十一月一日 1

 令和五年十一月一日。

 午前六時三十分。

 火村灯子は「お大事に」と言って、仁との通話を切った。

 熱があり今日は学校に行けそうにないらしい。窃盗を疑われた翌日に休むのは周りの心象が良くないだろうが、令和は熱があれば休むことを優先する時代だ。コロナ関連の規制が緩くなっても、そこは変わらない。

 灯子は登校の準備を始めた。準備といっても今日は何も持って行くものがない。もともと、今日の午前中は文化祭の片付けの予定であったが、昨日の金子の転落死のゴタゴタで昨日に行う予定だった片付けが行えなかったため、今日は終日文化祭の片付けを行うことになった。灯子には個別に連絡を取るような友達は学校にいなかったが、業務連絡のグループには入っていてその連絡を受け取った。

 登校の準備が終わる。スマホと財布、そして、一応持っていく筆記用具だけをカバンに入れた。昨日の仁とほとんど同じだ。

 普段よりも一時間以上早く家を出る。

 昨日、片付けが行われなかったということは、ある程度は文化祭当日の状態で残っているということだ。窃盗事件の関する何らかの情報が残っている可能性がある。

 灯子は通学の間、昨夜から考えていた私見を反芻していた。

 仁が窃盗の容疑者になっている理由としては、仁のカバンの中に盗まれたものが入っていたことが一番大きな理由になるだろう。

 この仁が疑われている最大の理由をなくすためには、仁のカバンも盗まれたものだと納得のいく説明ができればいい。そして、カバンが見つかった状況からその説明ができるのではないだろうか。

 カバンは部室棟近くの渡り廊下から見つかった。見つかったときの正確な時間は分からないが、教室に集められる前や教室で待たされている間に見つかっていた場合は、仁が教室にいる間に土岡がなんらかのアクションを起こしているはずだ。そうではないということは、それ以降に見つかったと考えられる。つまり、仁が部室棟と真反対に位置する体育館にいた間に見つかっているはずだ。窃盗があったことが学校中に知れ渡っていると分かっている状態で、盗んだものが入った自分のカバンを自分から離れた位置に放置するだろうか。自分のカバンを持っていること事態はおかしなことではないため、何食わぬ顔で自分の手元に置いておかないだろうか。また、窃盗の証拠となる盗まれたものを持っているのが怖くて手元に置いておきたくなかったとしても渡り廊下なんかに置いておくだろうか。

 カバンの見つかった状況とそのときの仁の行動から、カバンは仁の管理下になかったと考える方が自然ではないだろうか。

 懸念点としては、土岡が仁に盗まれたものがないかを確認したときに仁がないと答えてしまっていて、カバンは仁の管理下にあったと思われていることが挙げられる。しかし、これは、土岡が盗まれたものがないかの確認のために、貴重品の有無しか訊いていなかったことと、教室に入った瞬間に自分のカバンの有無など一々確認しないことを言えば、納得してもらえるだろう。

 ただ、容疑がかかっている最大の理由を取り除けても、仁にアリバイがない事実は変わらない。しかし、これも昨夜ある可能性に思い至り、アリバイの有無は問題ではなくなった。

 ある可能性というのは、外部犯の可能性である。

 文化祭はグラウンドをメインに使用しており、校舎は使用されていない。そして、校舎とグラウンドの間には垂れ幕があり視界は遮られている。正門を通り抜け正面にある職員室前の下足場を通らずに部室棟につながる渡り廊下の出入り口から校舎内に入り、盗みを働くことは可能だ。それに、文化祭当日は仮装でも目立たないため、顔を隠して学内に侵入することができる。

 ただ、外部犯説はなぜ盗んだものが入ったカバンを置いていったのかという疑問も残るため、可能性としてはかなり低いように思える。しかし、仁がアリバイがないことを論点に犯人扱いされた場合には、外部犯の可能性がある限り、アリバイがなく、かつ、犯行が可能だった人間は無数にいることで反駁できる。

 土岡に会ったら、この意見をぶつけよう。

 灯子はそう決意した。

 しかし、土岡に会うよりも先にすることがある。文化祭当日の状態が残っている間にそれを見て回ることだ。仁の疑いを完全に晴らすためには、真犯人を見つける必要がある。灯子が真犯人を見つけられる可能性は低いだろうが、やるだけはやると決めていた。

