クルーセル家と運命の環編
第1話 アーリナとミサラ
「アーリナ様、お出かけの時間ですよ」
そう言って呼びかけたのは、クルーセル家に仕える使用人のミサラだった。
アーリナを見つめる茜色の
彼女の仕草は一つ一つが礼節に満ちており、その上品さが更なる美しさを引き立てていた。
(前世の私より年下なのに、あんなに大人……。私とは、違いすぎる……)
アーリナは心の中で、ガックシと項垂れていた。
ミサラはここに来て三年目。
使用人と聞けば、どうしてもご年配の顔が浮かんでしまうが、彼女はまだ23歳と若かった。
20歳のときにこの屋敷に来てからというもの、アーリナは彼女が休んでいるところを、一度たりとも見たことがない。
(そういえばそうよね? 代わりがいないからかな? う~ん……考えれば考えるほど、やっぱ、ブラックすぎるよね、うちって……)
アーリナは瞼を閉じ、眉間に皺を寄せた。
(──余計なことで、
彼女は「分かった~」と返事をすると、お出かけ用の服にさっと着替えた。
アーリナの外出する際の服装には、家族からは厳しい目を向けられている。
それは見栄のためで、彼女自身のためではない。
領主の娘がみすぼらしい姿では自分達の顔が潰れると、家族全員がそう思っているに違いない──と、アーリナは感じている。
彼女にとって、この家での理解者はミサラだけなのだ。
両親とは碌に話すこともなく、妹のリアナとも普段からあまり口を利くことはない。
(いつも『どいて』とか『邪魔』とかの一言だけだし……話しかけても、魔法であしらわれてばかりだしね)
今となっては、話しかけるのも止めてしまった。
そんなリアナは珍しい、銀色の髪をしている。
魔法の訓練で邪魔になるのか、少し伸びたらすぐに切る。
髪型はいわゆるショートボブだ。
瞳の色は、アーリナと同じく吸い込まれるような蒼さのアクアマリン。
顔立ちもどことなく似ているし、やっぱり、姉妹なんだなって思う。
子供らしい笑顔はあまり見たことがなく、7歳とは思えないほどに落ち着いていて、冷静だ。
次期領主として物心ついた頃から、ずっと大人たちとの付き合いばかりのようだし、そうなるのも致し方ないのかもしれない。
アーリナは急いで階段を降り、ミサラに声をかけた。
「ミサラ、お待たせ!」
「では、参りましょうか。アーリナ様」
アーリナとミサラは入口の扉を開き、屋敷の外へ出る。
ミサラが入口を施錠し、アーリナが両手を上げて大きく伸びをしていると、領民から「アーリナ様、お出かけですか?」と尋ねられた。
アーリナは笑顔で答える。
「うん、買い出しだよ。そっちは今から農作業? 気をつけて頑張ってね」
「んだ、ありがとうございますだぁ。アーリナ様もお気をつけて」
長年、ミサラと二人で留守番している間、ずっと領民たちとは仲良くしてきた。
こうして自然と挨拶が交わせるのも、アーリナにとっては嬉しいことだった。
しかし──。
(領地を取るには、領民達の信頼は欠かせないよね……それに……)
時折どす黒い考えが脳裏をよぎるのは、虐げられた日々が長すぎたせいだろうか──アーリナは胸の内が顔に出やすかった。
隣ではミサラが、
(またいつものあれね……)
と苦笑いを浮かべている。
この地はクルーセル家が治めるフィットリア領。
領内にはいくつかの町や村、商業街があり、アーリナが住んでいる場所は【アルバスの町】と呼ばれている。
二人は数日分の食材の買い出しのため、アルバスの町から北にある【ベルグリド商業街】へと出かけた。
我が領地の中でも、かなり大きな商業街だ。
それに景観もいい。
街の中央には、水飛沫が虹色に輝く大きな噴水があり、それを中心に多くの出店や建物が円形に広がっている。
幻想的で懐かしい雰囲気のある素晴らしい街並みは、木々や花の彩りが映えて、より一層の魅力が引き立つ。
アーリナはこの街を、いつか空から見てみたいと思っていた。
でも、そのための魔力は持っていない。
(空かあ~。魔力があれば、体を宙に浮かせることも出来るみたいだけど、私には縁がない夢だね……って、気にしない気にしない)
ミサラと一緒に色々な店を回り、必要な食材を買い揃える。持ってきた袋はすぐにパンパンになった。
(こうして街の中を歩けるだけでも、楽しいもんだ)
買い出しを終えて帰路についたアーリナとミサラ。だが、二人はこのまま屋敷へと直帰するわけではなかった。
街道を外れ、近くの森の中を進んでいくと、奥に流れる川の畔に少し開けた空間が広がっている。
ここで、アーリナとミサラは外出の度に鍛錬を積んでいるのだ。
「さぁ、始めましょうか。今日は遅くなりましたし、一本だけですよ」
そういって、ミサラは背中から抜いた剣をアーリナへと向けた。
アーリナもニコっと口の端を吊り上げ、斧を手元に呼び出した。
「では、アーリナ様。準備がよろしければ、どうぞ」
ミサラは深く息を吐き、その視線は優しさを脱ぎ捨て鋭くなった。
鳥の囀りさえも飲みこむような静寂と圧迫。
アーリナは地面を蹴って、一気にミサラに詰め寄ると、両手で持った斧を全力で振り下ろした。
対するミサラは瞬時に剣を反転させて、刃先を下向きにし、打ち上げるようにそれを受け止める。
ガギンッ!
