文化祭の最中 4

 令和五年十月三十一日。

 午後一時ごろ。

 仁は豪雨の中で目を覚ました。

「うああぁ……っ」

 仁は寝起きが元々良くない。大雨に起こされたことも重なりかなり悪い目覚めだった。無理やり起こした体を屋上への出入り口に捩じ込む。

 身体中にドロドロのトイレットペーパーが纏わりついている。

 しばらく踊り場で放心する。

 スマホで時間を確認し、自分がかなり長時間寝てしまっていたことに気が付く。続けて、天気予報アプリを起動する。小さな赤い点がピンポイントでS市のS高等学校の辺りに表示されている。

 顔の周りのトイレットペーパーを外す。雨で脆くなっているので掴んで軽く引っ張るだけで顔から剥がれる。顔中のトイレットペーパーを外すと手の中に野球ボールとサッカーボールの中間くらいの大きさの塊が出来上がる。

 濡れ鼠の体を引きずって、二階の男子トイレへと向かう。途中、いくつかのトイレットペーパーの塊が体から剥がれ落ちたが、後で拾うことにしてトイレへと向かうことを優先する。

 トイレに着くと、個室に入り扉を閉めることもせずに、手に持ったトイレットペーパーの塊を便器の中に捨てる。体に残ったトイレットペーパーも一つずつ便器へ捨てる。

 雨に濡れた体は一気に熱を失い、かなり寒い。

「最悪だ……」

 仁は面倒に思いながらも、屋上までの道を遡って途中落としていったトイレットペーパーのカスを拾い集めた。そして、またトイレまで戻ってその塊を便器に捨てた。

 体が寒さで勝手に震える。

 さっきまで文化祭の雰囲気を感じながら、過ごしやすい陽気の中で眠っていたとは思えないほどの状態だ。

 帰ろうと思い、トイレを出て、思い出す。ペンキが溢れて一階への階段は通れない。

 どうしようか迷い、何か拭くものや暖を取るものがある可能性のある部室に向かうことにした。

 また階段を登る。

 三階の廊下を進むと、部室の無い方の壁にある窓の外で、木々が豪雨にさらされて激しく揺れている。

 突き当たりに到着する。かなり濡れているので、木島に今度こそ人違いではなく嫌な顔をされることを覚悟して扉に手を掛ける。

「ん?」

 扉が開かない。

「おーい」

 扉の向こうに呼びかけるが返事がない。扉に耳を当てるが何も聞こえない。

 しばらく放心する。

 あまりにも寒い。

 体を温めるため、とりあえず動くことにして、廊下を何往復もする。

 脳みそが多少動くようになり、木島がどこへいったのかを考える。トイレに行った可能性に思い至る。しかし、トイレに行くのにわざわざ鍵をかけるとも思えない。一応三階の女子トイレの前に行き、中に向かって呼びかけてみる。女子トイレの中にいる女子に呼びかけるなんて普通では絶対にしないが、まだ完全には頭が回っていなかった。女子トイレからの返事はなかった。

 ふと、部室棟から出られた可能性に思い至る。

 三階から階段を降りて行き、一階への階段の前へと到着する。ペンキはまだ乾いてはいなかったが、よくよく見てみると階段の端に、階段のステップの幅に切られた段ボールが置かれていた。その上を歩いて行けばペンキに触れずに階段を降りられるようになっていた。

 仁は、ゆっくりとそのダンボールの上を渡って一階に降りた。

 部室棟の出入り口からは、メイン校舎まで渡り廊下で繋がっている。渡り廊下は足元がコンクリートで舗装されていて簡易的なトタンの屋根があるだけで、横は壁がなく雨風が通過する作りになっている。

 体の横に雨を感じながら校舎に入った。ただ、雨の強さはかなり小雨になっており、数分もせずに完全に降り止みそうなほどにまで弱まっていた。ここまでずぶ濡れになるような豪雨は一瞬で終わったようだった。

 二階端の三年一組の教室に向かう。

 教室の中にはほとんどのクラスメイトが自分の席に座っており、教壇には担任教師の土岡が立っている。雨に濡れた様子のある学生は一人もおらず、雨宿りで教室に戻ったという雰囲気ではなさそうだった。

 仁が状況が分からず面食らっていると、

「遅い」

 土岡が注意する口調で言った。仁は何が遅いのかが分からなかったが、自分に対して言われたことは分かったので、反射的に「すいません」と応えた。クラスメイトのほとんどが着席しているところを見ると、仁が寝ている間に三年一組の生徒に対して招集がかけられていたのだろう。

 自分の席に着く。席についても土岡の視線は仁の方を向いたままだった。

「月原、貴重品はあるか?」

 ポケットに手をやると財布が入っていた。

「はい」

「他のみんなには言ったが、盗みがあった。分かっているだけで三年は一組と二組と四組が被害にあっている。他のクラスでも盗みがあったか確認してもらっているところだ」

 土岡はそこまで言って視線を仁から外した。クラス中を見回して、

「警察に連絡するかは他のクラスでも窃盗があったか確認した後、職員会議で決定する。今日は文化祭を続けるが、貴重品は各自持ち歩き、教室には置かないこと。教室の鍵は閉めて文化祭の終わる三時半まで開かないことになった。どうしても教室に用事がある場合は各階に見張りの先生が立っているはずなので、その先生にお願いして鍵を開けてもらうように」

