第26話 柏原の異変2

「鬼火はなよっちく見えるけど、なかなかどうして筋がいいね」

「なよっちく見えるか?」

 凍夜はしのぶに心外だという顔を見せた。

「うん。顔が必要以上に綺麗だからかもしれないけど。鬼火は誰に似たの?」

「うーん、眉はお父、目鼻口はおっ母、体つきはお父、声はおっ母」

「二人のいいとこどりじゃないの?」

 しのぶは勝手に納得して一人で笑った。

「あと、その着物ね」

 今日の凍夜は貰ったばかりの新しい着物姿だ。『凍夜』だった頃の着物で柏原を歩くと、知った顔に見つけられやすい。しかもこの顔立ちだ、一度見たらそう簡単に忘れられるものではない。実際、この前もお恵に見られてしまった。他人の振りをして帰って来たが、どう考えてもこの顔にあの着物では凍夜以外の何者でもない。

 そういうわけでお藤が佐平次の古着を仕立て直して凍夜の着物を作ってくれたのだが、佐平次がなかなかの洒落者なのだ。藍染の縞模様が恐ろしいほど凍夜によく似合っている。足元は相変わらず裸足のままだが、これで草履を履いて髷を結ったら、さぞかし女にチヤホヤされるだろう。今の総髪を一つにまとめただけの髪形も美形を引き立ててはいるが。

「これ、似合わないか?」

「似合い過ぎて逆に問題あるよ」

「そうか。いっそ町に出る時は女装してもいいかもな」

「ほら、そういうところ」

 しのぶがフフッと笑う。

「筋もいいけど、その考え方。おつむの方もこの稼業に向いてるよ。だいたい鬼火はもう楔一本で屋根まで上がれるようになったんでしょ?」

「うん」

 それだけではない。しのぶの得意な小刀投げをあっという間に習得して、今では動くまとでも当てられる。もちろん片手に二本ずつやってもきっちりと四本とも的に当てることができる。それだけ寝る間も惜しんで訓練したからなのだが。

「そのうちにあたし鬼火に追い越されちゃうね」

 そんなことないよ、と言おうとしたときに、茂助の呼ぶ声が聞こえた。

 この前楔を買って来た金物屋へ行って、分銅鎖を受け取って来いという。鬼火の武器だから二人で行ってこいと言われれば是も非もない。二人は早速柏原の町へ向かった。

 凍夜はしのぶと出かけるのが好きだった。団子屋裏の隠れ家にいる時は、武器の使い方を教わったり、草履や籠を編んだり、馬や鶏の世話をしたり、薪割りや水汲みをしたり、それはそれで楽しい。だが、出かけるとなると、その道行きでいろいろな話ができるのが楽しいのだ。

「ここ、昔は河童沼じゃなかったんだって」

「へ?」

「別の名前がついてたの。だけど河童が出たって騒ぎがあってから、みんなが河童沼って呼ぶようになったの。あたしたちが生まれる少し前のことじゃないかな」

「もしかして河童蕎麦かっぱそばのことかな。今まで住んでた枝鳴長屋の栄吉さんて人が夜泣き蕎麦屋をやっててさ、そのおじさん、近所の弐斗壱蕎麦にといちそばの主人から蕎麦打ち教えて貰ったらしいんだ。その弐斗壱蕎麦の主人が子供の頃、河童沼の河童から蕎麦打ちを教えた貰ったんだって。お店の暖簾とか河童の絵が描いてあるんだ」

 しのぶはうふふと笑った。

「それだよ、きっと。子供が河童から蕎麦の打ち方を教えられたって話だったから。いいなぁ。あたしも河童に会いたいな」

「会ってどうするんだ?」

「何か教えてもらうの。その代わりに何か教える」

 彼女が教えられることなんて殺し屋の技術くらいしかないのでは?

「なぁ、今日取りに行くのって分銅鎖だっけ」

「そうだよ」

「分銅鎖ってなんだ?」

「鬼火は見たことなかったっけ」

 そう言うと、彼女は懐から何かを出してきた。

「これが分銅鎖。鎖の両端に分銅がついてるでしょ。この片方を握ったまま投げるともう片方の分銅が飛んでいく、だけど鎖でつながってるからすぐに回収できる」

 凍夜はそれに見覚えがあった。

「それ、俺がここに来た日、試験に使ったやつだよな?」

「そうそう。鬼火がパッとつかんだヤツがこれ。この片方のおもりが鎌だったら鎖鎌って呼ばれる」

「鎖鎌って危なそうだな」

「だから分銅鎖で練習するんだよ。鬼火は習得が早いからお爺ちゃんもどんどん武器を買わなきゃならなくて大変だ」

 そうだ、お金はどこから出ているのだろう、と考えて先日の伝次を思い出した。あの時の金で買うのだろう。こんなに武器を揃えて貰っているのだ、早く一人前にならないと茂助に申し訳ない……と思ってしまうのも、凍夜の性格の為せる業である。

「どうやって使うんだ?」

 歩きながら聞いてもわからないだろうかと思いつつも口にしてみると、しのぶは「簡単だよ」とあっさり返してきた。

「こうやって分銅の片方を手に持つ。この時小指と薬指で持つの。これでしっかり固定する。残り三本の指でもう片方の分銅を持つ。この三本の指で持った方を投げる」

 しのぶは何か重いものを胸の前で抱えるかのように肘を曲げ、その手を耳の辺りまで持って来ると、いきなり肘から先をまっすぐ伸ばし、その勢いで分銅を繰り出した。

 パァンと音がし、しのぶの歩いていた場所からおよそ二尺五寸くらいのところの木賊とくさが折れた。ギョッとする凍夜の前で、涼しい顔のしのぶは手妻のように一瞬で分銅を回収した。

「すげえな」

「これ、鬼火もやるんだよ。あんたならすぐにできるようになるよ。やってみる?」

 せっかくなので、街に入るまでのあいた、ああでもないこうでもないと教えられながら、なんとか分銅鎖を投げられるまでになった。もちろん的に当たるわけではないし、回収できるわけでもない。だが、少しでもコツを掴んでおきたいと思った。

 だが、街に入る前に返せと言われてしまった。

 そもそも仕事道具は仕事の時以外は持ち歩いてはいけないのだそうだ。もし何者かに素性が知れて殺されたり監禁されたりしたときに獲物を持っていたら、それだけで殺し屋だと一発でバレてしまう。だから持ち歩いてはいけないことになっている。たまたま急に用事を言いつけられて置いてくるのを忘れてしまったというだけなのだ。

 これ以上こんなものを振り回しながら歩いているのは危険だとしのぶは言う。確かに目立って仕方ないのであとは家に帰ってからゆっくり練習しようと凍夜は思った。

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