第28話 不毛な争い
彼女が驚くのも無理はない。
眼前には服はボロボロだが、あれだけの傷を負ったはずのザラクが元気に立っていたのだから──。
「え、え、えー! ど、どういうことなの? 肩は? あんなに血が出てたのに、死ぬかと思ったのに、どうして?」
「はぁ? お前、ひょっとして俺に死ねと?」
「ち、違うわ! どれだけ私が君のことを心配して──」
「お前、心配してくれてたのか。そうか、そこまで俺のことを……だがな、聞いてくれ。俺はガキには興味ねぇんだ。悪いが、惚れんなよ」
「誰が惚れるか! ヴァーカ!」
ザラクは真顔ですかした言葉を並べた。
対するアーリナは間髪入れずに反論し、両手を振って足をダンダンと踏み鳴らした。
「お、おまっ! いきなりバカとは何だ!」
「バカにヴァーカって言って何が悪いのよ!」
二人が顔を寄せてイーッ!といがみ合っていると、ザラクの背後から忙しない足音が近づいて来た。
「アーリナ様! お怪我はございませんか?」
「ええい! キュートリクスはどこだ! 我が愛し、いや、敬愛するアーリナ様に手出しをすれば、どうなるか分かっておろうな! いつもの慈悲深き我だと思うなよ。その体切り刻んで、細切れにしてくれる」
必死の形相で走り寄るミサラとモーランド。
アーリナはザラクを突き放すと、後頭部をポリポリと掻きながら、苦笑いを浮かべて口を開いた。
「よかった、ミサラたちも来てくれたんだ。あとね、モー君……探してるヤツなんだけど、その、あのね……真っ二つになっちゃった。ごめんね、てへっ」
「……モ?」
「……」
彼女の言葉は現実の縁を越え、その場の時を凍らせた。
アーリナとミサラ、モーランドを包む静寂の間は、彼らの鼓動だけを響かせる帳となった。
かたや、ザラクは短剣をブンブンと振り回し、俺がやったと言わんばかりの猛烈アピールをしている。
だが、彼らの目にザラクの姿など一ミリも映ってはいない。
その瞳の奥にあるのは蒼く染まったアーリナの姿のみであった。
顎が外れるほどの二人の驚声が凍りついた時を打ち砕く。
「えー!」
「モハーッ!」
古の魔物を真っ二つ──それは、俄には信じ難いものであった。
しかし、アーリナの背後に転がるものは、確かにキュートリクス……その亡骸に間違いなかった。
「え、あ、いや……いいんです! そんなことより、お怪我は」
一瞬、意識が飛びかけたミサラだったが、ふと我に返り、すぐさまアーリナの体を入念に確認した。
「く、くすぐったいよ、ミサラ。大袈裟だってば。この通り大丈夫だから」
「はぁ……本当によかった。多少の擦り傷はありますが、大きな怪我はなさそうですね。この程度であれば私の魔法ですぐに──」
彼女は右手を光らせると、アーリナの傷口をなぞるように触れた。
顔や手足にあった傷は一瞬にして塞がり、痛みどころか疲れさえも取れるような感覚がアーリナの全身を包み込んだ。
「これで良しです。さぁ、早く外に出ましょう。まずは、お着替えをなさらなくては」
「うん。ありがとう、ミサラ」
ミサラは彼女の感謝に笑みで答えた。
そして優しく手を取ると、出口へ向けて歩き始めた。
一方、モーランドはあまりの衝撃に空いた口が塞がらなかった。
自らの顎を両手で何とか戻した彼は、ガチガチと奥歯を噛み締めている。
「ふぅ~やれやれ、アーリナ様の雄姿に漏らすとこであったわ。やっと気が落ち着いた。して、ザラクよ。我が試練のことだが──」
モーランドは滴る汗を拭いながらザラクの前へと立った。
彼の声にザラクは体を震わせた。
全身から滲み出る怒りのオーラとともに、積もりに積もったイライラが口元を加速させ、まるでマシンガンのように不平不満が次々と連射された。
「やれやれはこっちの台詞だバカ牛男! 危うく死ぬとこだったじゃねぇか! 何なんだ、この試練は。まだ修行すらしてねぇってのに、いきなりこれかよ。俺を何度殺すつもりだ!だいたい誰がお前なんかの弟子になりたいなんて言ったんだよ。これだから魔物ってのは碌なもんじゃねぇ。俺は降りるぜ、死んだら元も子もねぇ。ったく、やってられるかってんだ、それに──」
ガッ!
