第37話 口入屋5

「おめえは本当に若旦那に見えるな。その着物はどこから持って来たんだ」

「ちょいとばかり柏茶屋にね」

 涼しい顔で言ってのける悠は、上質な絹で仕立てられた、それでいて粋で大胆な縞模様をサラリと着流していた。

「今日は女ものの着物じゃねえのかい」

「いいとこの馬鹿旦那なんだから女物は着られないじゃないですか」

「しかし……よく柏茶屋に男物の着物があったもんだな。蜜柑太夫か?」

 栄吉はゆっくりと腕を組んで悠を上から下まで眺めた。

「ええ、太夫に言えばすぐに揃いますよ。眼帯まで借りて来ました。これで片目を隠しておけば、あたしだとはわからないでしょう」

「どうかねえ、おめえさんは無駄に華があるからな」

 ――華を欲して死んだ女も居りゃ、おめえみたいに華を持て余してる男もいる。まったく世の中は不公平だな――などと栄吉がぼそぼそと独り言ちるのを無視して悠は片目に眼帯をつけた。髪は先程いつもと違う型に結って貰って来たばかりだ。

「華を欲して死んだ女ってのは、栄吉さんが現役の時の話かい?」

「まあそうだな、最後の仕事だった。それより耳飾り取った方がいいんじゃねえのか」

「そうですねぇ、うっかりしてましたよ」

 悠は耳の翡翠を外しながら言った。

「ところで栄吉さんのことはなんて呼びましょうかね」

「爺でいいだろ。実際のところ爺なんだ」

 こんな眼光鋭い鷹みたいな爺がいるもんかと思いつつ、悠は「それで行きましょう」と言う。

 手には三日前にお藤から預かった金がある。これを風呂敷に包み、栄吉が持つ。悠の半歩後ろを歩けば完全に若旦那と爺だ。

 口入屋に到着したのは競りの開始時刻の四半刻ほど前だった、ちょっと早すぎたかと思った二人は近くの団子屋で軽く腹ごしらえしてから敵地に向かった。

 二人が入ったころにはもう既に買い付けに来た人が二十人ほどいた。この口入屋は間口は狭いが奥が広い。入り口の方は案内だけなので机と帳面くらいしかないが、暖簾の奥に入ると競りの会場となる座敷がある。畳が一畳分だけ一段高くなっており、どうやらそこに「商品」を陳列するようだ。わざと狙って時間ギリギリに入った悠と栄吉は、一番後ろに陣取った。

 しばらくすると、口入屋らしき女が出てきた。この女が凍夜の言っていた「おこう」だろうかと二人は顔を見合わせた。

 女は黒い掛襟をつけた臙脂の縞の着物を着ていた。髪は島田に結い、珊瑚玉のかんざしを挿してはいるが、無理やり若作りしている感が否めない。

 競りが始まり、周りがお目当ての子に値を付けて行く中、女の目が悠を捉えた。

「おい、あの女ずっとおめえを見てるぞ」

「そうみたいですねぇ。バレましたか」

「いや、単に色目使ってるだけだろう」

「それなら使わせておけばいいですよ」

 どうやら子供たちの競りは一貫文単位のようだ。子供が一人一段高い畳の上に連れて来られると、その子を買いたい人が指を二本や三本立てることで、その子の買値を申請するらしい。大きな声を出すと外に漏れてしまうからだろう。

「男の子は最後ですよ。男の子が欲しい方おいでになりませんか」

 凍夜は最後まで出て来なかったな、と二人が思っていると、今度は女は一旦引っ込んでまた出てきた。

「ここからは女の子でございますよ。さあ、こっちへおいで」

 それまで乗り気だった買い手が一気に落ち着いてしまった。理由は簡単だった。ほとんどが柏華楼の買い付けだったからだ。たまに誰かが買おうとしても必ず柏華楼がそれより高い値をつけてくる。これじゃあ女の子は買えない。男の子が二貫文で買えるのに、柏華楼は女の子を三貫文で買い付けるのだ。

 悠は小声で栄吉に囁いた。

「こんな小さな子どもが二貫文なんてねぇ」

「まったくだ。それよりしのぶはまだか」

「まだですね」

 二人は女の子を買いに来たというように、わざと他の客に混じって二貫文で女の子を物色したが、全て柏華楼に持っていかれた。

「本日最後の女の子。チョイと気が強そうだが、美形だよ」

 引っ張り出されたのはしのぶだった。

「ああ、しのぶは可愛いねぇ」

「おめえ、仕事忘れてんじゃねえだろうな」

「まさか」

 ここまで小声でやりとりしていた悠が、いきなり少し大きめの声で「爺」と言った。芝居が始まったらしい。すかさず栄吉が指を二本立てる。

 当たり前のように柏華楼が三本で応戦する。今まではこれで終わっていた。だが今日はこれからが本番だ。

「爺」

 栄吉が四本立てる。柏華楼が即座に手を開く。ここが〆時か。

 悠がすっと立ち上がった。スラリとした男前。粋で鯔背いなせな太縞の着流し。細いおもてに片目の眼帯。舞台映えすることこの上ない。まるで役者のような悠が静かに一言を放った。

「銀一貫」

 部屋中からどよめきが起こった。口入屋の女も開いた口が塞がらないのか、ポカンとしたまま突っ立っていた。

 しばらくして我に返った女が「これはこれは旦那様ありがとうございます」とぺこぺこするのを見て、栄吉は必死に笑いをこらえた。

 しのぶを二人のところへ連れて来たのは、あの女だった。

「旦那様、この度はお買い上げありがとう存じます。申し遅れましたが、わたくしこちらの口入屋を営んでおりますおこうと申します。以後お見知りおきを」

 悠は涼しい顔で「蝋燭ろうそく問屋枝鳴屋三代目、悠一郎と申します。良い買い物をしました」と言ってのけた。栄吉は必死で笑いをこらえながら、「若旦那様、大旦那様が御待ちでございます」とかなんとか適当な事を言っておこうから悠を引きはがそうと努力した。

「どうぞこれからもご贔屓に」というおこうの声を背中に聞きながら、二人はしのぶをつれて口入屋を後にした。

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