十一月一月 10
令和五年十一月一日。
午前十一時二十六分。
灯子は四階に着いてまず一年一組の教室を覗いた。
十数名の生徒が何やらゲームをして盛り上がっていた。話しかけられるような雰囲気ではなかった。
次に二組の教室を覗く。数名の生徒が点在しており、多くても三人くらいの集まりで、皆が静かだった。一組の盛り上がりが聞こえる。もしかしたら、この中に一組から移動してきた生徒もいるかもしれなかった。
灯子はそのうちの一人で座ってスマホをいじっている女子生徒に話しかけることにした。
「ごめん、ちょっと時間いいかな?」
「は、はい……」
「昨日、校舎内で誰か怪しい行動をしている人とか見たりしなかった?」
「あ、怪しい行動ですか? それはどんな行動ですか……?」
「他人のロッカーを勝手に触っていたりとか、挙動不審だったりとか」
ロッカーは仲のいい人のもの以外は誰のロッカーかが分からないし、犯人は白昼堂々広範囲で窃盗を行うような大胆な人間であり挙動不審には振る舞わないだろう。灯子は質問してからそのことに気がついた。
「み、見てないです……たぶん……。すいません」
女子生徒は自信なさそうに言った。自分の質問が悪かったことを自覚している灯子は慌てて、
「いやいや、気にしないで。えーと、じゃあ、ミイラ男とか見なかった?」
「えっ」
ミイラ男という言葉に女子生徒が固まった。しかし、文化祭ではミイラ男はかなりの数見ていたはずで、見たにせよ見なかったにせよおかしな反応のように思える。
「どうしたの?」
「い、いえ。見ました」
「どこで見たの?」
「あ、あの──」
女子学生は部室棟のある方向を指差し、
「──屋上で」
「え」
今度は灯子が固まる番だった。部室棟にいたミイラ男。それは仁か金子しかいない。
「それはいつ!? どんな様子だった!?」
「え、と。あの」
「あ、ごめんごめん。えーと、まずいつ頃のことか教えてもらえないかな?」
「は、はい。えっと……ちょっと調べてもいいですか?」
「うん」
「えーと……」
女子生徒はスマホ画面を何度かタップし、
「十二時二分です」
「えらく正確だね」
「は、はい。写真を撮ってたので、その撮影時間で……」
「写真見せてもらってもいいかな?」
「はい」
スマホ画面の中には、四階の女子トイレ前から撮られたのであろう構図の部室棟の屋上の写真が表示されていた。屋上には出入り口になっている小屋があり、その小屋の前でミイラ男が寝ていた。腹の上で手を組み仰向けに寝転がる姿はミイラそのもののようだが、遠目に見ても下に着た制服がかすかに透けていてそれを台無しにしている。
灯子はその間抜けな姿に少し笑った。それに気づいた女子生徒が驚いた顔で灯子を見つめている。灯子が笑った理由が分からなかったのだろう。
「いや、こいつと友達でさ。呑気にしてるもんだから、つい笑っちゃって」
「あ、それは、その……。お悔やみ申し上げます」
「え?」
女子生徒の言葉の意味がわからず聞き返す。しかし、すぐに思い至る。彼女は仁の存在を知らない。そうなれば、昨日部室棟の屋上で寝ている人物を金子と思うのは当然だった。
「違う違う。この写真に写ってるのは月原っていう私の友達で、金子じゃないよ」
灯子はそこまで言い終えて、昨日部室棟の屋上に金子以外に仁もいたことを話してしまった失態に気づいた。仁と金子の死に関連があると疑われるかもしれない。女子生徒の様子を伺う。女子生徒は何かに安堵したような様子だった。
「……どうしたの?」
「え?」
「なんか、ほっとした顔に見えたから」
「い、いえ。この方が亡くなったと思ってたので。こんな気持ちよさそうにお昼寝してた人が数時間後には自殺しちゃうなんて意味が分からなくて怖くて。別の人だって聞いて、ちょっと安心したというか……。す、すいません、人が亡くなっているのに安心なんて言って」
彼女は金子の死を自殺だと思っているようだった。彼女は一年生の女子だ。金子の人となりを全く知らないのだろう。
「金子は多分自殺じゃないと思うよ。そういうやつじゃない。多分なんらかの事故だと思うよ」
「え、そうなんですか?」
彼女は意外そうに言った。
「なんで、自殺だと思ったの?」