 いつもよりも少し早足で歩く。十一月の早朝は寒く少し体が震えた。

 灯子はあくびをした。

 昨夜、色々と考えていたせいで寝るのが遅くなった上、いつもより早い起床だったからだ。


 令和五年十一月一日。

 午前六時四十五分。

 灯子は正門を通り抜け、正面の下足場ではなく、右手側にある部室棟に向かった。

 灯子はメイン校舎と部室棟をつなぐ渡り廊下の中央に立ち、周囲を見回した。

 建物間の幅は五メートルほど。建物をつなぐ廊下部分だけコンクリートで舗装されており、正門側には砂利が敷かれ、グラウンド側は土の地面。正門側は砂利を挟んで花壇がある。季節柄花は咲いていない。廊下自体の幅は二メートルほど。頭上にはトタンの屋根が付いている。トタンを支えるための柱が等間隔で付いている。柱の幅は500mlのペットボトルより少し太い程度。柱の間に壁はなく、死角になるものは細い柱のみだった。建物の淵から50センチほどの幅はコンクリートで舗装されており、20センチほどの幅の狭い側溝があり、金属製の格子状の蓋が付いている。

 仁の大きなエナメルバッグを隠すようなスペースはなかった。

 部室棟の入り口まで近づく。部室棟は土足禁止のため中から覗く。赤いペンキが溢れた階段が見える。想像していたよりも範囲が広く、階段全域が真っ赤になっていた。よく見ると、仁の話に出ていた段ボールの足場も確認できた。遠目で見る限りはペンキは全て乾いているように見える。

 灯子には潔癖なところがあり、靴下で部室棟を歩く気にはなれず、部室棟内の確認は後回しにすることにした。

 グラウンドに向けて歩き出す。部室棟に沿ってカボチャや西洋風の街灯などハロウィンを演出する様々なオブジェが配置されており、灯子はそれに沿って歩いた。

 六本のポールとその上に三角屋根をつけたテントがいくつも並んでいる。テントの下に机や椅子などは見えるが、調理器具などは見当たらない。片付けを後回しにしたとはいえ、電化製品などは片付けているようだった。

 一つ一つのテントに注目して歩いたが、どれも同じテント同じ机同じ椅子で違いはなかった。

 しかし、突き当たりにある最後のテントは違った。

 三角屋根が地面に直接触れ、屋根と地面の隙間から柱になっていたポールがはみ出している。テントの周りには赤いカラーコーンが並べられ、カラーコーンには『立ち入り禁止』とマジックで書かれていた。

 グラウンドの部室棟側を端まで見終えたため、グラウンドの中側に歩いていく。

 少し歩いたところで足を止めた。

 校舎にかかった垂れ幕を見上げる。お化けや魔女、吸血鬼に妖精が飛び回る絵が描かれている。高さは四階建て分、幅は八教室分でトイレを加えれば十部屋分の特大の絵だ。想像していたクオリティと規模を遥かに超えた光景に驚きながら、灯子はS高等学校に美術コースがあることを思い出していた。

 特殊教室棟を見るとカラフルな飴やドーナツ、カップケーキなどのお菓子の絵が、部室棟を振り返ると古びた古城の絵が描かれている。

 部室棟だけは、建物の全面ではなく三階から二階までしか垂れ幕がない。その代わりに一階部分は石柱や巨大カボチャ、ガーゴイルの銅像などの立体の造形物が置かれている。元の建物の壁はほとんど見えず、グラウンド内に立つと非日常感、異世界感に圧倒される。

 灯子は思わずその光景をスマホで撮影した。

 一通り撮影し終え、今度こそグラウンドの中側に向けて歩き出す。

 中側に近づくとグラウンド内のテントの配置が分かる。校舎、部室棟、特殊教室棟、森とグラウンドを隔てるフェンス、それぞれに沿ってテントが配置されている。フェンスに沿って並ぶテントを除き、各テントの列はそれぞれの近くにある建物の際ギリギリではなく、先ほど灯子が歩いてきたように人が通るのに十分なスペースを開けて並んでいた。おそらく、垂れ幕の下の方を見るためのスペースで、テントから何かを売ったりするために開けられているのではないように見える。先ほどまで灯子が見ていたテントもグラウンド側から見ると、焼きそばや綿菓子などの文字の書かれた看板が見え、グラウンド側に対して接客していたのが分かる。