金属がぶつかる鋭い音が響き渡り、アーリナの放った斬撃はあっさりと弾かれた。
斧の重さに引きずられて体勢を崩したアーリナだったが、足を踏ん張って立ち直る。
そこへ再び、ミサラの剣先がスッと突きつけられた。
「どうですか?これこそ、後の先というものですね」
アーリナの額に向けた剣を下ろすと、いつもの優しい笑みに戻るミサラ。
「もう、全然勝てる気がしないよ……」
と口を尖らせるアーリナだったが、それもそのはずだ。
ミサラはクルーセル家に来る前は、王国騎士団の部隊長を務めるほどの実力者だった。
──しかし、今はここにいる。
その理由は、ある男の闇ほど深い妬みによるものだった。
権力が集まる場には、必ずと言っていいほど派閥が生まれるものだ。
当然、騎士団の中にも派閥があって、敵対する者からすれば、成長著しいミサラは目の上のたん瘤だった。
特に王国騎士団副団長のアザハルは、周囲にも分かるほどの敵意を彼女に対して抱いていた。
ミサラは当時、王国最強の騎士である
光の魔剣士ミサラ・グレイシアス。
到底、力では抗えない──アザハルは密かに企んだ。
彼女を騎士団から追放するために取った、ある行動。
それは、ミサラの心の支えになっていた祖母に狙いをつけることだったのだ。
ミサラは幼い頃、戦争で両親を奪われた。
騎士団に入ったのも、大好きだった両親を守ることが出来なかった思いからだと聞いたことがある。
一人ぼっちになった彼女を引き取り、育ててくれたのは唯一の肉親である祖母だった。
アザハルは卑劣極まりない男だ。
とはいえ、直接手を下すような真似はしない。
騎士団の身内を消したともなれば、必然的に所属する場への調査が入ることになる。
リスクを冒す度量もない。よく言えば慎重だが、その芯は単なる臆病者だ。
では、どう始末するのが最適解か──。
祖母はミサラを自分の娘のように愛していた。
ならば、その愛する娘の命が狙われていると知ればどうするか?
アザハルは娘を暗殺集団の魔の手から救うためには、『騎士団から退団させる必要がある』と、祖母を言いくるめた。
そこで提案したのが、偽の借金──ある夜、祖母は突然、ミサラに払いきれないほどの借金があると告げた。無論、アザハルから指示されたとおりの嘘の告白だ。
祖母が彼女に見せたのは、王国の印が押された偽造の契約書。
返済期限は目前に迫り、期日までに払えなければ家を取られる状況だった。
この家は祖父の形見だ。
ミサラにとっても、祖母にとっても思い出深く、かけがえのない場所だった。
窮地に追い込まれた彼女は、祖母の涙を見て、ある決断を下した。
以前から親交のあった領主、アーリナの父ダルヴァンテを頼ったのだ。
借金肩代わりの条件は、クルーセル家での奉公──。
あれから3年の月日が流れ、ミサラは今もアーリナの家で働いている。
借金はすでに返済し終わっているが、彼女はまだここにいる。
その理由はただ一つ──アザハルへの復讐を果たすため。
ミサラは知ってしまったのだ。
この全てがアザハルの嘘だったという衝撃の事実を──。
突然訪れた、祖母の死。
知らせの文書とは別に、死後半年たってから届いた遺書の中に、アザハルとのやり取りが克明に書かれていた。
ミサラはもう騎士団には所属していない。
ここで身内を亡き者にしたところで、内部にまで調査が及ぶことはないだろうと高を括ったのだろう。
アザハルは自身との繋がりを完全に断つため、ミサラを退団へ追い込んだ事情を知る、祖母を直接手にかけたのだ。
自分の欲望のため、圧倒的悦に浸るため、祖母に全てを暴露し、心に深い傷を負わせた。
そして、アザハルは嘲笑うように、闇魔法の中でも禁呪の一つとされる【
だが、この魔法にはアザハルが見落とした盲点があった。
それはこうして、遺書を書くだけの時間があったということだ。
魔法の中には即効性があるものと、ある程度の猶予が許されるものがある。
闇魂喰はその後者だった。
祖母は禁呪魔法の影響で、一時的に気を失ってしまったが、後に目覚めた。
遺書を書いてミサラへと送り、その後、魂を貪り食われてしまったのだろう。
受け取った遺書は、ミサラの涙で文字が読めなくなるほど滲んだ。
