死んじゃったじゃん」


 アーリナは文句ついでに魔物の死骸を指差した。

 ラドニアルはその指先を流し見ると、目力を込めて彼女に視線を戻した。


 「だから何度言えば分かる。物事には順序というものがあるのだ。ここまでの話、理解は出来たな?」


 「……う、うん」


 「よろしい。では、続けるぞ」


 ラドニアルの声に彼女は素直に頷く。


 その後も淡々と力の説明を聞き続ける中で、ようやくアーリナが抱いた疑問がその口から語られ始めた。


 斧神の天秤。

 このスキル名が示す通り、天秤の傾きによって相手の運命を決定づける。


 皿の上に乗せられるもの──それは、斧の所有者であるアーリナの正と負の感情であり、言い換えれば、彼女の内に秘めたる愛情と憎悪のことである。


 敵対する相手への思いが愛情に振れるか、それとも憎悪に振れるか。


 このバランスによって道は別たれる。


 服従か斬殺か──。


 結果、斬殺されたキュートリクスの場合、アーリナの心は完全に憎しみに満ちていた。


 故に、天秤は憎悪へと傾いた。


 天秤は持ち手の心を反映する。

 使い手としての未熟さもあれど、仲間の命を危険に晒されたということは、彼女にとって何事にも耐え難い現実だった。


 自身の心を冷静に保つことなんて、到底できなかった。

 

 (そっか……。私の意志、だったんだね……)

 

 アーリナは自分の両掌に目を落とした。


 指先が震えている。

 彼女は今になって、ラドニアルを持つことに怖さを覚えた。


 (魔物って言っても、私、殺しちゃったんだ……この手で。ラドニーも同じなんだね……誰かを傷つける凶器なんだ……)


 武器とは本来、凶器ともなり得るものだ。

 振るうには覚悟が必要なことは、この斧も同じだった。


 全てが終わってから後悔しても、亡き者が戻ることはない。


 殺してしまったことに後悔の念を抱く彼女にとって、唯一の救いがあるとすれば、それは使い手の心で斬るということだけ。


 これから先、自分と対峙する敵に対してどのように刃を振るうか。


 ただ無闇に傷つけるのではなく、彼女自身の信念が常に寄り添っているのだ。


 「──というわけだが、その顔を見れば理解は出来たようだな。これもお前の運命さだめだ、アーリナよ。この世の全ての生殺与奪。暫しの間、神の裁きをその手に委ねよう」




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