「屋上に金子先輩の靴が置いてあったと聞いたので……」
飛び降り自殺は靴脱いで行うイメージがある。灯子も屋上に靴が置いてあったと知っていれば、自殺だと思ったかもしれない。しかし、屋上に靴があるなんてことは知らなかった。
「本当に? 誰から聞いたの」
「先生から聞きました」
「何先生?」
「日高先生です」
「日高先生?」
「はい」
「それはいつ?」
「け、今朝のホームルームです。金子先輩が亡くなったことをお話しされたときに」
「そっか」
日高先生にまた話を聞きにいかなければならない。しかし、少しだけ気が重い。もう今日だけで二度話を聞きに行っている。三度目は流石に多い。
「………………」
女子生徒からの無言の視線に気づく。灯子は黙り込んで考えてしまっていた。
「ごめんね。話してくれて、ありがとう」
「は、はい」
灯子は教室を後にした。
令和五年十一月一日。
午後零時四分。
灯子は、昼食を取るため校舎の特殊教室棟側の階段を降りていた。
灯子は一年生のいくつかの教室を周り数名の生徒から、昨日校舎内で怪しい人物を見なかったか聞いて周ったが、いい情報は得られなかった。校舎内でミイラ男を見たかどうかも聞いたが、昨日はミイラ男が大勢いたため、見ていなかったり見たのが校舎内だったかどうか分からなかったりといった解答しか得られなかった。灯子は一年生の教室を周り終えて時間も十二時を過ぎたため、昼食を取ることにしたのだった。
階段を降り終えた段階で、学食が混んでいるのが分かった。
学食は特殊教室棟の一階にある。垂れ幕が回収され渡り廊下から中が見えるようになっていた。普段の倍以上の生徒が学食を利用しているように見えた。普段は弁当を持ってきている生徒も今日は学食を利用しているようだった。打ち上げをしている姿も多く見える。
灯子は学食での食事を諦め、学食の隣の購買部でパンを買った。
灯子は昼食を取ろうと三年一組の教室に向かったが、教室の中の様子を見て、別の場所で食べることにした。教室の中ではどこかの部活が打ち上げをしていたのだ。どの部活でも上級生が打ち上げ場所を決めているようで、三年生の教室は全て打ち上げ会場と化していた。
文芸部室で食べようとも思ったが、幽霊部員であるにもかかわらず利用したい時だけ利用するのもどうかと思い却下した。
しばらく考え、部室棟の屋上前のスペースで食べることに決めた。あそこなら人がいないだろうと思ったからだった。しかし、渡り廊下を渡る途中、部室棟の垂れ幕の回収作業をしているのが目に入った。屋上での作業であるため、その出入り口前のスペースは使いづらい。
灯子は引き返そうとして止まった。
今朝は屋上への扉の鍵が閉まっていて屋上の様子を見れていない。
灯子は部室棟の屋上に向けてまた歩き出した。
誰とすれ違うこともなく屋上の出入り口の手前まで到着し、ドアノブに手を掛ける。ドアに鍵はかかっておらず簡単に開いた。恐る恐る外の様子を伺うと真剣に作業をしており声をかけられるような雰囲気ではなかった。昨日転落事故が起きたばかりの場所だ。普段より一層真剣になるのも当たり前のことだった。
灯子はゆっくりとドアを閉めて階段を降りた。渡り廊下まで来ると、また、垂れ幕の回収作業を見上げる。天気のいい青空が目に入った。視線を落とすとあまり人がいないグラウンドが目に入る。
灯子はグラウンドで食事をすることに決めた。
下足場で靴を履き替えてグラウンドに向かった。グラウンドではテントを全て片付け終わっていた。中央で櫓の解体だけが慎重に行われている。解体は十数名で行われており水崎の姿も見える。
灯子は校舎と特別教室棟に面したグラウンドの角に立った。部室棟の垂れ幕の回収と櫓の解体を両方同時に見られる位置だからだ。灯子はパンを食べながら、文化祭の片付けを眺めた。
「火村さん、こんなところで何してるの?」
後ろから声がして振り返る。日高が灯子に向かって歩いてきていた。校舎内で使うスリッパのままグラウンドを歩いている。
「片付けを見ながら、お昼を食べてます」
「僕もここで食べていいかな? いやね、学食で食べようと思ったら混んでて座れなくてね。文化祭当日よりも混んでるなんて思わなかったよ」
