十一月一日 6

 令和五年十一月一日。

 午前九時四十五分。

 サッカー部の八木に話を聞きに行くため、灯子は体育館に向かっていた。

 体育館に向かうためにグラウンドを歩く道中、灯子は転落死と窃盗事件のどちらを先に調べるべきかを考えていた。

 転落死は、現在、仁に容疑はかかっていない。

 しかし、金子が転落死した部室棟から金子が消えるのと同時に姿を消していたことが知られれば、容疑がかかる可能性がある。殺人事件は窃盗事件の比ではない。容疑がかかる前に反論できる証拠を掴んでおきたかった。

 一方で、窃盗事件は、現在、仁に容疑がかかっている。

 真犯人と思われる怪しい人物の目撃情報は見つかったが、その人物の特徴が仁と同じであり、より濃い濡れ衣を着せることとなってしまった。かなり広い範囲で窃盗が行われていたため目撃者がいる可能性は高いが、その目撃者が真犯人の他の特徴を見かけていなければ、仁の疑いを晴らすという目的を考えると意味のない調査になってしまう。ただ、他の特徴が見つからなくても、仁が部室棟に閉じ込められていた時間に窃盗の瞬間が目撃されていた場合、仁のアリバイができる。それに賭けるしかない。とにかく、目撃者を探す以外には調査のしようがない。そして、目撃者探しはひたすら聞き込みを行うことでしか見つからない。

 灯子は転落死についての情報を得られそうな人に聞き込みを行う中で、窃盗事件についても質問をする方針で調査することに決めた。

 考え事をしていたせいで、体育館目前まで来てようやく自分が運動靴を履いていることに気が付き、下足場へと戻ることになった。遠回りをしてしまったが、そのおかげでタイミング良く下足場で水崎を見つけることができた。

「水崎、ちょっといい?」

「いいよ」

 話しかけると水崎はすぐに返事をした。文化祭実行委員長で忙しいのを感じさせない余裕がある。

「部室棟の階段でペンキが溢れているのを発見したときのことを教えてほしいんだけど」

「そんなこと知ってどうするの?」

「ちょっと知りたくてさ」

「うーん。そうか」

 水崎は腕時計を確認した。ちょっと知りたいくらいのことであれば時間は使いたくないという雰囲気だ。

 灯子はしょうがなく事情を少し話すことにした。水崎は仁と金子が部室棟から消えた子とを知っていたが、仁と金子の転落死を結びつけていない可能性がある。窃盗事件の冤罪についてのみ話すことにした。

「昨日、窃盗事件あっただろ?」

「……そうだね」

「仁──月原がその犯人にされそうなんだ」

「犯人にされそう? 月原くんのカバンから盗まれたものが見つかったんだよね。その状況で月原くんが犯人じゃないっていうのは、どうかな」

「仁もカバンを盗まれたんだよ。で、盗んだものを入れる入れ物に使われたんだ」

「……なるほどね。ただ、それが言い訳じゃないって言い切れるかい?」

「月原のカバンがどこで見つかったか聞いてるか?」

「いや。教室にあったんじゃないのかい?」

「渡り廊下に置いてあったんだ」

 灯子は部室棟の方向を指差しながら言った。

「しかも、一回窃盗があって教室にクラス全員が集められた後に発見された。窃盗があったことが知れ渡った後に、自分のカバンに盗んだもの詰めてあんな場所に置いておくか? しかも、見つかった時間は月原は体育館にいて、カバンの傍にいなかった」

「それが本当なら確かに犯人の動きじゃないように思えるね」

「カバンが見つかった時間と場所は土岡先生に確認してもらえれば分かるよ。体育館にいたのも誰か覚えてると思う。仮装もしてなかったし、教室に集められた後の最初の客だったみたいだし」

「月原くんは仮装してたよ。ミイラ男の格好をしている月原くんとあってるからね」

「そのあと制服に戻ったんだよ。だから顔も覚えられているはずだ」

「そうなんだ。確かに仮装をしていなければ誰かが覚えているかもしれないね」

「あぁ。ただそれだけだと月原が犯人じゃないと言い切れないから、いろいろ調べてるんだ。月原が部室棟に閉じ込められていたときに窃盗があった証拠が見つかれば冤罪を証明できる」

