十一月一日 12

 令和五年十一月一日。

 午後三時四十二分。

 灯子は生徒会室の前にいた。

 生徒会室は職員室の隣にあった。土岡と別れてからすぐに向かった時は誰もいなかったため、一旦教室に荷物を取りに行き戻って来ていた。

 ノックをすると中から返事があった。ドアを開けると見知らぬ女子生徒がこちらを向いて座っている。

「えーと、生徒会長いるかな?」

「もうすぐ来ると思いますよ」

「そっか」

「この部屋で待たれてもかまいませんよ。ですが、学年、クラス、名前、ご要件の確認だけさせていただけますか?」

 女子生徒の雰囲気は優しかったが、入室時に名乗らなかった灯子を責めているようでもあった。

「三年一組の火村灯子です。生徒会長に昨日の文化祭を撮影した映像を見せてもらう約束があって来ました」

 女子生徒の雰囲気に飲まれ、敬語になってしまう。

 見たことがない生徒だと思っていたが、よく見ると生徒会副会長だった。副会長の就任スピーチでも優しくてしかし圧のある雰囲気を感じたことを思い出した。

 灯子が名乗るだけ名乗り立ったままでいると、副会長は椅子を手のひらで指し、

「お座りになってお待ちください」

「はい。失礼します」

 灯子は指されたパイプ椅子に座った。生徒会室は長机がコの字に置かれており、一つの長机に対して三つのパイプ椅子がセットになっていた。コの字は出入り口に向かい開いる。副会長は奥の長机の右側に、灯子は左側の長机の出入り口側に座っている。対角線で一番離れた位置だった。

 それから五分間は沈黙が続いた。灯子はただ座って、副会長は何かの書類の整理をしていた。

 生徒会室の扉が開き生徒会長と書記長が入ってくる。

「すいません。お待たせしましたか?」

「いや、今さっき着いたところ」

「そうでしたか」

 生徒会長は背中に背負っていたリュックをお腹に回し、リュックの中からビデオカメラを取り出した。

「約束の品です」

 生徒会長はそれを片膝をついて両手で差し出した。

「ありがとう」

 灯子がビデオカメラを受け取ると、生徒会長は満足げに自分の定位置であろう奥の長机の中央に座った。

 ビデオカメラを開いて操作する。録画されている動画一覧を確認すると十月三十一日に撮影された動画が何本かある。動画一本の長さは十分から三十分程度がほとんどだったが、一時間を超えている動画が一本だけあった。

 最初の動画を再生する。

『来年の文化祭の参考資料として、動画とってまーす』

 ビデオカメラから映像と共に声が流れる。灯子の想定の倍以上の音量だった。急いで音量を下げるが、少しだけ操作に手間取り、数秒音声が流れ続けた。ミュートにでき、副会長の様子を横目で確認する。何も気にしていない様子で生徒会長と書記長と何か話していた。

 灯子はビデオカメラの中の映像を見る。

 グラウンドの中央にある櫓の周りを歩きながら、垂れ幕でできた巨大絵やテントなどの文化祭のメイン空間を全て大雑把に撮影している。櫓の周りを一周し終えると、テントの方に近づき、一つ一つのテントを撮影していく。焼きそば屋やたこ焼き屋を回るが一つのテントにかける時間が長い。早送り機能を見つけたので、8倍速で動画を確認する。いくつかのテントを見、とあるテントで等倍速に戻す。それは、紅茶やカフェラテなどのタピオカドリンクを売っているテントだった。周囲の環境も画面には映っており、部室棟側に並ぶテントの一番森に近い側であることが分かる。文化祭開始早々に潰れたテントがこの映像の中では立っていた。しばらく動画を流し、気になる部分があり停止する。テントの内側に張られている梁が一本足りなかった。おそらく梁が足りなかったためテントは崩壊したのだろう。そこからは8倍速で再生し、気になる部分もなく、灯子は一本目の動画を見終えた。

 二本目の動画を見る。体育館の動画だ。8倍速で再生しすぐに見終えた。体育館の中には入らず外の様子を撮っただけの短い動画だったからだ。

 三本目。特別教室棟内の動画だった。S高等学校には美術コースがあるため、美術系の教室が多い。各教室では立像や絵画の展示がされていた。家庭科室で出店用の料理の準備がされていたり、音楽室で軽音部や吹奏楽部が演奏の準備をしていたりした。気になる部分はなく、これもすぐに見終えた。

 四本目は正門側から見た校舎の動画だった。文化祭に関係する部分はなく、一応撮っておいたような動画なのだろう。しかし、この動画にこそ灯子の求めていたものが写っていた。動画の先頭から一分四十秒の箇所で、三階を移動するミイラ男の姿が写っていたのだ。何度もミイラ男の写っているシーンをリピートする。ミイラ男は二年四組から三組に移動しているようだった。ミイラ男はカバンを肩にかけていた。カバン自体はよく見えないが、カバンの紐は仁の使用しているエナメルバッグと同じように見える。