モーランドは手に持った斧を地面に突き立てた。
彼のこの一瞬の行動がザラクの不満を断ち切った。
「クソの次はバカか。我を愚弄するのも大概にしておけよ、人間。それに我は牛男ではない。タウロスロードのモーランドだ!」
ザラクは彼の気迫の籠った目にたじろいでしまったが、踏みとどまって負けじと言い返した。
「タウロスロードだか何だか知らねぇが、お前こそ人間の命を弄ぶんじゃねぇよ」
「我が人間を弄ぶ? ふんっ、くだらん。アーリナ様は特別な方なれど、多くの人間は魔物を家畜のように見ておるではないか。お前達人間のほうこそ、我らの命を弄ぶ、愚かな生き物に違いはなかろう?」
ここに至るまで仲良しムード全開であったモーランドとザラクであったが、今は互いの眼光で火花が散りそうなほどバチバチに睨み合い、己の言い分を譲らない。
◇◆◇
その頃、彼らから少し離れた場所でアーリナとミサラは、ラドニアルを交えて話をしていた。
「ねぇ、ラドニー。聞いてた話と全然違うじゃん。斬ったら仲間になるって言ってたでしょ?」
「うむ。確かにそうなのだが、そもそも力には制限もあれば条件もあるものだ。最後まで話を聞かず、身勝手に振る舞うお前が悪い。少しは反省の意を示せ、アーリナよ」
「そうですよ、アーリナ様。話を聞かずに先走ることだけはお止めください。こんな訳の分からない斧の意見に賛同する私もどうかしていると思いますが、一理あります」
「ミサラ、お前は相変わらず失敬なヤツだな。予は神だと何度も言っておろうが! 無礼者めが」
「無礼? 誰が誰に対してだ? 訳の分からんやつに何故、私が敬意を払わねばならない。貴様こそ、ただ飯しておきながら、口の減らぬやつめ」
「ただ飯だと?食事は予への奉納品。お前がそのような考えでいるから、アーリナの非礼が続いているのだぞ。まさに、お前の写し鏡そのものだな」
「くぅ~、言わせておけば……」
ミサラは腰に佩いた剣を抜くと、地面でぴょこぴょこと跳ねるラドニアルに向けて力強く振り抜いた。
ガギッ。
怒りに任せて振るった剣を、ラドニアルはその刃で受け止める。
「おのれ、小娘め。予に剣を向けるなど何とも無礼千万な……。ミサラの分際で、明日には思い知らせてくれる」
「明日? 何を馬鹿な。今だろ?」
刃越しにいがみ合う二人。
アーリナは「まただよ……」とその場を流して話を進めた。
「で、その制限とか条件って何なの? またポイントの話?」
彼女の言葉は空を切り、ラドニアルはミサラの挑発にのみ答えた。
「今だと? その程度の力では予に刃こぼれ一つさせられぬぞ。どうしてもと懇願するならやっても構わぬが、お前が攻めに攻めての結果がそれでは、己の無力さに傷つくと思ってな。せめてもの計らいというものだ」
「ったく、神というより紙のように薄っぺらい心遣いには感謝するよ。まぁ、減らず口だけは神業だが」
「予を紙きれ扱いするとは……。ええい! そこに直れ。その首刎ねてくれるわ!」
続けられるミサラとラドニアルの不毛な争いに、アーリナの目尻は脈打つように唸り始めていた。
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