第17話 凍夜6

 柏原でも少々名の知れた大店である恵比寿屋さんの角、お堀に面した柳の下に夜鳴蕎麦屋が出店している。栄吉である。ぎっくり腰がだいぶ良くなって久しぶりに蕎麦を打ったので、こうして常連客が来るのを待っているのだ。

 ここは往来の邪魔にならない程度の道幅があり、夜でもそれなりに人は通る。夜鳴蕎麦屋を出すにはもってこいの場所である。ここで赤い提灯さえ下げておけば、栄吉の蕎麦だとこの辺りの人は認識する。

 早くも一杯ひっかけながら蕎麦をすすっている常連の顔がある。勝五郎親分だ。

 勝五郎はもともと海沿いの潮崎という町の岡っ引きだった。そもそもこの辺りのような田舎になると揉め事はだいたい町内で解決してしまう。その中心となるのは差配や名主で、柏原に限って言えばほどんどが大名主の佐倉が解決していた。そのため勝五郎は潮崎とここ柏原と、間にある楢岡の町をウロウロしていたのだ。今では潮崎に同心と岡っ引きが配置され、勝五郎は柏原の番屋に一人で詰めている。そして佐倉と連携して町に目を光らせている。

「旦那、お久しぶりですねぇ」

「お前さんが蕎麦屋を休んでいたんじゃねえか。お前さんの蕎麦が恋しくってしかたねえ。ぎっくり腰はどうだい」

 栄吉は漬け物石のような顔を苦々しく歪めて笑った。

「へえ、ぼちぼち。旦那も気を付けてくださいよ、いきなり来やすからね」

「そうも言ってられねえんだ、楢岡で子供が行方不明になる事案が多発しててなぁ」

 栄吉がチラリと視線をあげる。

「へえ、そうですか。子供がねえ」

「潮崎から始まって、楢岡にまで広がって来た感じだな」

「かどわかしですかね」

「可能性はあるな。そうだとしたら子供たちはどこかに売られているかもしれねぇ」

 人身売買……よくある話ではあるが、それがかどわかされてということなら親も子も青天の霹靂だろう。

「あと、不審な事故や自殺が多い。大抵子供が残される。可哀想になぁ」

「そういう子はどうしてるんですかね」

「さあな。親戚に貰われていくか、何処かに住み込みでご奉公に上がるんじゃねえか。なにしろ最近は火事と土左衛門が多い。ほら、少し前に腹ボテの土左衛門が上がったろ。あの子の父親はそのちょっと前にのみで心の臓を一突きよ。お前さんとこの長屋の三郎太が引き取ってくれたんだよな」

「ああ、もう出て行きましたよ」

「あの子は聡い子だった。凍夜って言ったかねぇ、父親は自殺じゃないと自分で証明したが、どうにもできなくてね。その後母親が事故死だ。ありゃ気の毒だったが、出て行ったってことは何か生きる術を見つけたんだね」

「へえ、そのようで」

 勝五郎は蕎麦をずぞぞっとすすると、また深刻な顔を作った。

「そのかどわかしと思われる子供の失踪がな、潮崎から始まって楢岡まで広がってるってぇのが気に入らねえ。潮崎と楢岡の間には山がある。普通そういうモンは山を越えねえもんだ。楢岡まで来たってことは、柏原にも来るんじゃねえかと思ってな」

「潮崎には森窪もりくぼの旦那がいらっしゃるでしょう」

 森窪というのは潮崎の同心で、名を俊太郎しゅんたろうという。潮崎にいた勝五郎が柏原に詰めることになったのは、この森窪が十八年前に潮崎に赴任したからである。その前に一年ほど熊谷様という同心が潮崎を束ねていたが、不慮の事故で亡くなり、森窪の旦那が来たというわけだ。尤も柏原では気心の知れた勝五郎に来てもらった方が安心だと、声に出さずともみんなそう思っていたのは言うまでもないのだが。

「潮崎の若様はおいくつになられましたかね」

「三十路に入ったんじゃねえかな。若様ってぇ歳じゃねえがな。まだ嫁を取らねえらしいぜ」

「へえ、そりゃまたどうしてでしょうね」

 栄吉は殊更に驚いて見せる。その方が勝五郎の口が滑らかになるからだ。

「そういう話が何度もあったのに、当の若様がはねつけるとかでな。確か一度嫁いできた娘がいたらしいんだが、四年もの間、自室に捨て置かれて顔もろくに合わせねえってんで、里に帰りたいと訴えたらしい。そのとき若様が二つ返事で許可したとかでな」

「二十代の男盛りだってのに?」

「そう。あんまり大きな声じゃ言えねえが」

 そこで勝五郎は周りを見渡してから声を落とした。

「若様は男色の気があるらしい。噂だがな」

「へぇ……」

 確かにそういう人も珍しくはない。うちの長屋にも変なのがいるしな……と思ったところへ勝五郎がそいつの話題を持ち出した。

「おめえさんとこの長屋に、悠って変に色気のある若いのがいるだろ。ああいうのは気をつけねえと男色家に狙われるぞ」

「ありゃあ大丈夫です。あれも女には目もくれねえ」

「なんだいなんだい、あれも男色家かい」

「子供にしか興味がねえようで」

 目を点にした勝五郎が一瞬遅れて笑い出した。

「そりゃそれで問題だな」

 それからすぐに話題は変わって、恵比寿屋さんのお内儀かみ悋気りんきの話になってしまった。恵比寿屋さんの店先で話すようなことだろうかと思いつつ、栄吉はその話を聞くふりをしながら、凍夜のことを考えていた。

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