第36話 口入屋4

 悠の話を黙って聞いていた栄吉は、彼が話し終えると「ふん」と鼻を鳴らした。

「つまり凍夜の家族を殺したのは口入屋ってことだな」

「恐らくね」

 悠は栄吉の背中にもぐさを置きながら相槌を打った。

「ってこたぁ、凍夜の仇はその口入屋って事になる。だが、その背後には潮崎のお殿様がついてる」

「潮崎の船戸様はボンクラの男色家で、口入屋がそんな悪どい事をしてるなんて知らないんじゃないですかねぇ」

「船戸様の家臣が黙って手配していることも考えられるな」

「まあ、凍夜のことはしのぶに任せておいて大丈夫でしょう。それより三郎太があんな目に遭わされたんですから、あたしたちも用心しないとねぇ」

「そうだな。灸を据えてるようじゃ、いきなり襲われたら手も足も出ねぇ」

「ま、本人は半殺しの目に遭ったのはこれが初めてじゃないなんて言ってましたけどね」

 その時、表で女の声がした。

「ちょいとごめんなさいよ。この長屋に悠さんてお人はおいでかね」

 思わず栄吉と悠は顔を見合わせた。栄吉が頷くと、悠は用心しながら引き戸を開けた。

「あたしが悠ですけど。どちらさんですかね」

 振り返った女は妖艶な美女だった。もちろん、悠には全く影響することはないのだが、こんな婀娜あだっぽい姐さんだ、ここまでの道のりで散々男どもにじろじろと見られただろう。

