第16話 凍夜5
柏茶屋は柏原で一番大きな待合茶屋だ。食事をしながら重要な商談をまとめたり、男女が逢引きに使ったりと重宝がられている。ここには食事や酒を運ぶ女中の他に、芸者たちも働いている。その女たちの頂点に立つのが蜜柑太夫である。
彼女の本名は悠しか知らない。なぜ蜜柑太夫と呼ばれるようになったのか、その由来も誰も知らない。どうやら悠に関係しているらしいのだが、悠がそれを喋るわけがなく謎に包まれたままである。
もともとは良家の御令嬢で大名主の
その柏茶屋に悠が現れると、それだけで天と地がひっくり返ったような騒ぎになる。特に男女の仲というわけでもなく、この先二人がどうなるということでもなさそうなのだが、とにかく二人が並ぶと雛人形のように美しく、周りからため息が漏れてしまうのである。
しかも悠は芸者を呼ばない。蜜柑太夫としか話さないのだ。歌も踊りも三味線もまるっきり興味が無く、ただ蜜柑太夫と少し話して帰って行く。この淡白なところも他の女性たちの心を掴んで離さないらしい。あの蜜柑太夫を呼んでおいて、歌も三味線も要らないなどととんでもない野郎だが、なぜか彼はそれでも許されてしまうのだ。色男とはそういう生き物である。
今日も蜜柑太夫を呼びつけた悠は、彼女が現れると人払いをしたうえで早速切り出した。
「お殿様って言ったら誰だろうね?」
「この辺りなら
「何か噂を聞かないかい? 子どもの奉公人を集めているとか」
「それを調べれば良いのですね」
「さすがお
「その名はここで呼ばないでと言ってるでしょう」
蜜柑太夫が少し膨れて見せると、悠は「すまねえすまねえ」と笑う。それがまたどうにも女心をくすぐるのだが、こと蜜柑太夫に関してはまるで効き目がない。
「あと楢岡の口入屋の噂は何か聞かないかい?」
「そちらも調べておけばよろしいのですね」
「そ」
全く人遣いの荒い。だが悠が言うとそれだけで許せてしまう。狡い男だ。
「もういい加減所帯を持ったらいかがです?」
呆れたような蜜柑太夫の視線がやや冷たい。
「あたしは女に興味がないんでね。子供は好きなんだけどねぇ」
「そんなだから悠さんはいつまでも独り身なんですよ」
「長屋にお恵ちゃんって娘がいてね」
「いくつなんです?」
「九つ」
蜜柑太夫は肩を竦めると「次のお座敷に行きますね」と部屋を出て行った。悠は苦笑いして柏茶屋を後にした。
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