十一月二日 2

 令和五年十一月二日。

 午後一時ごろ。

「これが、私の考える窃盗事件の真相だ。金子の転落死の真相でもある。何か言いたいことがあれば聞くよ」

 灯子が言った。

 仁には、自分の冤罪を晴らすための灯子の推理に口出しするつもりはなかった。しかし、ロープをつたって部室棟から抜け出すことができたり、ピッキング能力があったり、そんなスパイ映画みたいなことがあるだろうかと思ってしまう。それに、窃盗事件と金子の転落死を無理やり組み合わせて作った想像のように聞こえてしまっていた。

 結局、仁は無言のままだった。木島も無言だった。彼女に関しては、なぜ呼ばれたのか彼女自身もわかっていないようで、この話題に入る理由もなさそうだった。

 水崎が手を上げ、

「いいかな?」

「どうぞ」

「金子が死亡した時間に触れていないけれど、君の推理だと何時ごろなんだい?」

「おそらく一時半から二時の間くらいだと思う」

「一時半から二時……」

「雨が午後一時に降り始めたとき、金子の死体が見つかった場所の近くにいたんだろ?」

「うん。美術コースの作品が雨で壊れないように屋内に移動させようと思ってね」

「そう。そして、もちろんそのときに金子の死体はなかった。死体があれば知らせていたはずだ」

「そうだね。死体はなかった」

「つまり、金子が落下したのは午後一時以降ということになる。水崎、最後にここにはいたのは何時ごろか分かる?」

 灯子は窓の外を指差しながら訊いた。

「一時二十分から三十分の間くらいだと思うよ」

「そして、仁のカバンが渡り廊下で見つかったのが、二時前後」

「それで、一時半から二時か」

「そう。他に何かある?」

「僕はもういいかな」

 水崎が言った。木島は首を横に振ることでないことを示した。

「仁はなにかあるんだろ?」

「え?」

「言いたいことがあるって、顔に書いてある」

 仁は戸惑った。そんなに顔に出ていただろうか。確かに思うことはあったが、自分は冤罪を晴らしてもらっている立場だった。

「……今の話はなんというか、窃盗事件と金子の転落死を結びつけようとしたらできた話みたいに聞こえちゃってさ。証拠がある訳じゃないから」

 仁の言葉に一瞬の沈黙が生まれる。水崎と木島は、いつまでこの話を聞けばいいのかという顔をしている。

「確かに証拠はない。けどいくつかの状況証拠はある」

 灯子は人差し指を立て、

「まず一つ目。それは、金子が学校の全男子にミイラ男の格好をするように強要したことだ。ミイラ男の格好はフラッシュモブのためと言われていたが、そのフラッシュモブの詳細を誰も知らない。フラッシュモブは全員で動きを揃えたりと練習が必要なはずだが、そんなものは誰もしていない。つまり、金子はフラッシュモブなんてするつもりはなかった。なら、なんで学校の男子全員になんて大掛かりにミイラ男の格好をさせたのか」

 灯子は一呼吸置いて、

「文化祭ではグラウンドをメインで使っていたために校舎に人は少なかった。それにグラウンドからは垂れ幕があって校舎内を見ることもできなかった。でも、だからといって校舎内に全く人がいなかったわけでもない。実際、他人のロッカーをいじる怪しい人間は目撃されている。それでも犯人を特定できていないのは、その目撃された人間がミイラ男で顔が隠れていたことと、同じ格好のミイラ男が大量にいたことが理由だ。大量のミイラ男が窃盗犯が特定されることを阻止している。そして、その状況を作ったのは金子だ。もちろん、もし本当にフラッシュモブがあったのなら、大勢がミイラ男の格好をすることを知って、それを利用して窃盗犯がミイラ男の格好をした可能性もあった。ただ、実際にはフラッシュモブなんてなくて、金子は嘘を吐いて窃盗がやりやすい状況を作り出していたことになる」

 灯子は人差し指と中指を立て、

「二つ目は、赤いペンキを使って作った密室状態から抜け出していたことだ。さっき、金子の文化祭時の動きについて話した時にペンキをこぼして密室状態を作ったと言ったが、これは想像ではなくて根拠がある。まず、仁と木島に聞きたいのが、文化祭の日、部室棟に来た時に階段に赤いペンキの缶はあったか?」

「なかったよ」

「私も見てないよ」

「二人とも赤いペンキ缶を見ていない。もちろん持ってきてもいない。ならば、ペンキ缶を持ってきたのは金子ということになる。そして文化祭当日、金子は部室棟の鍵を何も借りていなかった。屋上の鍵もだ。その状態で赤いペンキを持って部室棟まで来て何をしようとしていたのか。そこで、水崎に聞きたいのが、金子が赤いペンキが溢れているのを見て何と言ったかだ」

「金子が零したわけじゃなくて、缶が落ちる金属音を聞いて降りてきたって言っていたよ。ただ、ペンキ缶が落ちて溢れたにしてはペンキ缶もペンキ缶の周りのペンキも撥ねた跡がなく綺麗すぎるように見えたけどね」