自身を騎士団から追い出すために、愛情溢れる祖母を利用し、殺した。
──何もかもアザハルのせいだった。
ミサラの心は復讐心で埋め尽くされた。
今すぐにでも
噛み締めた奥歯からは血が滲んでいるのか、どこか鉄のような味がした。
祖母が繋いでくれたこの命、決して無駄には出来ない──ミサラは拳をギュッと強く握りしめ、怒りを必死に抑えつけた。
──このまま向かったところで、相手は王国騎士団副団長だ……。
彼女に味方する者など一人もいない。
たった一人で王国を相手にするのは到底無理な話だ。
それに腹黒いアザハルのことだ。
またどんな卑劣な手を使ってくるかもわからない。
そこで、アーリナはミサラに一つの提案を持ちかけた。
アーリナはこの家を含む領地を奪い取り、皆が幸せに暮らせる場所を作りたい。
しかし、フィットリアを治めるだけでは望む安寧は得られないのもわかっている。
世界は広い。周囲は、家族以外にも敵だらけだ。
一つの領内に閉じこもったままでは、いつかまた奪われてしまう。
力がなければ望まなくても争いは生まれ、仮初の平和は、必ず音を立てて崩れ去る。
守るためには攻めの力だ。他の領地を奪える力も備えていかなければならない。
──これこそ最大の抑止力だ。
当然、攻められれば迎え撃つことになる。いずれは国の大部分を掌握することも考えれば、敵がより強大な者たちへと移り変わっていくのは容易に想像できる。
それは王国内に限った話ではない。
隣接する大国【帝国ヴァイゼルシュタン】もまた、脅威の一つとなるだろう。
アーリナは防衛力も重要になることを見越して、自身の野望に、王国騎士団を配下に加えることを盛り込んだ。
アザハルの居場所である王国騎士団を、彼の手から奪い取ることを目論んだのだ。
(ミサラを王国騎士団の団長にして、後の始末は彼女の判断に委ねる……それに、そうそう! 王国騎士団を配下にするってことは、王国自体を敵に回すってことよね? かなりの大仕事だけど、まぁいいわ。ミサラのためだもの!)
ミサラはともかくアーリナにとっては、一歩間違えれば〝家族に対する反逆者〟としての烙印を押されるだけだが、ラーズベルド王国では国内の領地を奪い合うことが認められている。
それは、力のない領主がのさばることを許さず、国全体の戦力維持向上目的に制定された法律によるものだ。
この法律は、爵位を授かった者又は同等の権威ある者だけに適用される、厳格なルールである。
(私だって一応、周りから見ればこの家の長女だし、次期領主としての継承権だってある。爵位と同等の権威ってことよね?)
ならば、この法律どおりに奪い取ってやるだけだし、これを逆手にとれば王都がある【ザルバンシュタイン領】だってその対象としても問題ないだろう。
(前に法律書も読んだけど、別に王都を奪っちゃダメってのはどこにもなかったしね。私とミサラを邪魔する者は、皆まとめてギラギコバッタンでしょ!)
というわけで、アーリナとミサラは強い絆というべきか、お互いの道がすっぽりと重なった同志なのだ。
それにミサラのご飯は絶品だし、アーリナの胃袋は完全に掴まれていた。
嫁にしたいくらい切実に──と、アーリナは鍛錬の最中にもかかわらず、ボーッとしていた。
バシンと強烈な痛みを頬に感じる。
「──痛~い!」
拳による痛打に顔を歪めるアーリナと、「大丈夫ですか?」と心配そうに駆け寄るミサラ。
アーリナは、近づく彼女の足元に斧の柄を差し込んで、素早く払った。
ズコッと目の前でこけるミサラ。
「あいたたた……卑怯ですよ、アーリナ様」
「戦いに卑怯も何もないでしょ? 勝てばいいのよ、
アーリナの言ってることは正しい──でも、人としては最低だ。
すでにアーリナの中には、正々堂々という言葉はないようだ。
二人は顔を見合わせ、大きな声で笑う。
「じゃあ、帰りますよ。次はもう少し、買い物を早く終わらせましょうね」
「うん! でも、今日は私の勝ちぃ~」
アーリナとミサラは仲良く会話しながら、楽しげに森を抜け出した。
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