第35話 口入屋3
今日も柏茶屋は若いおなごのキャアキャアという黄色い声が響いている。悠が来ているのである。いつものように芸者や女中に流し目を振りまきながら、悠は当たり前のように部屋へ上がっていく。
悠の部屋はいつも決まっている。食事や芸者遊びを一切しないので、小さな部屋でいいのだ。そこに蜜柑太夫がいれば良い。
彼女は悠の前に座ると、挨拶もなしに早速切り出した。
「この前のお話ですけど、もうご存知かもしれませんが、潮崎のお殿様に一風変わった噂を小耳に挟みました」
「あたしは知らないねえ。どんな噂だい?」
「船戸様はお側仕えに綺麗な少年ばかりを侍らせているとか」
「少女じゃなくてかい?」
「ええ、少年だそうです」
悠が片眉を上げて小首を傾げると、耳飾りの琥珀が揺れる。恐ろしいほどの色気を発しているが、こと蜜柑太夫には全く効き目がない。こんなのを芸者や女中が見たら失神するだろう。
「船戸様は今いくつだっけねぇ」
「三十路になったとか。未だ独り身なのは悠さんと一緒ですけど」
「一緒にしないどくれよ。あたしは男色の気はないんだ」
「そうですね、幼女にしか興味がない」
図星なので悠はそこに関しては何も言わない。
「楢岡の口入屋はどうだい」
「大人の仕事は現在斡旋してないようですね」
「そりゃどういう意味だい?」
悠は煙管に煙草を詰めながら聞いた
「子供の奉公に力を入れてるってことですよ。それも貧しい家を回って、口減らしのために子供を年季奉公に出させる気はないかと聞くそうです。ご奉公に上がれば、子供は奉公先でお腹一杯食べられるし、家族も少し多くのご飯が食べられる。そう言って子供と家族を説得するのだそうです。結局、永年季奉公になるんですけど」
蜜柑太夫が溜息をつく。
「それは永年季奉公という名の人身売買じゃないのかい?」
「そうですね」
年端も行かない子供たちが、言葉巧みに丸め込まれて、自分の意志で買われて行く。親はそれをわかっていながらどうすることもできず、家族で一家心中するくらいなら奉公先で生き続けて欲しいと送り出す。その結果、子供は奉公先でこき使われ、逃げ出すこともできず、家にも帰れず、一生奉公先に仕えなければならない。親の方も子供を売ってしまったことを心の傷として一生悔やみ続ける。
悠の重い沈黙を破るように、蜜柑太夫は話を続けた。
「口入屋はそうやって集めた子供を競りにかけているようです」
「競りだって? それじゃ、子供は自分がいくらで買われたか知るってことじゃないのかい?」
「そう。自分の価値を金額で知ってしまうんです」
「許せないねぇ」
「しかも女中奉公はほぼありません」
「え? じゃあ女の子は売れ残るのかい?」
蜜柑太夫は静かに首を横に振った。
「一番話したくない相手が悠さんなんですけれど」
「なんだいそりゃ」
「女の子の売れる先は決まっているんです。……
「——遊郭!」
悠の目が見開かれた。
「とんでもない! 穢れを知らない小さな女の子が遊郭だなんて!」
「そりゃあ悠さんには至高の宝でしょうけど、そうじゃないにしても許しがたいですよ」
「なんとかして救い出せないもんかねえ」
「無理ですよ。本人も納得してるんですから。それと」
何かまだ話があるようだ。悠は続きを促した。
「近頃、楢岡や柏原で不審火や不審な事故が多く発生しています」
それが何か? と悠がチョイと首を傾げて見せる。これは話の続きを催促する時の、彼の癖らしい。
「そうして母と子どもたちだけが遺される。そういう家の母は大抵が身重だったり病気がちだったりしている。逆に言えば母親が働けない家ばかり、父親が不審な死を遂げている」
「つまり殺されてる?」
「そこまでは言いませんが、その可能性も無くはないかと。そして遺された家族のところに親切を装った口入屋がやって来る」
なんといやらしい手口だろうか。悠は我知らず身震いした。
「直近の競りは三日後だそうですよ」
「しかしねぇ、競りに乗り込んだところで、あたしにゃどうにもできないしねぇ」
「さらには、美形の男の子は競りにはかけず、優先して船戸様の御側仕えにと吟味されるようです」
「なんだって?」
「しかもその男の子が船戸様に気に入られれば、紹介した口入屋にはたくさんの報酬があるとか。悠さん良かったですね、歳とってて」
どういう意味だと切り返したいところだが、悠にもそれどころではない。
「なるほど、やっとつながった。凍夜が口入屋に狙われていたのはそういうことだったんだね」
「お役に立てました?」
「お奈津が役に立たなかったことなんかないさ」
「だからその名前では呼ばないでって言ってるでしょう」
ちょっとむくれた蜜柑太夫は少女時代そのままの可愛らしさを残している。
「もし……」
悠は蜜柑太夫の抗議を無視して続けた。
「もし船戸様に御側仕えとして召し抱えられた子たちを逃がすとして。その子たちには帰る家がないんだよねぇ」
眉根を寄せた悠の表情とは裏腹に、蜜柑太夫はサラリと言った。
「逃がすことができるのなら、その後はどうにでもなりますよ」
「どうにでもって……どうする気だい?」
「父上に話せばいいでしょう。父上がどうにかします」
「そうか! 佐倉様と言う手があったか。あたしとしたことがうっかりしてたねぇ」
「逃がすんですね?」
「それはまあ、長屋の仲間に相談してからだけどね」
「長屋と言えば……」
蜜柑太夫は思い出したように笑った。
「この間言ってたお恵ちゃんでしたっけ? あれからどうです?」
「ああ、お恵と一緒にいる時にしのぶって子に声をかけられてねぇ」
「念のために聞きますけど、いくつです?」
「八歳」
蜜柑太夫は立ち上がった。
「次のお座敷行きますね」
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