「そう。状況からは金子は故意にペンキを零しているように見える。もちろん事故の可能性もあるが、その場合、どの部屋の鍵も持たずに赤いペンキを持って部室棟にいる理由が必要だ。赤いペンキは密室状態を作るために持ってきていたと考えるのが自然だ。そして、その作った密室から金子は消えている。──金子は階段が通行不能になった時、復旧は急がなくていいと言っていたんだよな?」

 灯子は水崎を見て訪ねた。

「そうだよ」

「ただ、実際は水崎が急いで階段を通れるようにして一時間ほどで通れるようになった。普通であればもっと時間がかかるはずだった。それに、これは想像になるが、金子は階段の復旧には完全にペンキを排除する必要があって、それにかなり時間がかかると踏んでいたんだと思う。だから、金子の計画では部室棟からいなくなっていたことには気づかれず、窃盗のあった時間に密室状態の部室棟にいたことになっていたはずなんだ。部室棟から出られないことでアリバイを作った形跡があり、窃盗があった時間に実際には部室棟にいなかった。これが二つ目の状況証拠だ」

 灯子は三本の指を立て、

「三つ目は金子の足の状態だ」

「足?」

 仁はまったく意味がわからず聞き返してしまった。

「そう、足。あと靴だな。まず言っておきたいのが、ここの屋上で金子の上履きが見つかったことだ。日高先生が警察が回収しているのを見ている。その上履きは血で汚れているように見えたそうだ。それと、死体の靴の状態だ。写真があるんだけど……見る?」

 木島と水崎は見るつもりはないようだった。仁はしばらく逡巡したが見ることにした。

 写真は想像していたよりもグロテスクではなかった。包帯に巻かれた人間がハロウィンの装飾のオブジェの後ろに倒れている。足元に注目して見ると右足に運動靴を履いていて左足は包帯が巻かれた裸足だった。左足の靴も写真の端に写っている。片足の靴が脱げている以外に目立った特徴はない。しいて特徴を挙げるなら、足の裏が両足とも汚れていた。靴の裏は泥が詰まっており、包帯は白色から灰色に変わっていた。

 灯子は写真を見ていない二人に写真の靴の状態を説明した。二人は一応は話を聞いているようだった。

「死体が片方しか靴を履いていないことについては落下した際に脱げたと考えられる。しかし、屋上に上履きがあり死体がスニーカーを履いているのはどう考えても不自然だ。この金子のおかしな足元はどういうことか。まず分かりやすいとことから考えていこう。まず、死体がスニーカーを履いているのは死ぬ前にグラウンドを歩いていたからだ。次に、素足に巻かれた包帯がかなり汚れているのは、長時間靴を履いていなかったからだ。そして、包帯の汚れから方からして、金子が長時間いたのは土の上ではなく埃が落ちている屋内だ。このことから、金子は死ぬ前にグラウンドを歩く前は長時間室内を歩き回っていたと考えられる。ただ、これにより更に疑問が生まれる。金子はなぜ長時間裸足で歩くことになったのか。なぜ屋内にいる時に上履きを履いていなかったのか。それは、屋上で上履きを脱いでしまっていたからだ」

 灯子は一呼吸おいて、

「では、なぜ屋上で上履きを脱いでいたのか。私は上履きが汚れていたからだと考えている。せっかく学校中にいるミイラ男になっても、上履きが目立っていればそれが特徴になって個人を特定されてしまう。だから、部室棟を出る前に靴を脱いでいたんだ。ちなみに、おそらく靴の汚れは実際は血の跡ではなく赤いペンキを零すときに撥ねた跡で、靴を脱ぐことになるのは想定外だったと思う」

 灯子は三人を見回し、

「これらの状況証拠から、金子は大量のミイラ男で犯人の特定を妨げる状況を用意し、窃盗があった時刻に密室によるアリバイ工作を行なっており、ほとんど生徒がグラウンドにいるなか室内を長時間歩き回っていたことになる。窃盗事件の一番の容疑者と言っていいと思う」

 灯子は仁を見て、

「他に何かある?」

 仁は、やはり、自分の冤罪を晴らそうとしている灯子に突っ掛かるのはしたくなかった。しかし、灯子は仁に質問をさせたがっているように見える。自分から一方的に話すのではなく、訊かれたことに答える形で話したいのかもしれない。仁自身は自分から話すのは苦手なのでその気持ちは分かった。

「うーん……」

 それでも灯子に意見するか悩む。仁の意見は灯子の考えに否定的な意見だった。

「土岡先生に話すまでに疑問は消しといたほうがいい」

「それは……。そうだね。僕は正直ピッキングしたりや壁を移動したりっていうのがなんか現実感がなくて……」

「ピッキングに関しては、屋上のドアに実際にピッキングの形跡があったらしい。つまり、これは想像じゃなくて実際にピッキングするやつがいたってことだ。そして、金子はそのピックングで開けられた屋上にいた形跡がある。上履きが置かれていたからな」

 灯子は仁が屋上にいたことについては触れなかった。

「金子が部室棟の壁を移動していたことについては、死体の周辺の状態からの想像になる。まず考えて欲しいのは、死体はハロウィンのオブジェと部室棟の壁の間にあったことだ。金子の死体の周囲のオブジェだけが壁から離れていて金子の収まるスペースを作っている。そして、そのスペースのすぐ上には垂れ幕の裏にロープが垂れていた」

