第8話 仇4
凍夜が三郎太のところへ来てから半月が過ぎた。あれからお恵とも少しは話しているし、栄吉や悠ともそれなりに付き合ってはいる。だが、もともと口数が少ないのだろうか最初の三日は三郎太以外とはあまり口もきかなかったし、少し慣れた今でもあまり会話が長続きしない。
それでも悠の蒔絵がだいぶ仕上がったので、まとめて町の文箱屋に持っていくことにした。もちろん凍夜も手伝いだ。
三郎太は凍夜がきょろきょろと周りを気にしながら歩いていることに気づいた。それも、あまり会いたくない誰かがいるような感じだ。まあ、子供たちの世界もいろいろある。いじめっ子がいるのかもしれないと、三郎太はさほど気に留めなかった。
文箱屋の帰り、凍夜がお冬さんのところに行って来たいというので、三郎太は先に帰ることにした。まさか栄吉がぎっくり腰で唸っていようとはその時は想像もしなかった。
お冬のところへ立ち寄った凍夜に、彼女は「何かあったのかい?」と心配顔を向けた。ただなんとなく立ち寄っただけだと言うと、ほっとしたように胸をなでおろした。
「どうだい、三郎太さんは親切にしてくれてるかい?」
「うん。おいら、あの人に拾ってもらって良かった。同じ長屋のお恵ちゃんて子も仲良くしてくれる。ご飯もちゃんと食べさせてくれるし、みんないい人だよ」
「そうかい、それは良かった。ああ、そうそう。差配さんから預かったものがあるんだ」
お冬は箪笥の中から小さな袋を出してきた。それは着物の端切れで作ったらしい巾着袋でお金が入っているようだった。
「凍夜の家に残ったものを売り払ったんだ。それでできたお金がこれさね。差配さんが全部やってくれてね、これはあんたの家のものが化けたお金だから、凍夜に渡してくれって」
お冬は凍夜の手にその巾着を握らせた。
「だけど差配さんが全部やってくれて、お冬さんが預かってくれたんだ、二人の取り分も取ってくれないと」
「子供が何言ってんだい。それは三郎太さんに渡しな。あんたを食わしてくれてるんだ、あたしらはお春ちゃんにたくさん世話になったんだからこれじゃ足りないくらいさ。あ、そうそう、
お冬は風呂敷にお金の入った巾着と筍を包んで、凍夜に背負わせた。
「気をつけてお帰り」
凍夜は礼を言ってお冬の家を後にした。
凍夜は椎ノ木川の河原を歩いた。この近くは桜が咲く。たくさんの花が木を染めるのも好きだが、彼は風に散る花びらが好きだった。
ぼんやりと歩いていると、河原で喧嘩している子供がいるのが見えた。いや、これは喧嘩ではない。一人の子供を数人の子供が取り囲んで虐めているのだ。囲まれている子は体も小さく気も弱そうで泣いている。凍夜は止めに入ろうかと思ったが、背中には筍と大切なお金がある。どうしようかと迷っていると、同い年くらいの女の子がその中に割り込んで行った。
「ちょっとあんたたち! 大勢で一人の子を虐めるなんてどういう了見よ。みっともないったらありゃしない、それでも男なの!」
凍夜はその声に聞き覚えがあった。枝鳴長屋のお恵ではないか。彼女は一人ずつひっぱたいて、あっという間に周りの悪餓鬼どもを蹴散らしてしまった。
「一昨日来やがれっての!」
パンパンと手を叩くお恵の後ろから、凍夜はそっと声を掛けてみた。
「お恵?」
お恵はハッと振り向いて「凍夜じゃない!」と嬉しそうに寄って来た。
「荷物重そうね、手伝おうか?」
「大丈夫。それより、今の子たち知り合い?」
「ううん、知らない」
「強いんだな」
「そうでもないよ。ああいう弱い者虐めみたいなの、大っ嫌いなんだ」
二人は並んで歩き始めた。
凍夜はそれまでお恵とまともに話したことはなかったが、今ならなんとなく話せそうな気がした。
「なあ、おいらも強くなりてえんだ。どうしたらいいんだろうな」
「うーん、そうだねぇ。まずは賢くなる」
凍夜は今ひとつピンと来ない様子で首を傾げた。
「喧嘩って言うのは腕っぷしだけでするもんじゃないよ。頭でするの。賢ければ喧嘩に負けない」
「ふうん、そんなもんか」
凍夜には今一つピンと来ない。
「凍夜は読み書きできるの?」
「ううん」
「算術は?」
「できない」
お恵はやれやれと肩を竦めた。
「じゃ、あたしが教えたげるよ」
「ほんとか?」
「賢くなって強くなりたいんでしょ?」
凍夜は何度も頷いた。
「あとは体を鍛えること」
「どうやって?」
「簡単よ。水汲みとか荷物運びとか掃除とか。そうやって体をたくさん動かすの。お使いの時も歩くんじゃなくて走ったらいい」
「そうか。体を動かすのか」
翌日からお恵の個人指導が始まった。
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