第21話 リアナの憂鬱
リアナ・クルーセルはいじけていた──。
幾度となくレインに挑み続け、「今日こそは勝つ！」と密かに心を燃やしていた。
しかし、またしても敗北……。
リアナは改めて周視し、深く息を吐いて、何事もなかったかのようにポーカーフェイスを取り戻した。
「あなたの足元を包むその魔法──回避のためのものと思っていましたが、私の予想が外れてしまいました。今思えば、着地の度に一瞬だけ、地面に吸い込まれるように消えていた。それがまさかこんな事態を生み出すことになるとはね……。私にはもう、これに対処するだけの魔力は残されていません」
自分の置かれた状況を冷静に語る彼女に、レインは優しく微笑み返す。
「フフフッ、素直でよろしいことです。焦らずともリアナ様はいずれ、私を超えていくのです。貴方が独り立ちされるその日まで、このレインにお守りさせてください。それよりも最近はあまり眠られていないご様子。しっかりと休み、魔学に専念されてはいかがですか？」
その言葉にリアナは小さく「……してるもん」と零した。
魔学──それは多岐にわたり、魔法学は勿論、魔法薬学、魔石学、魔製装備鍛工学など多くの学びの総称である。
中でもリアナが今もっとも力を入れているのは、魔法薬学でも魔石学でもなく、戦いに勝つための魔法学だ。
魔法の習得には、基本的に魔法書を用いる。
歴代の魔法使いが生み出した、魔法学の結晶──裏を返せば、魔法は新たに生み出すことも可能となる。
ただしそれには、膨大な数の古代語を理解する必要があり、その文字の組み合わせ次第で効果も大きく変わるため、深い研究の末に実験を重ねる必要がある。
リアナは日夜、魔法の研究に明け暮れたが、ここに至るまでの成果は散々なものだった……。
あるときは部屋が凍土と化し、毛布を何重にもして凍える日々を過ごした。
そしてまたあるときは、
レインにはいつも見張られているし、その目を掻い潜っての日夜の魔法研究は思いのほか大変だった。
とまぁ、色々あったがその甲斐あって、前回のレインとの試合から僅か二ヶ月という短期間のうちに、三つの魔法を発明し、無詠唱化にまで達することができた。
これには普段、あまり感情を表に出さないリアナの顔にも、抑えきれない嬉しさが溢れた。
『よし！ これならいける。次こそ必ず、あの女をぶち倒してあげるわ！』
そんな度重なる苦労も、この試合で報われるはず。
リアナは当初、勝てると確信していた。
だが、結果は惨敗──この勝敗の根底にあるのは、魔力量の決定的な差だ。
魔法はたとえ同じ魔法を使ったとしても、術者によって威力も持続力も異なる。
古代文字の理解度や魔法の練度に加え、何より魔力量が与える影響は大きい。
その魔力量だが一朝一夕に身につくわけではなく、一部例外はあれど、ふつうは歳を重ねて少しずつ熟成されていくもので、膨大な魔力量を持つ魔法使いに老人が多いのもこのためだ。
レインの種族であるエルフは、人間からすれば永遠とも言えるほどの時を生き続ける。
彼女も頑なに年齢だけは教えてくれないが、それなりの年月を生き、蓄えられた魔力量も相当なものなのだろう。
魔力の制御に長けたエルフだけに底が知れない……。
そもそも僅か七年しか生きていないリアナの薄っぺらい魔力量では、いかに上位属性というアドバンテージがあるといっても、まともに魔法戦で太刀打ちできるなど夢のまた夢だった。
彼女も当然、長期戦が不利になることは分かっていた。
唯一、リアナがレインに打ち勝つ方法は、隙を突いて一気に畳みかけること。
だからこそ、反撃の一手に全てを賭けていたのだ。
（レインは強すぎなんだよね。手をこまねいては、勝てるものも勝てない。でも、逆にあれが直撃していたら死んでたかもだし……。もう少し、魔力の調整を頑張らないとダメだな）
リアナは顎に手をあて首を傾げた。
一人佇み、頭の中で反省会をしている。
今更、あ～だこ～だと考えたところで負けた事実は変わらないが、彼女はすでに次なる挑戦へと思考を巡らせていた。
（──にしても、時間がないわ。今ある魔法ではレインには勝てないし、また別の魔法を考えなければ。今度はあの組み合わせを試してみようか……。いや、やめておこう……動物達が可哀想だ）
一体どのような魔法を考えているのか。
彼女以外に知る由もないが、ここまで駆り立てるものは何か？
それは、魔技大会への出場がかかっているため──。
………
…………
……………
フィットリア領の統治権が優勝賞品となったことは、リアナにも知らされていた。
大会には、父ダルヴァンテと母マリアが出場する──これは数ヶ月前の家族会議で決定されたことだ。
