第13話 凍夜2

 父は腕のいい大工だった。その日も朝から仕事に行っていた。いつもなら薄暗くなる前に帰って来る。だがその日は陽が暮れても戻って来なかった

 あまり遅いので怪我でもしたのだろうかと母が迎えに行こうとすると、大工仲間が駆け込んできた。仕事現場の近くで亡くなっていた、と。

 凍夜と母は急いで現場に駆け付けた。既に野次馬の人だかりができており、遺体にはむしろがかけてあった。

 勝五郎親分が母を見て「お前さん、すまねえがちょっくら確認してくれねえか」と言った。母は筵をめくるなり気を失って倒れてしまった。ここは自分が見るしかないと思った凍夜は、勇気を出してその筵をめくった。

 父だった。胸に何かで刺したような跡があり、夥しい血で辺りは赤く染まっているのが提灯の灯りでもわかった。父は右手にのみを逆手に握っており、その柄の部分には父の名前が彫ってあった。間違いなく父の仕事道具だった。

 凍夜がそのことを勝五郎に話すと、「おめえは立派だ」と肩に手を置いた。だが、その日はもうそれ以上のことは何もできなかった。脚に力が入らず、その場でしゃがみ込んでしまった。父の遺体は勝五郎が詰所に運び、長屋の人達が母と凍夜をなんとか長屋まで連れ帰ってくれた。

 その夜はお隣のお冬がこまごまとお春と凍夜の世話を焼いてくれた。最初は麦飯のおむすびをこしらえて来てくれたが、二人とも食べられそうにないのを見てわざわざ粥を作り直してきてくれた。凍夜は粥を口にしたが母は全く食べられなかった。

 お冬は母のために布団を敷いてくれて横になるように促した。そして、お腹の赤ちゃんにもおまんま食わしてやらなきゃならないんだからと言って凍夜の家の鍋に味噌汁を作って行ってくれた。これならいつでも食べられる。夜中にでも母に食べさせようと凍夜は思った。

 結局その味噌汁は翌朝凍夜が温め直すことになった。ちょうどそこにお冬がおむすびを持って来てくれたので、味噌汁につけて母に食べさせた。母は食べたくないと言ったが、赤ちゃんの為だと言って無理やり食べさせた。

 昼頃になって勝五郎がやって来た。彼の言うことには、父は自殺とみて間違いないだろうという話だった。

 そんなはずはない。父には死ぬ理由が無かった。いつも笑顔でいたし、大工の仕事に誇りを持っていた。みんなの人気者だった。

 だが、自分ののみを逆手に持っていたことが決め手になったらしかった。遺体はしっかりとそれを握っていて、そのまま固まっていた。

 しかし凍夜は違うと感じていた。確かに父は逆手に鑿を持っていた。だが手がさほど血で汚れていなかった。自分で刺したのならもっと血がつくのではないかと思った。

 それに、自分で刺したなら、何故その鑿を胸から抜いたのか。刺したままにしておくのではないか?

 納得がいかずにそれを勝五郎に話すと「おめえはよく見てるなぁ」と感心された。だがそれだけだった。刺した時はそんなに血は出ない、抜いた時に出るんだ、と言われた。それならそんなに手が汚れないのかと納得した。なんで抜いたのかということに関しては、抜けば血が出ることがわかっていたからだろうと言われた。自殺する気ならたくさん血が出るようにするだろう、と。

 それならなぜ自分の大切な仕事道具を使ったのだろう。職人は道具を命の次に大切にするもんだ、と父が言っていたのを覚えている。そんな父が大切な仕事道具で自分の胸を突くだろうか。

 いろいろと納得のいかないことだらけだったが、相手は勝五郎親分だし、自分は何も知らない子供だ。勝五郎の言うことがきっと正しいのだろうと自分を納得させた。

 何よりも母が納得しないのではないかと思ったが、母は父を失って抜け殻のようになってしまった。言われたことに対し、ただ「はい」しか言わない人形のようだった。

 凍夜はそんな母を見て、自分が父の代わりにしっかりしなければならないと思った。

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