 灯子は言いながら部室の窓の端を指差した。

「本来は垂れ幕を固定するものだがそれが外されていた。垂れ幕はクリップとかではなく、垂れ幕自体に開いたいくつかの穴にロープを通して固定するから、事故で固定用のロープが外れるということはない。つまり、故意に外されたロープが金子の死体の上にあった。そして、そのさらに上の屋上には金子の上履きがあった」

 灯子は指先を天井へ向けながら言った。

「屋上の出入り口から離れた場所にわざわざ上履きだけ脱ぎにくるなんて考えられない。そして、ちょうど上履きを脱いだ場所からロープと垂れていて、その下には降りられるスペースがある。金子はここをつたってグラウンドに降りたと考えられる」

 灯子は上を向いていた指先を下へと移動させながら言った。

「さらに言えば、死体がちょうどオブジェの位置が動いて不自然に作られた空間に落ちているが、これはただの屋上からの転落事故では起こらないだろう。ただの事故ならその空間にピンポイントで落ちる可能性は低いし、そもそもなぜそんな不自然な空間があるのかという話になる。それに、ないとは思うが、もし自殺だったで、金子が空間を作ってそこを目がけて落ちようと思ったとしたのなら、落下中に片方の靴だけが脱げるなんてことはないだろう。金子が自分が入れるようにオブジェと部室棟の間に空間を作り、そこから壁を上り、その途中で落下し、ちょうど真下にある空間に落ちた。落下中に落ちるのを止めようとして靴が脱げた。そう考えるのが自然じゃないか?」

 仁は頷いて、

「なるほど、確かに」

「他に何かある?」

 灯子が訊いた。仁にはもう訊きたいことはなかった。窃盗事件も転落死も全て灯子の説明で納得がいった。

「ないみたいだね」

 水崎が言った。そしてそのまま部室を出ていこうとする。それに灯子が、

「ちょっと待ってくれ」

「なにかな?」

「仁が今日の放課後、土岡に呼び出されてるんだ。窃盗事件についての話し合いがあるらしい。それに一緒に行ってくれないか? 水崎は教師からの信頼も厚いし、仁の冤罪も晴らせると思うんだ。実はそのためにさっきまで話を聞いてもらってたんだ」

 水崎の視線が仁に向けられた。水崎と仁は仲良くはない。水崎には、そこまでの面倒をかけられる義理はなかった。

「火村さんがついて行ったほうがいいと思うよ」

「いや、私は文化祭当日に学校に来ていなかった。文化祭の話をしても説得力に欠ける」

「うーん。僕もそこまで暇じゃないんだけど……」

「暇だって聞いたけどな」

 灯子はスマホを操作して、画面を水崎に向けた。何かの動画を見せているようだったが、仁には画面は見えず音声だけが聞こえてきた。

『水崎先輩暇人だしなー』

『うわっ! ヤバ、こいつ』

「……これは?」

「生徒会が記録用に撮っていた文化祭の様子だよ」

 灯子はもう一度動画を再生した。灯子は動画をタップした人差し指を画面の上に乗せたままだった。水崎の視線はその指の先に向いているように見えた。

『水崎先輩暇人だしなー』

『うわっ! ヤバ、こいつ』

「………………」

「………………」

「……まあ、文化祭実行委員長として、文化祭で起きた事件の事後処理として手伝うよ」

「ありがとう」

 灯子と水崎の会話が終わった。土岡からの呼び出しに水原も付き合ってくれることとなったようだ。

「じゃあ、月原くん。放課後に」

「あ、あぁ。よ、よろしくお願いします」

 水崎は部室を出て行った。部室には文芸部の三人だけが残った。

「じゃあ、昼休みが終わる前に教室戻るか」

 灯子はそう言って部室を出ていく。仁もそれを追いかけて部室を出る。部室を振り返ると木島が呆けた顔をしていた。なぜ自分がこの場に呼ばれたのか分かっていないようだった。仁にも木島が呼ばれた理由は分からなかった。

 階段へ向かう道中、窓の外を眺める水崎を追い抜いた。何かを考えているようだった。

「灯子」

「なに?」

「ありがとね」

「ん」

「いやー、やっと文化祭が終わる気がするよ」

「まだ冤罪晴れてないんだぞ」

「あぁ、そうだった」

「あと、あれも忘れずにな。チケットの換金」

「あぁ、そうだ。あと四百円分残ってるや」

 仁は胸ポケットから四百円分の金券を取り出した。一度濡れたせいでかなりくしゃくしゃになっている。仁の手にあるのは辛うじて金券と分かる紙切れだった。

「換金できるかな」

「さあな」

「まあ換金できなくても、思い出として取っとくよ」

「……あんまいい思い出ないだろ」

「……たしかに」

 仁は金券が換金できなかった場合にどうするか考えた。

 そして、やはり思い出として取っておこうと思った。

 高校生活の最初で最後の文化祭の思い出として。

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