 彼女はスッと悠に近付くと、声を落として囁いた。

「しのぶのことでちょいと話があるんだよ。家に入れて貰えないかい?」

 悠は警戒した。こういう女には裏がある。

「悪いね。あたしは女は家に入れないことにしてるんだ。しのぶがどうしたんだい?」

 女は更に声を落とした。

「かどわかされたんだ。しのぶからあんたの名前を聞いていたから、ここに来たってわけさ。お恵って子と一緒にいる時に会ったって聞いてるよ」

 かどわかされただって? 悠は栄吉の部屋の引き戸を開けた。

「わかった。入っとくれ」

「女を家に入れないんじゃないのかい?」

「ここはあたしんちじゃないんでね」

 うつ伏せになって背中に艾を乗せたままの栄吉が「どうした」と顔だけを戸口の方へと向けた。その瞬間、二人の声が重なった。

「栄吉さん」「お藤か」

 それっきり言葉の出ない二人に一瞬遅れて、悠がハッと我に返った。

「え? 二人は知り合いなのかい?」

「いいからそこ閉めろ。心張り棒も忘れるな」

 悠より早くお藤が引き戸を閉め、心張り棒をかける。そのまま彼女は上がり框に腰かけると、栄吉をじーっと見つめた。

「なるほどね。あの子がどうやってあたしらを探し当てたのかと思ったら、栄吉さんが教えたのかい」

「いや、俺はアイツには何も言ってねぇ」

「なんだって? じゃ、あの子はどうやって来たんだい」

「あたしが教えたんですよ、峠の団子屋に行けって。それより二人はどういう関係なんです?」

 悠の疑問ももっともである。二人は目を見合わせて、それから栄吉が口を開いた。

「まあ、同じ釜の飯を食ってたというか」

「えっ? 夫婦だったんですか?」

「そんなわけがねえだろう。干支で二周も違うんだ」

「栄吉さんはあたしの先輩なんだ。しのぶはあたしが育てた後輩さ」

 それを聞いて栄吉は目玉が転げ落ちるほど目を見開いた。

「じゃあ、しのぶってのはあの時の赤子か」

「そういうこと。まさか栄吉さんが天神屋の跡地の長屋に住んでるなんてね」

「しかも、凍夜を拾った三郎太がここの住人だったってのがまた奇遇というか、運命というか」

 悠は二人のやりとりを聞きながら頭を目一杯回転させて、やっと一つの結論を導き出した。

「つまり、栄吉さんも峠の団子屋出身の殺し屋だった」

「とっくに足は洗ったがな」

「水臭いねぇ、教えてくれたっていいじゃありませんか。ずっとお隣に住んでたってのに」

 そうは言っても、栄吉も悠がそれまでどんな暮らしをして来たのか知らない。この長屋ができたときに栄吉は一番乗りで住み始め、ここでは一番の古株である。この長屋のことなら何でも知っているが、住んでいる人のことは深く詮索しないことにしている。それは栄吉自身が詮索されたくないからというのもある。

「で、お藤さんでしたっけね。あたしに何の用です? しのぶがかどわかされた?」

 悠は土間から上がると、栄吉の背中に乗った艾を丁寧にとり始めた。

「いや、はっきりしたわけじゃないんだけどね。しのぶをお使いに出したのさ。だけどいつまで経っても戻って来やしない。これはおかしいってんで、みんなで手分けして探したんだけど、今度は鬼火が戻ってこない」

「鬼火?」

 首を傾げる栄吉に、悠が補足する。

「凍夜のことだよ。しのぶが凍夜のことを鬼火って呼んでたって、お恵から聞いた」

「なるほど、凍夜は今、鬼火って名前なんだな」

「しのぶがつけたんだ。それより、鬼火も戻ってこないとなると、あの子もかどわかされたんだろうって事でね。もしかすると鬼火をおびき出す為に、しのぶをかどわかしたのかもしれない」

 悠が艾をすっかりどかすと、栄吉は「よっこいせ」と起き上がり、布団の上に胡坐をかいた。

「悠さんは敵が誰だか知ってるのかい?」

「ええ、だいたいね。楢岡の口入屋が子供の売買をやってるんですよ。中でも綺麗な男の子は潮崎の船戸様のところに御側仕えとして買われて行くんです。凍夜は恐らくそこでしょうね。それ以外の子供は競りにかけられます。直近で三日後。下手するとしのぶはそこで誰かに買われますねぇ。恐らく柏華楼ですけど」

「そんなこったろうと思ったよ」

 そう言うと、お藤は手にした風呂敷の中から巾着を出してきた。

「ここに金がある。これでしのぶを買い戻して欲しいんだよ」

 悠と栄吉はポカンとしたまま顔を見合わせた。

「悠さんならお金持ちの道楽息子で通るさ。なんだろうねぇ、浮世離れしてるんだよねぇ、雰囲気が」

 悠は栄吉と目を見合わせて肩を竦めた。

「そりゃ誉め言葉かい?」

「もちろんさ。どうだい、やってくれるかい?」

「しのぶを買い戻すんだね?」

「そうさ。しのぶさえ帰って来れば、あとはしのぶが持ち帰った情報で鬼火を救出できる。いいとこの若旦那なら、お供がついてるかねぇ」

「あっしがお供をやろう」と栄吉。

「こんな怖い顔のお供がいるかい?」

 とお藤が混ぜっ返すと、栄吉も負けじと

「若旦那なら怖ーい身辺警護がつくだろうよ」と返す。

「わかりましたよ。他ならぬしのぶの為だ、一肌脱ぎましょうかねぇ」

「おめえは幼女の為なら一肌どころか全裸にもなりやがる」

「誤解を招くような言い方しないどくれよ」

 お藤は風呂敷をまとめ直すとヒョイと立ち上がった

「それじゃあとは任せたよ。そこにあるお金は全部使っちまっても構わない。三日後、競りが終わったころに迎えに来るからね」

「任せてくださいよ」

 悠が請け合うと、彼女は引き戸を少しだけ開けて音も立てずに出て行ってしまった。

「さぁて、それじゃあチョイとあたしは衣装を仕入れて来ましょうかね」

 栄吉に報告するように言うと、悠もスルリと引き戸の隙間から出て行った。

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