通常は個人戦のトーナメント方式が採用された魔技大会であるが、今回は特別ルールが敷かれ、チーム戦となっている。
まだ公式な発表はないにせよ、上限は魔契戦と同じく、一チーム5人までという話だ。
彼女はどうしてもその中に入りたかった。
一方、レインはと言えば、大会期間中のフィットリア領警団の総指揮を任され、出場はしない。
姉のアーリナと使用人ミサラは会議に参加しておらず、リアナの知るところになかった。
このままでは、クルーセル家は二名での戦いとなる。
（さすがのお父様でも、5対2の戦いを勝ち続けることは……。最近、明らかに様子がおかしいし。私に何か隠しているような──）
リアナも次期領主としての責任感を前面に出し、自らの参加を訴えた。
幾度となく繰り広げられる口論と、反対に次ぐ反対。
ようやく両親が折れ、レインに勝つことができればという条件付きで、参加を認める許可を得た。
（必ず勝って、私の手でフィットリアを守ってみせる）
リアナは唇を薄く噛み締め、拳をギュっと握りしめた。
彼女も幼いながらに事の重大さを十分に理解している。
この大会で負ければ、もうフィットリア領を取り戻すことは難しいということを。
毎年行われる魔法と技の祭典には多くの強敵たちが待ち構えているが、今回はいつもとは違い、初参加となるクルーセル家とライアット家が優勝候補の筆頭と見られている。
クルーセル家としても大会参加は初めてのことであるが、ライアット家も同様だ。
おそらく、順当にいけば決勝であたるのは間違いないだろう。
その彼らに負けたとあれば、反旗を翻した過去を持つクルーセル家をこの地に置いておくことは決してしない。
（領地が奪われても爵位までは失わない。けれど、ヤツの息がかかれば、どのみち何処にも行き場ない。協力者も得られず、フィットリアを取り戻すなんてもう……）
……………
…………
………
リアナは不安を隠しながらも、心の中では追い詰められていた。
首に下げた青い宝石のついたペンダント。
静かに掌に乗せ、トップ部分を開くと、中には一枚の小さな写真が収められていた。
「……ふっ、お気楽に笑ってるわね」
魔法によって転写された家族写真。
リアナが見た数少ない姉の柔らかな表情もそこにはあった。
「リアナ様、どうかされましたか？ 先ほどから、私の話が上の空のようですが？」
リアナは写真を手にボーッとしていた。
ふいに耳に届いたレインの声に、思わず肩をピクリとさせた。
「フフフ、お疲れのようですね。私は知っておりますよ。リアナ様が日々、魔法研究に邁進されているということを。今回はその賜物ですね。まさか、あれほどの魔法を無詠唱で使えるまでに理解・習得が及んでいるとは、このレイン、本当に驚きました。ですが、お願いがあるのです。しっかりと静養し、お体をご自愛いただきたいのです」
「ええ。ありがとう、レイン。それと、買いかぶりしすぎですよ。私が無詠唱で使えるのは今日見せた三つだけですし、大したことではありません」
「いいえ、大したことです。無詠唱魔法は誰でも使えるわけではありません。一つ使えるだけでも稀なことですよ？ それを三つも使えるようになったというのは、驚き以外の何者でもありません。ただ……それにしてもですよ、あの槍はやりすぎですよ、毎回、これでは私の命がいくつあっても足りませんからね」
レインはリアナに感心しつつ、ほんの少しの不満を吐露した。
リアナも小さくため息をつきつつ、小言を返す。
「ふぅ……そういうレインだって、最初から上位魔法なんて、飛ばしすぎじゃありませんか？」
「私は初めから告げておりましたよ？ 早めに終わらせましょうと。ここでリアナ様のお相手をしているほうが楽しいのですが、さすがに長時間、二人して席を開けたままではダルヴァンテ様の顔も立ちませんからね。それにこの会の後も予定が詰まっております。ええと、次は──」
懐からメモを取り出し、執務的な言葉を並べるレインに対し、リアナは少し砕けたニュアンスで応えた。
「はいはい、分かりましたよ。レインも固いところはとことん融通利かないですからね。でも『槍はやりすぎ』って……フフフッ、面白い」
「ち、違いますよ！ 狙って言ったわけじゃありませんからね。さぁ、早く戻りましょう、リアナ様」
レインは照れ隠しに背を向けると、出口へ向けて歩き出す。
リアナはその背を微笑ましく見つめると、再びポーカーフェイスを装い、後を追った。
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