「例年は混んでないんですか?」
「こんなに混んでたかなー。久しぶりの文化祭だからうろ覚えだけど。あ、いつもは五時間目と六時間目は授業だからここまでではなかったかな?」
「そうですか」
「いやーそれにしても櫓かー。来年からも使うのかな? うーん、水崎くんがいないと難しいか」
「どうですかね」
灯子は部室棟の屋上に金子の靴が置いてあったことについて、どう話を切り出そうか悩んでいた。実は金子と仲が良くて、昨日のことを聞きたいというのが一番楽な切り出し方ではあるが、金子と仲が良かったと思われたくはなかった。そして、金子と仲が良くないのに金子のことを詳しく聞こうとするには理由が必要だった。
「はー。こうやって見ると昨日事故があったのが嘘のように思えるよ」
「事故なんですか?」
「え? あぁ、事故か自殺かは分かってなかったっけ。確かに自殺の可能性もあるか。でも金子くんがねー、自殺するかなー」
「自殺らしい証拠でも見つかっていればそうなんでしょうね」
灯子は会話の流れから、屋上に残った靴の話になればと思いそう言った。
「うーん。そんなものなかったんじゃないかな」
「……飛び降り自殺っていうと、靴を揃えて置いてその上に遺書とかなかったんですかね?」
「靴はあったけど遺書はなかったし、自殺とは思えないなー僕は」
「靴はあったんですか?」
灯子は初めて聞くような反応を返した。
「あったよ。でも、脱ぎ散らかしたような感じだったなー。家の玄関じゃないんだし、死ぬ前に脱ぎ散らかしもしないでしょ。やっぱり僕は事故だと思うな。そういえば、金子くんのお葬式には行くの?」
「いえ、行かないです」
「そっかー」
「あの、脱ぎ散らかしていたって仰っていましたけど、屋上で直接見たんですか?」
「そうだよ。いやー警察が来た時には、屋上の鍵は閉まっていると思っていたから開けに行かないとと思ってね。急いで行ったんだけど開いてたから意味なかったよ。そのときに見たんだけどね、遠くに白い何かが二つ見えてさ。それを警察の人が運んでるときに近くで見えてね。それが金子くんの上履きだったんだよ」
「なんでその上履きが金子のだって言えるんですか?」
「なんでって金子くんの死体の真上くらいにあったからね。他の人のってこともないと思うよ。あー、でも上履きなんて全員一緒のだし、違う人のなのかな? でも金子くんのっぽかったな。すごく血で汚れてたから」
「血で汚れていると金子っぽいですか?」
「なんか喧嘩とかよくしてたんでしょ? それで付いた血だと思うなー」
灯子はそれほど金子を注目して見たことがなかったが、金子の上履きが汚れているイメージはなかった。それに、喧嘩も学外でするのが主で、学内でしたとは聞いたことがない。学内のみで使う上履きが血で汚れるだろうか。
「どんな感じの汚れ方だったんですか?」
「付いた血を落とそうとして、手で伸ばしちゃったみたいな感じだったかな。どうして?」
「いえ、上履きに血がついるイメージができなかったので」
「ふーん。まあ、血がついた上履きなんて使ってれば噂になっただろうけど、そんなの聞いたことないしね」
「はい」
金子の上履きに関する会話が終わり、一瞬の沈黙が流れる。
日高が垂れ幕と櫓が片付けられていくのを見ながら、
「文化祭が終わると受験って感じするねー。まあ火村さんは大丈夫か」
「まあ、頑張ります」
「頼むよー、火村さんはS高等学校の期待の星だからね。──あ!」
「なんですか?」
日高は部室棟の一点を見つめていた。文芸部室がある場所で、窓が閉められたところだった。
「木島さん鍵返しにくるかな?」
「どうですかね。まあ、お昼ですし、時間的にそうかもしれないですね」
「ちょっと職員室に戻らないと」
「鍵って勝手に返していいんじゃないんですか?」
「普段はね。今、鍵を返す棚に鍵がかかってるから返せないんだ。それじゃあ、勉強頑張って!」
日高は駆け足で職員室に戻っていった。焦らなくても部室棟三階の端から職員室までは距離があるのにと灯子は思った。
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