第29話 柏原の異変5

 その日の晩、凍夜は三郎太のことが心配でなかなか寝付けなかった。何度も寝返りを打っては、たくあんの尻尾を齧っている三郎太の笑顔や、一緒に溝浚いをして泥だらけになった格好などを思い出していた。

 そのうちにいろいろなことが心配になってきた。両親だけでなく、拾ってくれたというだけで三郎太まで酷い目に遭わされたのだ、悠や栄吉にまで手を出しているのではないだろうか。お恵は大丈夫なのだろうか。

 自分が世話になったばかりに枝鳴長屋にごろつきが出入りするようになるのはどうにも許しがたい。しかし、自分にはどうすることもできない。

 眠れなくなった凍夜は思い切って外に出ることにした。いつかのようにこっそりと木戸を開け、畑の方に出る。空には満月が輝き、畑の野菜の青さまで見えるようだった。

 ふと人の視線を感じた。茂助の家からしのぶとお藤の家、農具小屋、厠、薪小屋とぐるりと見渡して、一瞬彼は大声を上げそうになった。人間と目が合ったのである。

「鬼火も眠れないの?」

 薪小屋の前にある薪割り用の切り株の上に、しのぶがちょこんと座っていた。すぐそばにいたのに、全く気付かなかった。

「そんな幽霊にでも遭ったような顔しないでよ。あんた殺し屋の端くれでしょ。気配くらい察知しなよ」

「ごめん」

 謝ってから考えた。自分は何に対して謝ったのか。殺し屋の端くれなのに、しのぶの気配を察知できなかったことに対してではなく、彼女を見て幽霊を見たかのように驚いたことに対して謝ったのだということに気づいた。どうやらまだ殺し屋の自覚が足りないらしいが、女性に対する態度としてはこちらの方が正しいような気もした。

「あんたもここおいでよ。一緒に座ろう」

「こんな小さい切り株に二人は無理だよ」

「大丈夫。背中合わせに座ろうよ」

 二人で一つの切り株に座ると不思議な気分がした。しのぶの顔は見えないが、くっついた背中からなにかが伝わってくるようだった。

「あたしさ、鬼火が一人前の殺し屋になったら、背中を預ける相棒になって欲しいんだ」

「背中を預ける?」

「ほら、馬とか牛とかと違って、人って目が正面についてるでしょ。だから後側が見えない。仕事中に敵に囲まれたら背中は無防備になるじゃない。背後を安心して任せられる相棒がいたら最高でしょ」

 ――相棒――凍夜にはそれが不思議に響いた。

「おっ母さんのかんざし見た?」

「お藤さんの? 黄色っぽいヤツ?」

「そう。琥珀の簪。綺麗でしょ」

「うん」

「あれね、あたしを取り上げてくれた産婆さんが柏原の名主様のところで女中をしてる時に貰ったものなんだって。それをね、お藤さんにあげたんだって。その頃お藤さん二十歳くらいで綺麗な盛りで、産婆さんはお婆ちゃんだったから、簪も年寄りよりは若いお姉さんの髪を飾りたいだろうよって言って」

「へぇ。不思議な縁だね」

「でね、普段は絶対に褒めてくれないお藤さんの先輩が凄く褒めてくれたんだって。とっても綺麗だって。お藤さんはその簪で何度も先輩を救ったらしいの。背中を預ける相棒として」

 背中を預ける相棒か。

「あたしね。あたしは鬼火に守って欲しいし、鬼火を守りたい」

 凍夜はなんだかとても照れ臭かった。顔が見えなくて良かったけれど、ぴったりとくっついた背中がなんだか余計に恥ずかしかった。

「嫌だった?」

「え、何が?」

「急に鬼火が黙っちゃったから、嫌かと思って」

「違うよ。俺なんかにしのぶの相棒が務まるのかなって思ったもんだから」

「鬼火ってほんと鈍いよね」

 しのぶの唐突な発言に、凍夜は驚くよりもまず妙に納得してしまった。確かに自分は鈍い。自分がこっそり起き出していた時、みんなその気配だけで凍夜が外にいることに気づいていた。恐らく今だってみんな気づいているのだろう。

「うん。鈍いのは認める。だけどちゃんと修行して一人前の殺し屋に」

「ほら鈍い。そんな話をしてるんじゃないよ。人の期待に対して鈍感だって言ってるの」

 凍夜は背中合わせのまま、首だけ回してしのぶの方を振り返った。しのぶもチラリと振り返ったが、また前を向いた。

「みんな鬼火に期待してるんだよ」

「俺に?」

「そう。孫六さんは鬼火のことを『物覚えがいい』って言ってたし、佐平次さんは『手先が器用だ』って言ってた。おっ母さんは『筋がいい』だって。どれも殺し屋には必要だけど、あんたはどれをとっても合格点だ。それにお爺ちゃんはあたしと鬼火が組んで仕事をすることに期待してる」

「なんで?」

「あたしたちがまだ子供だからだよ。子ども相手なら標的も警戒しない。二人でいても友達同士や兄弟に見えたりする。油断しているところを襲うのは基本中の基本だからね」

 父も母も油断しているところを襲われたのだろうか。いや、そうとは限らない。三郎太は警戒しても力づくでやられたのだ。それは相手が本物の殺し屋ではなく、ただのごろつきだったからかもしれないが。

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