「それで、ペンキが溢れていたことについて訊いてきたのか」

「そうだよ。どれくらいの間部室棟から出られなかったのか知っておきたいんだ」

「僕がペンキが溢れているのを見つけた時は八時二十分くらいだったと思う。文化祭の開始前だったから。段ボールの端材で道を作ったのは一時間後の九時二十分くらいだったと思うよ。──あれ?」

 水崎は急になにかを思い出した様子で、

「でも、部室棟から出られるようになった時、月原くんはいなかったよ」

 と続けた。

「月原は屋上にいたんだよ」

「屋上?」

「あぁ。屋上に出るドアの前にスペースあるだろ。そこで寝てたんだと」

「そういうことか。屋上に出てたのかと思った」

「目が覚めた後は屋上に出たらしいけどな」

「え?」

 水崎の反応に、灯子は自分の失態に気がついた。金子は部室棟の屋上から転落死した。仁がその屋上にいたことをつい言ってしまった。

「どうやって出たの? 鍵がかかってたはずだけど」

「……いや、開いてたらしい」

「そんなはずは……。文化祭の前日は見回りで部室棟の屋上にも行ったんだけど、撤収するときは鍵は確実に閉めたていたはずだよ」

「そうなの?」

「間違いなくこの目で見たよ」

「その鍵を閉めたのは何時くらい?」

「六時くらいだったと思う。巨大絵の設置は部室棟が最後だったから」

「屋上の鍵の管理って、誰がしてるか分かる?」

「古典の日高先生だよ」

「日高先生か……」

 下足場は職員室から近い。体育館に行く前に日高に鍵のことを聞こう。

「他に何か聞きたいことはあるかい?」

「ペンキが溢れているのを発見した時の状況について詳しく教えてほしい」

「部室棟の前を通った時にペンキが流れているのを見つけたんだ。そのあと金子が階段の上にいたから『君がやったのか』と確認したよ」

「金子はやったって?」

「まさか。金子は缶が落ちる金属音を聞いて降りてきたところだって言ってたよ」

 水崎は呆れた口調で言った。

「信じてないのか?」

「もちろん。階段を登れるようになってからペンキの缶を見たけどね、缶自体は床に溢れたペンキに接している面以外はまったく汚れてなかった。明らかに落とされたんじゃなくてゆっくりと置かれたんだよ。ペンキが飛び跳ねないようにね」

 水崎の言うようにペンキ缶にペンキが飛び跳ねた跡がついていないのであれば、ペンキ缶は金属音が鳴るような落ち方をしていないはずだ。

「なるほど。それはあやしいな」

「それにその後の金子の言動もおかしかったんだ。部室棟から出られなくなっているのに、文化祭実行委員長で忙しいだろうから、ここの対処は後回しでいいって言うんだ」

「金子が?」

「そう。おかしいよね。ここの対処を最優先でしろって言うなら分かるけど、後回しでいいなんていう奴では絶対にない。だから、何か企んでいるんじゃないかって思って、逆にできるだけ優先して通れるようにしたんだ。他にすることも多くて一時間くらい経っちゃったけどね」

「金子は何を企んでたんだと思う?」

「さあね。フラッシュモブを計画していたみたいだけど誰も詳細を知らないからね。練習なしでできるようなことな上に、学校中がフラッシュモブが行われることを知っているなんて状態で何をするつもりだったのかな。本当に何がしたいのか分からないよ」

「それに、男子全員をミイラ男の格好にさせようとしてたしな。やってない人の方が多かったみたいだけど」

「あぁそうだった。何人かの生徒にミイラ男の格好は強制か確認されたよ。別にドレスコードはないから自由な服装をしてくれって答えたけどね。僕の文化祭で勝手なことをしてくれたよ。死んだ人を悪く言いたくはないけど、四年ぶりの文化祭で色々大変なところで、勝手なことをされて困ってたんだよ」