 灯子は動画を停止し、さっきまで再生していた四本目の動画の撮影情報を見る。撮影開始時刻は『2023/10/31 09:41:23』となっている。つまり、ミイラ男が二年四組から三組に移動した時刻は動画の時刻に一分四十秒を足した九時四十三分ごろと言うことになる。

 灯子はスマホを取り出し、昨日の仁とのやりとりを見返した。仁から部室棟の屋上からの風景が送られて来た時刻は九時三十四分だった。ミイラ男が校舎の三階にいるのはその約九分後。九分あれば部室棟の屋上から校舎の三階へは移動できる。アリバイにはならない。

 灯子は大きくため息をついた。

 四本目の動画を再度再生した。初めから再生される。早送りをしていくと、校舎正面から部室棟の方向へ移動していった。部室棟も文化祭に関係する部分はなく中に入りはしなかったが、出入り口から見える赤いペンキに塗れた階段はしっかり撮影していた。時間帯的に水崎が作った段ボールの足場があるはずだが、外からの撮影では暗くて確認できなかった。

 五本目の動画はどこだかわからない場所を撮っていた。物置のような雰囲気で、動画はすぐに終わった。

 六本目も一瞬どこだか分からなかった。しかし、画角が動くにつれ分かった。灯子が今いる生徒会室だった。部屋の奥側から取られた動画で、三つの長机が写っている。長机の配置はコの字ではなく、一つがカメラの手前に、二つが出入り口と廊下側の窓際に置かれている。机の上には現金と金券が置かれていた。どうやら、生徒会室は文化祭中は金券売り場として使われていたようだった。現金を数えたり金券を同じ枚数重ねておいたりして、動画は終わった。

 灯子はその動画を見て、自分の財布の中に五百円分の金券があることを思い出した。灯子は文化祭に参加していないが、文化祭費用の余りが生徒に還元され、文化祭への参加不参加に関わらず全員に五百円分の金券が配られていたのだ。換金可能であるため捨てずに持っていた。たしか今週中が換金期限だったはずである。

 続いて、七本目を再生した。動画の初めから櫓の上で軽音部が演奏しており、演奏の初めからは録画できていなかった。しかし、軽音部の演奏は二時間も開始が早まっていたため、仕方がないことだった。グラウンドの中央にある櫓の上での演奏のため360度から見られてはいたが、軽音部の面々は校舎側を正面として演奏しているようだった。カメラは良い位置に陣取り軽音部を正面から撮影していた。演奏が終わり、バンドが交代するようで次のバンドが準備を始めた。そのタイミングでカメラが一周して周りの生徒の様子を写した。回転の速度が速くてぼやけているが周囲が盛り上がっているのが分かる。撮影した本人たちも回転が早すぎてうまく撮れていないことに気づいたらしく、ゆっくりと回転を始めた。しかし四分の一周もしないうちに、軽音部方向に画角が移動する。軽音部が演奏を開始していた。音がなくても盛り上がっているのが分かる。しかし、その演奏は盛り上がりの最中に止められた。画面には『充電してください』と表示されていた。

 灯子は生徒会長の方を向く。生徒会長もちょうど灯子を見ているところで目が合う。

「どうかしましたか?」

「ごめん、充電が切れそうで」

「あぁ、すいません。朝から充電していませんでした。えーと、充電器充電器」

 生徒会長は壁際に配置されたロッカーの一つを開けて中を探した。副会長と書記長がその様子を眺めている。その状態から副会長だけが灯子の方を向き、二人の目が合う。副会長は微笑んでいるたため、充電器を探すために三人で行っていた業務が途切れたことに対してどう思っているか顔からは読めなかった。

 灯子は背筋を伸ばして充電器が見つかるのを待った。

「ありましたー」

 生徒会長が充電器を頭上に掲げて言った。生徒会会長は灯子に近づきながら、

「火村先輩、音を気にされてましたけど、全然出して大丈夫ですよ。あと、その画面小さかったらテレビに繋いでもらっても良いですよ」

「いや、流石にそこまで迷惑は……」

「大丈夫ですよ。なぁ?」

「はい」

 生徒会長の呼びかけに書記長が答えた。副会長は微笑みを返しただけだった。

「いや、遠慮しとくよ」

 灯子の言葉に副会長が立ち上がりながら、

「遠慮しないでください」

 と言った。続けて、生徒会長に向かって、

「吉岡くん遅いから様子見てくるね」

「了解」

 副会長は生徒会室から出て行った。灯子は邪魔をしてしまっていることを謝罪しようと思ったが、それより前に出て行ってしまった。

「先輩、僕繋ぎますよ」

 生徒会長はそう言って灯子の手にからビデオカメラを抜き取った。生徒会長は部屋の角にある30インチはありそうなテレビから伸びたコードにそれを繋いだ。充電器も繋ぐ。そして、先ほどまで自分が座っていた椅子をテレビに向け、

