文化祭の最中 1

 令和五年十月三十一日。

 午前八時ごろ。

 月原仁は正門から登校した。

 S高等学校は森に囲まれた田舎の学校だ。上から見るとコの字型に校舎が建っており、家庭科室や理科室などの特殊教室がある建物と部室がある建物を教室があるメインの校舎がつなぐ構造をとっている。コの字の中央の空間にはグラウンドがある。

 仁は正門からメイン校舎の中央にある下足場まで一直線に向かった。

 仁は自分でも注意力や観察力が低い自覚がある。周りが私服──というよりもコスプレで登校している人ばかりであることに気がついたのは教室に着いてからだった。

 アニメやマスコットキャラクターのコスプレをしている人もいるが、時節柄ハロウィンに合わせたモンスターのコスプレが多い。特に多いのがミイラ男のコスプレだった。

 大量のミイラ男を見て、仁は自分もミイラ男の格好をしてくるように言われていたのを思い出した。

 先日、金子光士に言われていたのだ。なんでも、学校中を巻き込んでのフラッシュモブを行うらしく、そのために格好を揃えるのだとか。大多数の生徒は面倒に感じているが、三年生の一軍の一部が乗り気であるため、強制参加させられることとなった。

 あまりにも自己中心に周りを巻きこむ催し物なので、無視しようかとも思ったが、金子はS高等学校唯一の不良であり、暴力事件を何度か起こしていた。無視して殴られる可能性もゼロではない。

 仁は自分がいつも通りに来てきた制服を見下ろして、しばらくどうするか考えた。

 仁はカバンの中を見た。仁は文芸部であるが、運動部がよく使っている大きなエナメルバッグを使っていた。高校入学前に、高校生がよく使っているのを見かけるバッグだと思って買ったものだった。注意力の無さから運動部に使っている人が多いことに気が付かなかったのだ。

 文芸部にユニフォームなどの嵩張る荷物はない。大きなエナメルバックはいつも軽かった。特に今日は文化祭で、不要な持ち物は入れていないため、エナメルバッグの中には教科書すらなく、一応持ってきていた筆箱が入っているだけである。仮装に使えるようなものはなかった。

 頭の中で何度も、ミイラ男、ミイラ男と反芻する。

 そこでふと閃いた。

 ミイラ男の仮装をするために、包帯の代わりにトイレットペーパーを全身に巻けば良いのではないか。

 仁はトイレへと向かった。


 令和五年十月三十一日。

 午前八時三十分ごろ。

 仁はトイレの個室でトイレットペーパーと格闘していた。

 トイレットペーパーの耐久性は想像以上に弱く、身体中に巻く時に体を少し捻っただけで破けてしまう。誰かに手伝って貰えばある程度の強度を持つまでぐるぐる巻きにしてもらうことも出来ただろうが、仁には友達が一人しかいなかった。

 スマホを取り出し、『HELP』という文言と共に自分の今の状態の自撮りを灯子に送った。

 しばらくして灯子から『は?』とだけ返信が来る。

 仮装を手伝ってほしい旨を説明すると、灯子から学校に来ていないと返信が来た。

『え? 来てないの?』

『どうせ出席も取らないんだし行かなくてていいじゃん 仁も帰れば?』

『でも、なんかフラッシュモブに参加させられるっぽいんだよね』

『は? どういうこと?』

『フラッシュモブは、たくさんの人が突然同じダンスしたりするやつだよ』

『フラッシュモブは知ってるよ なんでそれに参加すんの?』

『強制参加』

『聞いてない』

『男子だけっぽいよ』

『なんでそれに参加すんの?』

『学校中の男子が参加するからやらないと浮く』

『学校中の男子が参加するなら一人ぐらいいなくても大丈夫でしょ』

 仁は一人のトイレで「確かに」と呟いた。

 トイレから出てグラウンドを向いている窓に近づく。S高等学校の文化祭はグラウンドでの活動が主で校舎は利用しない。窓から見える風景だけでどの程度の数のミイラ男がいるかが分かる。正直、一生徒の我儘で全男子生徒が同じ衣装を着るとは思えなかった。三年生で一番の不良とスクールカーストのトップ連中がどれだけの力を持っているかは分からないが、もしかなりの力があり大量のミイラ男がいれば、確かに、帰っても良いように思える。

