十一月一日 3
令和五年十一月一日。
午前八時十分。
灯子は木島のクラスを知らないため、各クラスの中を見て周り、六組に木島の姿を発見した。自分の席に着いて本を読んでいた。
「ちょっといい?」
「いいよ。なにかな?」
「昨日のことで聞きたいことがあるんだけど」
「昨日のこと?」
「部室棟の一階の階段さ、ペンキで通れなくなってたでしょ?」
「うん」
「あれって、いつ通れるようになったの?」
「九時半くらいかな」
「九時!?」
「九時じゃなくて、九時半だよ」
「九時半……」
仁には完全にアリバイがなくなった。今朝の時点では、アリバイがないからという理由では犯人扱いできないと土岡に直談判するつもりだった。しかし、今の仁には状況証拠がある。アリバイがないのはまずい。
「………………」
思考停止。
調べるほどに状況が悪化している。調べなければよかった。
「どうしたの?」
「………………」
「………………」
木島はフリーズした灯子を無視し、本を読み始めた。しかし、完全には本の世界には入れず、近くでただ何もせずに立つ灯子に何度か視線を向けた。
「あの、どういう状況で通れるようになったか教えてくれない?」
灯子は何とか思考を取り戻した。このままではかなり仁の立場が悪いため、何とか仁が犯人ではないとする情報を探し出さねばならない。
「水崎くんが部室まで来て、階段の端に段ボールを敷いて通れるようにしたって教えてくれたの」
「……他に何か言ってなかった?」
「特には」
「そう……」
「……どうかしたの?」
「いや、仁が窃盗事件の犯人に疑われててさ」
「えっ」
「部室棟に閉じ込められていたら、アリバイができたからさ」
「……ごめん。水崎くん段ボールを敷いたこと以外に言ってた」
「え、なに?」
「いるはずの金子くんと月原くんがどこにもいないって」
「……金子も?」
「うん。金子くんもだけど、月原くんもだよ」
「仁は屋上にいたんだ」
「屋上? 入れるの?」
「ドアの鍵が開いてたらしい」
「そうなんだ……屋上?」
「? そうだってば」
「……火村さん、金子くんが亡くなったのは知ってる?」
「知ってる。ニュースで見た」
「あれさ、部室棟の屋上から落ちての転落死なんだって」
「………………」
「………………」
思考停止した。
令和五年十一月一日。
午前九時三十分。
灯子は三年一組の自分の席に着席していた。
土岡の話を聞き流す。文化祭の片付けについて。金子の通夜について。
灯子の頭に少しの情報も残さず、土岡の話は終わった。
土岡が教室を出ていくと、大半の生徒もそれに続くように出ていった。
灯子は席に座り続けた。
頭では、金子の死について考えていた。
昨夜の仁の話には、金子の転落死の話題が出てこなかった。そのため、仁の帰宅後にどこかから落ちてなくなったものだと思っていた。
しかし、さきほどの木島の話で考えが変わった。
金子は九時半の時点で閉じ込められていたはずの部室棟の中にはいなかった。
金子は部室棟の屋上から転落して死んだ。
つまり、九時半以前に金子は部室棟の屋上から転落死していたと考えられる。
するとどうなるか。
金子が死亡したとき、死んだ場所である部室棟から金子と同時に姿を消していた人物が現れる。
月原仁だ。
今まで、勝手に金子の死は事故死だと思っていた。
しかし、もし殺人事件として扱われていたら、仁も容疑者になってしまう。それどころか、今は事故死として扱われていたとしても、仁の存在が警察に伝われば事故死から殺人事件に捜査方針が変わってしまうかもしれない。
今朝から状況がどんどん悪化している。
調査を進めれば進めるほど状況が悪化するため、調査を止めたくなる。しかし、状況を良くするためには調査をするしかない。
まずは何を調べればいいだろうか。
灯子は金子の死亡した状況を何も知らない。先ほど死んだのが部室棟の屋上からだったと知ったぐらいだ。
そこまで考えて灯子は自分の愚かさに気づいた。金子の死についての情報を何も知らないで、最悪の事態だけを自分の脳内に作り出していただけであることに今更気づいたのだ。
もしかしたら、今までの想像は全て杞憂で、金子の転落は目撃者がいて事故であることが明らかな可能性もある。部室棟から消えたのは、ただ単に水崎の確認不足で金子が死亡したのはそれ以降の可能性もある。
それによくよく考えれば、九時半に死んでいたとしたら死体が発見されるのが遅すぎる。金子の死によって文化祭は切り上げられ、片付けは今日に延期になったのだから、発見は仁が帰宅した午後二時半以降ということになる。五時間も死体が見つからないなんてことはないはずだ。
灯子は大きく息を吐いた。