「どうぞ」

「なんか、悪いね」

「いえいえ、気にしないでください」

 灯子はテレビを向いた椅子に座り、ビデオカメラを操作した。軽音部の演奏が映った動画を再生する。テレビから軽音部の演奏が聞こえてくる。

『間に合ったー』

『どこがだよ』

『いや、ギリセーフギリセーフ』

 生徒会長と書記長の会話も聞こえてくる。

 動画を早送りすると、生徒会長の「え」という声が背後から聞こえた。振り返ると生徒会長と書記長もテレビ画面を見ていた。

「軽音の演奏聞かないんですか?」

 灯子は彼らに文化祭の動画を見たい理由を話していない。文化祭がどんな様子だったのかを見たいだけならば、グラウンドの中央で行われる軽音部の演奏はメインコンテンツのように思える。しかし、窃盗犯が映っていないかを探す灯子にしてみれば、櫓の上の数人だけが映る映像は飛ばす部分だった。

「文化祭の雰囲気が見たいからさ。演奏の部分はいいかな」

「そうですか……」

 画面が大きくなったため、映像の細かい部分まで見れるようになった。早送りの画面の中で一瞬だけ部室棟の垂れ幕が風に揺れて、その奥に開け放たれた窓が見えた。文芸部室の前の垂れ幕は地面と固定するためのロープが穴に通されていなかったことを思い出した。垂れ幕はそのせいではためいていたようだった。しかし、それ以降は窓が見えるまでの風が吹くことはなかった。

 バンド交代のタイミングで等倍速での再生に変更する。

『周りも撮っとこうぜ』

『そうだな』

『……撮れた? 回るの速くない?』

『もう一回回るわ』

『あ、ちょっと始まる始まる』

『えあっ』

 演奏が始まる。

『おいー、また曲の頭取れてないじゃん』

『音入ってればいいだろ?』

 灯子はまた早送りする。大画面で見ても新たな発見はなかった。

 演奏を終えたバンドが片付け出したところで等倍速に戻す。また別のバンドに変わるようだった。ドラムを交換するのか先ほどよりも大掛かりな転換が行われるようだった。

『いや、指定校推薦でもキツくない?』

 生徒会長と書記長の二人は演奏中もずっと会話をしていたようだった。

『でも、推薦貰えさえすれば落ちないだろ』

『でも、一応さ、面接対策とか小論文対策とか必要だろ?』

 画面の中の二人は会話しながらも、周囲の様子をゆっくりと回転しながら写していた。

『今年の二年の実行委員って誰だっけ?』

『吉住じゃない?』

『あいつが来年もやるんじゃないの?』

『いやーやらないだろ。明らかに面倒くさがってたっしょ』

『じゃあ、誰がやんだろうな』

『就職組だろ。受験組はこの時期、文化祭実行委員なんてやってる暇ないしさー』

『まあ、暇じゃなきゃできないか』

『俺たちには無理だなー。水崎先輩じゃないと無理だなー』

『うわっ! 水崎先輩暇人扱いしてるじゃん!』

『水崎先輩暇人だしなー』

『うわっ! ヤバ、こいつ』

 灯子は動画を五秒ほど戻り再生した。

『水崎先輩暇人だしなー』

『うわっ! ヤバ、こいつ』

「ちょっと! やめてくださいよ! めっちゃ弄るじゃないですか!」

「水崎先輩には言わないでください!」

 もう一度戻って再生する。

『水崎先輩暇人だしなー』

『うわっ! ヤバ、こいつ』

 三度の再生に生徒会長と書記長は更に何か言っていたが灯子の耳には、生徒会室にいる彼らの声も、櫓の前にいる彼らの声も届いていなかった。

 灯子はただテレビ画面を見つめていた。

 画面上では部室棟の前をミイラ男が歩いていた。これまでにもミイラ男は何人も写っていたが、そのミイラ男は確実に仁のエナメルバッグを肩にかけていた。何度もその部分を再生する。その度に、ミイラ男が部室棟の前を出入り口側から文芸部側に向けて歩いた。

 動画の時間を確認する。開始から二十八分経っていた。動画を停止し、動画の撮影開始時刻を確認する。『2023/10/31 11:01:59』となっている。つまり、窃盗犯は十一時半にグラウンドを歩いている。仁の姿が部室棟の屋上にあるのを一年生が撮影した時刻は十二時二分。アリバイにはならなかった。

「どういう状況?」

「さぁ?」

 生徒会長と書記長の疑問が聞こえたが、聞こえなかったふりで再度動画を再生した。初めから再生された動画を早送りする。先ほどまで見ていた場所で等倍速に戻す。

『水崎先輩暇人だしなー』

『うわっ! ヤバ、こいつ』

 二人の会話の後ろで流れていたギターとベースのチューニング音が止む。それに気づいたカメラが櫓を向き、カメラが正面を捉えた状態で演奏が始まった。そこから先に灯子が気になるシーンはなかった。

 それから残りの動画を見たがそれにも気になるシーンはなかった。

 灯子は二人に礼を言って生徒会室を後にした。

 二人が灯子を見る目が、天才と言われている先輩を見る目から変わり者の先輩を見る目に変わっているように感じたが気にならなかった。

 灯子の頭は調査内容の精査で忙しかった。

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