 と一息に言った。そして、大きく息を吸って、

「何か質問はあるか? ……なければ、放送があるまでは待機」

 と言って教室から出ていった。

 土岡が出ていくと、教室の中がザワザワとし出す。

 周囲の会話から、誰か一人が被害者ではなく複数の被害者がいることが分かった。また、ロッカーに鍵をかけていたにも関わらず鍵が開けられて盗まれていたということだった。鍵は壊された訳ではなく被害者が複数いることから、鍵を盗んで使用したり合鍵を作って開けた訳ではなく、ピッキングされたのではという意見を誰かが話していた。

 仁もロッカーの中を一応確認することにした。ロッカーにはいくつかの教科書がはいっているだけで価値のあるものは入っていないため、普段から鍵は掛けていない。

 ロッカーは教室の後ろに並んでいる。仁は立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。周りの視線を感じる。仁は普段から目立たない人間で、そんな人間が何故ずぶ濡れになって遅れて教室に入ってきたのか気になっているのだろう。しかし、声を掛けてまで確認してくるような生徒はいなかった。

 ロッカーを開け、入れていた教科書が全て揃っていることを確認した。

 念の為、ロッカーに鍵をかけようと思い、自分の席に戻る。鍵は筆箱に入っている。

「………………」

 筆箱がない。それどころか筆箱が入っているカバンもない。仁のカバンは大きなエナメルバッグだ。どこかに落としていたとしてもすぐに分かる大きさだ。それが見当たらないのはおかしい。

 仁が教室中を見て回るのを、周囲の生徒たちが目の端で見ている。仁はカバンがなくなったことを周りに伝えないし、周りも仁に何をしているのかを訊こうとしない。

 しばらく探したが、この教室内に仁のカバンはないようだった。

 仁は自分の席に座った。カバンはないと分かっているが、教室内を見回してしまう。

 カバンを探すことに集中していたため、あまり気にしていなかったが、教室内は異様な光景だった。アニメキャラのコスプレ、ナース、メイド、ゴリラ、そして、ミイラ男。現状は仮装をしていない仁が明らかな少数派だった。

 そこで、気が付く。水崎がいない。彼は制服だったはずだ。水崎のいない理由はすぐに見当がついた。水崎は文化祭実行委員長だ。文化祭で起こった窃盗事件について、どう対応するのかを教師と話し合っているのだろう。金子のような不良ならともかく、水崎がただのサボりでいないとは考えづらかった。

 そういえば、金子の姿も教室内になかった。こちらはサボりだろう。


 令和五年十月三十一日。

 午後一時四十分ごろ。

 校内放送によるアナウンスで、土岡が説明した内容の窃盗事件に対する対応と教室の封鎖、そして、文化祭の再開が告げられた。

 三年生は最初で最後の文化祭だ。貴重品を盗まれた学生がいて盛り上がり辛くはあるが、ここからまた楽しもうという静かな意志をクラスメイトから感じる。

 一方、仁は文化祭を楽しむためではなく、消えた自分のバックを探すため、巨大なお化け屋敷となった体育館に向かった。

 このお化け屋敷は、野球部・サッカー部・バスケ部の合同で催されている。エナメルバッグが紛れるとしたら、この運動部連中に間違って持っていかれた可能性があると思ってのことだった。お金にならない使用感の強いエナメルバッグが盗まれたとは考えていなかった。

 体育館は、特殊教室棟の裏にある。三年一組の教室からは、校舎の逆の端の八組まで行き一階に降りて渡り廊下を渡って特殊教室棟の玄関前を通り抜けると辿り着く。

 体育館への道中、一定の間隔で、学校の略図が書かれた紙が貼られていた。どこにどの部活主催の店が出ているかが書かれている。S高等学校では、文化祭の出店は部活単位で行っていた。長い期間をかけて放課後の時間を使用して準備するため、部活単位で動くのが都合が良いらしかった。

 文芸部で何もしていないから、文化祭を楽しめていないのかもしれないと、少しだけ思った。

 渡り廊下を渡る時、雨が止んでいることに気が付いた。あれほどの大雨だったが、ゲリラ豪雨が去るのは一瞬だった。

 体育館の前に着く。

「………………」

 正直なところ、仁は運動部と話すのは苦手だった。友好的な会話すら難しい相手に自分のバッグを持っていったと疑っていることをどう切り出すせば良いか。それを考えずに来てしまった。

「入りますか」

 口裂け女に声を掛けられた。お化け屋敷を運営するどれかの部活のマネージャーのようだった。

「あ、えーと」

「入場料百円ですよ」

「あ、はい」

 思わず財布を取り出し百円を払う。

「あの、チケットでいただきたいんですが」

 口裂け女に言われて思い出す。S高等学校の文化祭は金券制で行われており、現金は使用できなかった。胸ポケットに入れていた金券を取り出す。一枚五十円の金券のため、二枚渡した。雨に濡れたせいで寄れていたが、十枚持っていた金券の中で比較的綺麗な金券を渡した。

「ありがとうございます」

 口裂け女にお化け屋敷の入り口まで案内される。

「一名様でーす」

「ちょっと待ってー! まだ、全員揃ってないー!」

 お化け屋敷の中から声が返ってくる。たしかに、文化祭が再開されてからまだあまり時間は経っていない。各教室から全員が戻っていないのだろう。

「すいません、少々お待ちください」

「あ、はい」

 お化け屋敷の入り口の前で待っていると、後ろに他の学生が客として来て口裂け女と話を始める。お化け屋敷への行列の先頭になってしまった。

 その後、お化け屋敷が再開されるまでに、何人かの学生が行列に加わったが、誰もがお化けの仮装をしており、普通の格好をしているのは仁だけだった。

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