第27話 柏原の異変3

 金物屋から分銅鎖を受け取って、凍夜は上機嫌だった。しのぶのものより一寸ほど鎖が長かった。恐らく凍夜の方が手が大きく、手の中にすっぽりと納まる鎖の量が多いのだろう。

「こっちの方がちょっと長い分だけ、回収が大変そうだな」

「心配要らないよ。鬼火は筋がいいからすぐに慣れる。それより……」

「うん、誰かにつけられてるな」

 素人の彼にさえわかるような尾け方だ、相手も素人なのだろう。

「どうする?」

「少し遠回りして様子を見よう」

 二人は振り返りたいのを必死に堪えて歩いた。

 しばらく歩いて人気が少なくなってきたころに、神社の鳥居の前でその相手が声をかけて来た。

「凍夜!」

 聞こえない距離ではない。むしろここで知らん顔をする方がずっと怪しい。仕方なく二人は振り返った。

 お恵だった。

「凍夜……だよね」

 凍夜としのぶは顔を見合わせて首を傾げた。そう言えばしのぶは凍夜と言う名前を知らないはずだ。こういう時に動揺しないように、敢えて名を名乗らせなかったのかもしれない。

「ねえ、凍夜、なんで知らん顔するの。あたしだよ、お恵だよ、わからないわけないでしょう?」

 お恵が縋りついてくる。が、凍夜は迷惑そうに「ごめん、その人知らないよ」と白を切った。

 しのぶが「鬼火、行こう」と袖を引っ張る。

「鬼火?」

 お恵が怪訝な顔をする。

「悪いけど、人違いだよ、俺じゃねえ」

 凍夜は踵を返してお恵から離れた。

 だが、お恵の次の言葉は凍夜の理性を失わせるに十分過ぎた。

「三郎太さんが……三郎太さんが襲われて、酷い怪我なの」

 思わず立ち止まった凍夜が振り返る。しのぶが小声で「鬼火」と言うが、時すでに遅し、「三郎太さんが?」彼は素の凍夜に戻ってしまっていた。

「うん、凍夜はどこだ、凍夜を出せって、河原で殴る蹴るの暴行を。ちょうど人が通りかかってそれでいなくなっちゃったけど、誰も来なかったら殺されてたかも。お願い、悠さん連れてくるからここで待ってて。神社の中のどこかに隠れてくれていたらいいから、ね」

 凍夜に有無を言わせる隙を与えずにお恵はくるりと向きを変えて走って行ってしまった。

 しのぶは凍夜を見てあからさまに溜息をついた。

「鬼火のこれ?」

 小指を立てるしのぶに「まさか」と大慌てで否定する。

「あんたの弁慶の泣き所だね、その三郎太って人」

「ごめん。身寄りがなくなったおいらを拾ってくれたんだ」

「ほら、また『おいら』になってる。さっきの子に会ったから、そのころの自分に戻っちゃったんだね」

「ああ、凍夜に戻っちまった」

「あんた、凍夜って名前だったんだ」

 二人は歩きながら神社の境内に入った。苔むした階段を上り、阿吽の狛犬の前を通る。鳥居をくぐるとそこだけ世界が違うように感じる。目に見えない結界があるかのようだ。

「どんな字?」

「凍える夜って書く。凄く寒い日の夜に生まれたから。しのぶは?」

「あたしの本名なんか忘れたよ。っていうか赤ちゃんだったからわからない」

 風が抜け、神社の木々がざわざわと枝を鳴らす。

「あの子、この前も金物屋の前であった子だよね。枝鳴長屋の子だって言ってたね」

「そう。三郎太さんもお恵も一緒の長屋だった」

「悠さんってのは?」

「三郎太さんの隣に住んでる人。あの長屋には三郎太さんと悠さんと、もう一人栄吉さんてのとお恵しかいなかったからみんな家族みたいなものなんだ」

 ぼそぼそと話していると、数人の足音が聞こえてきた。凍夜としのぶは咄嗟に目を見合わせ、お社の影に回った。

「凍夜、いる? あたし。悠さん連れて来た」

 お恵だ。しのぶが小さく頷くのを見て、凍夜はお恵の前に出て行った。

「ここだ」

 凍夜の声に、お恵よりも悠の方が早く反応した。

「凍夜、無事だったか」

 凍夜は黙って頷いた。

「とにかく人目につかない裏手に回ろうよ」

 お恵の提案で四人は静かに移動した。



 凍夜は挨拶もそこそこにいきなり聞いた。

「何があった?」

 つい昨日のことだ。悠が枝鳴長屋で仕事をしていると戸を叩く音がする。何事かと戸を開けると、そこに三郎太が倒れていたらしい。とにもかくにも栄吉と二人で三郎太の部屋に運び、布団を敷いて寝かせ、手当てをしてやったのだが、なにやらうわ言のようにひっきりなしに喋っている。

 よくよく聞くと、河原をのんびり散歩していたら見知らぬ大男が現れて「凍夜はどこだ」と言ったらしい。三郎太は直感で口入屋の一味だと思い、知らないと言って通したそうだ。本当に知らないのだから当たり前だ。

 だが、大男はは「知っているはずだ」と言って殴る蹴るの暴行を加え、凍夜の居所を吐かせようとしたらしい。通りすがりの人が大声を出したところで逃げて行ったようだ。

 三郎太はそれから必死で枝鳴長屋まで行き、悠の部屋の前で力尽きたのだ。彼の顔は見る影もなく腫れ上がり、体じゅう酷い打撲と骨折で動けなくなってとにかく悠の部屋の戸を叩いたという。

「いいかい、凍夜。誰だか知らないけど、お前さんをどうしても欲しがってるやつがいるのは間違いない。お前さんの言ってた口入屋が怪しいが、今のところ確証はどこにもないんだ。とにかくすぐに戻って、しばらくは柏原の町には近付くんじゃないよ、いいね?」

 来るなと言われてもまた柏原にお使いを命じられるかもしれない。凍夜としては簡単に「わかった」とは言えない立場なのだ。それがわかったのか、しのぶが横から割り込んだ。

「わかった。あたしが責任もって柏原に近付けないようにする」

「いい子だ。お嬢さん、名前は?」

「しのぶ」

「よし。じゃ、しのぶ、頼んだよ」

 悠はお恵の手を引いて神社の鳥居をくぐって出て行った。お恵はいつまでも名残惜しそうに何度も振り返っていた。

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