杞憂だ。
金子と仁が部室棟からいないという話の直後に、その部室棟の屋上から金子が転落死したという話をされて、頭の中で話が勝手に結びついてしまっただけだ。木島の話し方も良くなかった。あれは完全に二つの話を結びつける言い方だった。
それに、殺人事件として扱われているのであれば、学校の周りには警察やマスコミがいそうなものだが、まったく見かけていない。
完全な杞憂だ。
思考を取り戻した灯子の耳に教室に残っていた男子生徒の会話が聞こえてくる。
「お前、それは悪趣味だって」
「いや、撮ったの俺じゃないって。回って来たの」
「なんかそこまでグロくないな」
「まあ、部室棟って三階建てだしな」
「三階建てって?」
「一階があって、二階があって、三階がある建物を三階建てって言うんだよ」
「うざ。そうじゃなくて。『この写真そこまでグロくないよね』『うん。部室棟は三階建てだもん』って意味分かんねえだろって」
「なんかかなり高いところから飛び降りたら、衝撃で肉片が飛び散るって聞いたことあったからさ。三階からだとそこまでではないなって」
「あーはいはい、そういう意味ね。確かに、血もなんかあんまり流れてないしな」
「血はあれだろ、雨で流れたんだろ」
「え? あー確かに、死体めっちゃ濡れてるな」
灯子は死体という単語に振り返る。それまでの話の内容から察するに、金子の死体の写真を見ているようだった。
灯子は話をしていた二人の男子生徒に近づいた。
「それ見してもらえる?」
「え、お。何? 火村こういうの好きなの?」
灯子と二人は同じクラスであるが、今のが初めての会話だった。二人は初めて話す女子が死体の写真に興味を示したことに驚き戸惑っているようだった。
「ちょっと、確認したいことがあって」
「えー何?」
言いながら男子生徒はスマホの画面を灯子の方に向けた。
そこには、カボチャや石柱に囲まれ仰向けに横たわるミイラ男の写真がある。姿がミイラ男であるため金子かどうかは確認できない。本格的ではない学生レベルのミイラ男の仮装にはどこかフィクションの雰囲気がある。
「……これ本物?」
「さー?」
「たぶん」
二人して煮え切らない答えだった。
写真の場所は部室棟の前で、各種ハロウィンを意識したオブジェが置かれている。文化祭中の部室棟前の写真であることは間違いないだろう。
さきほどの二人の会話にもあった通り、体に大きな欠損はないように見える。頭から血が出ているが量は多くなく水で流された後がある。死体の全身が濡れているのも見て分かる。
「二枚目も見る?」
スマホを持った男子学生が言った。
「二枚あるの?」
「四枚ある」
「見せて」
男子学生がスマホの画面をスライドさせると二枚目の写真が表示される。
一枚目とほどんど同じ写真だった。
「三枚目見せて」
三枚目の写真は別角度から撮ったようで、一枚目ではカボチャに隠れていて見えなかった部分が見える。死体の手のひらの部分の包帯が一部剥がれていた。
「四枚目見せて」
四枚目は三枚目とほどんど同じ写真だった。
四つの写真とも死体の前にオブジェがあり、見えない部分が多かった。
「もういい?」
「ごめん、ありがとう」
そう言って灯子は二人から離れようとしたが、金子の転落死について知らないことをこの二人に聞くことにして、二人の方に向き直った。
「ごめん、聞きたいことある」
「なに?」
「金子ってなんで死んだの?」
「なんでって?」
「いや、事故とか自殺とか」
「自殺じゃないでしょ、金子だよ。たぶん事故なんじゃない? 詳しくは知らないけど」
「金子っていつ死んだの?」
「死んだのは知らないな。死んでるのが見つかったのは三時前とかだったかな」
「見つかった場所って分かる?」
「向こうの一番端。部室棟の前」
男子学生は窓を指差して言った。今まで話していなかった方の男子学生が、
「火村って、金子と仲良かったの?」
と訊いた。
「全然」
「グロいの好きとか?」
「全然。ちょっと調べてるだけ」
「調べてるってなんで?」
灯子は口籠る。仁と金子の死が関わっていないことを確認するためと答えることはできない。仁に余計な疑いがかかるのは避けたかった。
「なんとなくかな」
男子生徒二人は納得していない顔で視線を合わせた。
「長々とごめんね。ありがとう」
灯子はその場を切り上げ、教室を後にした。
階段を降りて一階に着き立ち止まる。どこに行くかはまだ決まっていなかった。
外に出れば部室棟で、校舎内を進めば職員室がある。
灯子は少し迷って、職員室に行くことにした。
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