 しかし、窓からはグラウンドの様子は見えなかった。仁の視界には一面の真っ白い布があるだけだった。

 そこで、仁はこの建物の状態がどうなっているかを思い出した。

 コの字に並んだ三つの建物に囲まれたグラウンドで行われる文化祭。その空間から周りを見た時に非日常感を演出するために、各建物の屋上からは垂れ幕が降ろされていた。垂れ幕にはハロウィンに合わせた夜の古城や空を飛ぶバンパイア、色とりどりのお菓子などの絵が描かれている。

 仁はその垂れ幕の真っ白な裏側を見ていた。

 一階に降りて、外の様子を伺うことにする。仁のいたトイレは二階にあったため階段に向かう。しかし、仁は階段の手前で足を止めた。

 二階から一階に向かう階段に大量の赤いペンキがぶち撒けられていた。

 階段の折り返しにある踊り場にバケツほどの大きさの缶が倒れている。その中から溢れた赤いペンキは少しも乾いておらずぬらぬらと光っている。

 八時を少し過ぎたときにこの階段を上ってトイレに向かったが、そのときにはペンキは溢れていなかったし、そもそもペンキ缶を見かけなかった。このペンキはそれ以降にこぼれたものだろう。

 これでは下に向かうことはできない。

 どうしたものかと考えながら、ペンキに触れないギリギリまで階段を降りていく。踊り場より下の階段はペンキに塗れたひどい有様だった。

 階段の状態を見ていると、階下に知っている学生がいるのを見つけた。同じクラスの水崎みずさきゆうという生徒だった。

 彼は漫画に出てくる人気者をそのまま現実に連れてきたような男で、誰にでも分け隔てなく話すため、友達のいない仁でも何度か話したことがあった。成績優秀で運動神経も良く、今回の文化祭の実行委員長をしている。仮装はしておらず、制服を着崩すことなく着ていた。

「月原くん。何してるの、そんなところで」

 水崎は意外なものを見る目で言った。

「えーと、ちょっとミイラ男の仮装をするためにトイレに篭ってて」

「あぁ、そうなんだ」

「あ! これ僕じゃないよ」

 仁は目の前の赤いペンキを両手で指差しながら慌てて言った。

「だろうね。なんとなく犯人の予想はついてるよ」

 水崎はイライラを表に出しながら言った。

「月原くん、金子には会った?」

「金子? 会ってないけど……」

「そうか。さっき金子もそっちにいてさ。しばらくここは通れないだろうから、この校舎内にいる人に通れないことを伝えて回ってくれって言ったところなんだ」

「そうなんだ……」

 仁は金子と同じ空間に閉じ込められたことに気が付き、嫌な汗をかいた。

「これから先生にこの状態を伝えるけど、通れるようになるのには結構時間がかかるかもしれない」

「分かった。しばらくこの中で時間を潰すよ」

「なるべく急ぐよ。じゃあ、また」

「ありがとう」

 水崎の姿が見えなくなるまで、仁はしばらくただ突っ立っていた。

 すぐに帰ることはできそうにないし、金子が近くにいることが分かった。現状、できることは金子から隠れることだけだった。金子に見つかってしまえば、フラッシュモブをサボりづらくなる。

 もう一度トイレに引き返し、個室の中に入る。

 これからどうしようかと考えていると、遠くにチャイムが聞こえた。チャイムをかき消すような歓声も聞こえる。

 学校としては四年ぶりの、生徒達にとっては初めてのS高等学校文化祭が始まるようだった。

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