第14話 凍夜3

 不思議なことに母は凍夜のことに関してだけは気丈だった。親の自覚がそうさせたのかもしれない。父が亡くなり生活に困る事態になって、凍夜が「おいらが奉公に出るよ」と言うと猛反対したのだ。身重でもできる仕事はある、だから家にいてくれと。

 寂しさもあったのだろう。父がいなくなり、凍夜まで住み込みの奉公に出てしまったら、母は一人ぼっちで子供を産まなければならない。凍夜がいればすぐにお冬を呼んで貰うこともできる、掃除や洗濯だってできる。

 幸い母は手先が器用だったので、つまみかんざしの花の部分を縮緬で作る仕事を貰って来た。これなら家でもできるし、身重でもできる。

 材料を取りに行ったり出来上がった品を納入する時は凍夜も同行した。途中で母に何かあったら大変だし、かと言って凍夜一人に任せるということは母がしたがらなかった。

 そんな生活を続けてひと月くらい経った頃だろうか、朝から買い物に出かけた帰りに椎ノ木川の近くであの口入屋にばったり会った。

「おや最近よく会うねぇ」

 口入屋はニコニコと上機嫌で凍夜に声をかけたが、母は迷惑そうな顔をしていた。

「お春さん、つまみ簪を作っているんだってねぇ。でもこれじゃ大した儲けになりゃしない。あんたと子供二人食べていくにはちょっと無理があるんじゃないのかい?」

「ご心配ありがとうございます。でも二人でやれるところまでやりますから」

 その場を立ち去ろうとする母を無視して、口入屋は凍夜に声をかけた。

「いい話を持って来たんだよ。御奉公の話さ。凍夜、お前、潮崎うしおざきのお殿様のところにご奉公に上がる気はないかい?」

 凍夜は潮崎がどこにあるのか知らなかった。

「勝五郎親分ももとはと言えば潮崎の岡っ引きだからね。あそこは大きい街だ、木槿山むくげやまのお殿様とは大違いさ。お城も大きいし奉公人も大勢いる、あんたならお側仕えができるからお春さんの一年分を三日で稼げるよ」

 おっ母の一年分を三日で――凍夜は心が揺れた。

「冗談じゃない。どんなに貧乏でもこの子と離れて暮らす気なんかありません。もうお話は終わりました」

「あたしは諦めないよ。凍夜を潮崎に送るまで何度でも来るからね」

 母はキッと口入屋を睨んだ。

「凍夜、荷物を持って先に家にお帰り。おっ母さんは口入屋さんと話をしてから帰るから」

 きっと母は口入屋に金輪際関わるなというような話をするのだろう。凍夜は心配だったが、自分がいると話しにくいこともあるのかもしれないと思い、荷物を持って先に帰った。



 昼になった。母の帰りが遅いことを心配した凍夜はさっきの道を戻って行った。だが母は見つからない。どこへ行ってしまったのだろうか。

 たしかあの女は柿ノ木川下流の楢岡ならおかという町の口入屋だ。そちらに向かったかもしれないと思った凍夜は椎ノ木川を下った。そこから柿ノ木川に出て下流を目指せばいい。

 だが凍夜が柿ノ木川まで出ることはなかった。椎ノ木川の途中で土左衛門が上がったのだ。

 まさかそれが母だなんて、誰が想像しただろうか。

 凍夜は遠目に見てすぐにそれが母であるとわかった。母と同じ梅鼠うめねずの着物を着て、腹の目立つ体格をしている。

 恐ろしくて近寄れなかった。近寄ってその顔を見たら、母が死んだことを認めなくてはならないのだ。死ぬわけがない、自分を置いて行くわけがない。そう思いたかった。

 次第に人が集まって来て勝五郎がやって来た。牛蒡のような男に声をかけられた。それが三郎太だった。

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