 グラウンドの中央にはやぐらが立っていた。地元の公園で行われる夏祭りで使用されている櫓だ。市の持ち物だったが交渉して高校が借りたと仁の母親から聞いて知っていた。小学生の頃に仁と行った祭りを思い出し少し懐かしい気持ちになる。

 灯子は、櫓を背にしてグラウンドの中央に立ち、もう一度垂れ幕を撮影した。

 垂れ幕は大きな一枚の布ではない。いくつかの垂れ幕を合わせて一つの大きな絵にしていた。一枚の横幅は教室の半分くらいで縦幅は二階分くらいだった。校舎と特別教室棟は四階建てのため縦に二枚使っているが、部室棟は三階建てのため縦に一枚使い、余った一階部分にオブジェを置いているのだろう。

 灯子は特別教室棟の方向へ歩き出した。

 特殊教室棟側の渡り廊下は部室棟側に比べて綺麗だった。屋根はコンクリート製の太い柱で支えられている。これは、この渡り廊下が特別教室棟ではなく体育館に向けての渡り廊下だからだ。体育館に向けての廊下に特別教室棟の出入り口がある作りになっている。

 特別教室棟も体育館も土足厳禁だ。土足で見れる範囲を見終えたため、正門と校舎の間の中庭を通り、校舎中央の下足場に向かう。

 上履きを履き、まずは部室棟に向かうことにした。

 部室棟は入ってすぐに階段があるが、その裏に隠れて廊下がある。灯子は廊下を覗き込んだ。廊下に沿って一階の各部室がある。部室側と反対側の壁にある窓の外には木々生えており日光を遮っている。森と学校の境界線となるフェンスは目が細かく、それにより一層外からの光が入りづらく薄暗い。壁に沿って段ボールやカボチャのオブジェなど様々な文化祭関連の物品が置かれている。

 視線を外に向けると渡り廊下が見える。盗んだものを入れたカバンを隠す意思があれば、色々なものが置かれている上に目につきにくい場所が目と鼻の先にある。持ち主が自分だと分かるカバンに盗んだものを入れて目につく場所に置く理由があるだろうか。これも、意見として土岡にぶつけようと決める。

 ペンキは乾いてはいたが、段ボールの足場を使い階段を登る。二階は廊下を覗くだけで、すぐに三階へと向かう。

 三階の突き当たりにある文芸部室まで歩く。文芸部室の扉に手をかけるが、鍵がかかっていて開かない。廊下を戻り今度は屋上へ向かう。屋上への扉の前には垂れ幕やそれを吊るすロープなど様々なものが置かれていた。灯子は、仁はよくこの空間で寝れたものだと思った。

 屋上への扉に手をかける。

「ん?」

 ドアノブをいくら捻っても扉は開かない。誰かが鍵を閉めてしまったようだ。文化祭の片付けが延期されたため、屋上への扉が開いていることはまだ誰も気付いていないと思っていた。

 灯子は階段を降りていった。途中、くしゃくしゃに固まったトイレットペーパーの残骸を見つけた。拾わなかった。

 部室棟を出ると校舎の一階を通って体育館へ向かう。もう七時を過ぎているため、職員室には何人もの教師が出勤済みのようだった。

 正門を向いた窓の方を見ると、登校している生徒が何人かいた。他の学生のいない内に体育館の様子を見ておきたい。早歩きで体育館に向かった。

 体育館につき、お化け屋敷の中に入る。暗幕が貼ってあり照明もついていないため真っ暗だった。スマホのライトを付ける。

 ライトの光の中に血のついた墓が現れる。

「ぅ……っ」

 漏れそうな声を手で押さえて止める。ゆっくりと歩き出す。少し先でライトが宙に浮いた何かを照らした。

「ひ……っ」

 しばらく進むとそれがコンニャクであることに気が付く。井戸や穴あきの障子などは前を通っても今は誰も出てこない。曲がり角で不意にライトが日本人形を照らす。

「ぴぉ……っ」

 出口まで辿り着き扉を開けようとするが開かない。鍵がかかっている。灯子は来た道を引き返すために一度振り返り、そして、もう一度扉を開けることを試みる。扉を掴み揺らすがガチャガチャと音が鳴るだけでびくともしない。

「………………」

 よく見れば、扉には内側から鍵を開けるつまみがついていた。つまみを回し外へ出る。体育館と特殊教室棟との間にあるスペースに出た。

 灯子は大きく一回息を吐いた。

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