「それは、大変だ」

 水崎は苦笑いをしてみせた。

「まあ、ペンキが溢れていた時の状況の詳細はそれくらいかな」

「ありがとう。あと、階段が通れるようになった後のことも聞かせてもらえる?」

「それもかい? まあいいけど。まず二階に上がって全教室に人がいるか確認したね。それで誰もいなかったから三階に上がって、三階でも全教室を周ったけど、いたのは木島さんだけだったよ。金子と月原くんがいるはずだから、男子トイレを確認して誰もいなかったから、そのまま部室棟を出たよ。屋上は確認しなかったな」

「なるほど、木島以外はいなかったのか。長く足止めしてごめん。ありがとう」

「いやいや、いいよ。窃盗事件の真犯人がわかったら教えてよ。じゃあ」

 水崎は手を振って校舎を出ていった。

 灯子は靴を履き替え、職員室に向かった。自分の席についている日高を見つけ近寄る。

「すいません、今お時間いいですか?」

「お、火村さん。今お時間大丈夫よ。あ、鍵返しにきたの? 別に僕に言わなくても勝手に返してくれていいよ」

「いえ、鍵は木島さんに渡してきました」

「そっか。じゃあ、今度こそ勉強の相談? もう、文化祭も終わったし三年生は受験モードだもんね」

「いえ、屋上の鍵についてお聞きしたいことがありまして」

「屋上の鍵? どこの? なんで?」

「部室棟の屋上の鍵です。先生が管理してると聞いたので。文化祭の準備で貸し出してると思うんですけど、ここにある部室棟の鍵とは別管理ですよね? どう管理されているのかなと思いまして」

「必要になったら貸すだけだよ。鍵は──」

 日高はズボンのポケットに手を入れたが、太っていてポケットの中のものを取り出すのに苦戦した。やっと取り出した鍵を掲げて、

「僕が持ってるよ。僕が管理するのは文化祭の間だけだから今日の夜には教頭先生に返すけどね」

「それって、文化祭の前日誰が借りに来ました?」

「えー、前日前日……美術コースの山田くんだったかな。巨大絵を吊るすために借りに来たよ。なになに? 屋上の鍵がどうしたの? もしかして、昨日なんで部室棟の屋上の鍵が開いてたか理由知ってるの?」

 灯子は、日高が部室棟の屋上の鍵が開いていたことを知っていたことに驚いた。

 灯子が鍵が開いていたことを知っているのは仁に聞いたからだった。仁が屋上にいたという話を避けるため、知らないふりをすることにした。

「昨日、屋上の鍵開いてたんですか?」

「あれ? 知らない? 金子くんさ、最初は文芸部の部室から落ちたんじゃないかって言われてたんだけどね。文芸部の窓から落ちたにしては、死体の位置が窓の真下じゃなかったから、どういうことなんだろうって。そしたら、屋上の扉の鍵が開いていることがわかって、屋上から落ちたんじゃないかって話になったんだよ」

「そうなんですか」

「それでさっき言った美術コースの山田くんが鍵閉め忘れたんじゃないかって話になったんだけど、水崎くんも鍵を閉めたのを確認したっていうから、鍵は閉まってたってことになってね」

 日高はそこでため息を吐くと、

「それ以降、屋上の鍵はずっと僕が持ってたから、屋上の鍵を開けに行ったのかって詰められて大変だったんだよ……」

「それ、どうなったんですか?」

「屋上の扉にピッキングの跡が見つかってね。それで僕の疑いは晴れたのよ」

「ピッキングですか」

「そう誰かが無理やり開けたの。誰かっていうか金子くんかな。他に屋上に行った人なんていないしね」

 灯子は仁の顔が思い浮かび、少し顔を強張らせた。その様子に気づいた日高が、

「ん? ピッキングしたの金子くんじゃないの? なにか知ってるの?」

「いえ、金子くんだと思いますよ。ありがとうございました。失礼します」

 灯子はこれ以上勘繰られる前にこの場を離れることにした。

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