ある聖女候補の話

 修道院から少し離れた場に『星見る塔』はある。

 昔はここで天文学者たちが夜な夜な星を眺め、地上と空の繋がりを解明せんと目を凝らし、星と星の間を這う魔力の動きを追い、新たな魔法陣の形を見出そうとしていた。

 数年前、王城に立派な観察塔が出来たためここに立ち入るものはもはや誰もいない――はずだった。


 寝間着のワンピース姿で少女は塔の螺旋階段を登っていた。

 あがる息を隠そうともせず、むしろ胸底にある感情を吐き出さんばかりだ。

 金色の美しい髪は乱雑に結わえられ、炎のようなオレンジ色の瞳は揺れている。

 硬い足音を響かせ、ようやく頂上にたどり着く。17の少女でもこの階段数は辛い。少女は壁に手を着きぜえぜえと肩で息をし、落ち着いた頃に顔を上げる。

 感情の整理がつかないときは、ひとりきりになりたくてここに登る。

 ここには誰もいない。上だけ見れば星しか見えない。音も聞こえない。冷たい空気だけがある。

 ――はずなのに。


「……え?」


塔の窓辺には何故か女子院長のラマリスがいた。

さらに言えば、そのそばには壁にもたれて座る男子院長のハンデルも。

酒精の香りがうっすらと漂っている。瓶の中の液体は、恐らくそういうことだ。


「こんばんは、シスター・ラナン。その格好では冷えるでしょう。カーディガンをお貸しします」

「飲みさしでで良ければ一口飲みますか? 身体も温まりますよ」


 悪びれもしないで挨拶をしてくるラマリスとハンデルを前に、ラナンは――ラナン・キュラスは絶句した。

 修道院では深夜の外出は禁止されている。それは自分のこともあるので大声では言えないが――。

 なにより、異性である院長同士が人気のない場所で密会というのはいかがなものなのか。それもだいぶ常習的のようだ。


「……あのっ、失礼しました」

「まあお待ちなさい」


 カーディガンを羽織らせた上からラマリスはラナンの肩を掴む。

 動けない。とんでもない怪力である。


「こんなところにふらりと来ることなどまずありえませんもの、なにか用事があっていらしたのでしょう?」

「そうですよ、シスター・ラナン。懺悔でも悩みでも聞きましょう」

「……本心は?」

「ここにいるのがバラされると面倒なのでどうにかして懐柔ないし弱みを握りたいと思っています」

「弱みとは少し物騒ですねラマリス。共犯にしたい、ぐらいがいいのでは?」


 果たしてこんな人たちだっただろうかとラナンは戸惑う。

 普段ラナンが見ているラマリスは、にこりともせず、言葉少なで、そばにいれば自然と緊張してしまう人だ。

 同じようにハンデルも、日中は一切の隙もない雰囲気で、簡潔かつ丁寧に話をしているところしか見たことがなかった。

 どちらも絵にかいたような「女神に仕える聖職者」で、だからこそ今こんなところで緊張感もなく存在していることが嘘のように思えてしまう。


「……おふたりがここにいたことは、私は口外いたしません。それと、仮に話したとして、なぜ私がそれを知っているのかという話にもなりますから。――もし信じられないというのであれば、『結び留め』をしますか?」


 『結び留め』というのはいわゆる契約の魔法だ。

 約束を破ると身体に激痛が走るという代物である。一般で許されている契約魔法では最上のものとされている。さらに上は身体の部位が吹っ飛んだり命を落とすような重いものとなってしまう。

 ラマリスは微笑んで首を振る。


「いいえ。パメラからあなたはとても誠実な人だと聞いていますから、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですわ」

「パメラが……」

「おだてではなくて本当のことですよ。あの子、そんなに人が好きではないのですけどあなたのことだけはいつも楽しそうに話してくれるのです」

「そう、なんですか」


 懐かれているような気はしていたが、どうやら一方的な思い込みではなかったことに安堵する。

 ラナンより4歳下の少女は何を考えているのか快不快ですらいまいち読み取りづらい。同い年の少女たちに比べると表情が乏しすぎるのだ。

 隣室なこともあってパメラのことを妹のように面倒を見ていた。最低限の身支度は本人もしているが、髪の管理が何度言ってもずさんなので風呂上りと朝には必ず櫛を通している。


「実のところ、助かっています。私たちとパメラは親子ほどの年が離れていますからなかなか心情を理解することが難しくて」

「いえ、こちらも、あまりあの子を分かってあげられてはいないので……」

「立ちっぱなしの話も悪いですから椅子を用意しましょう」


 ハンデルが床の一部分に指先で触れると魔法陣が現れ、簡易的なテーブルと椅子が造り出された。真夜中の秘密の話し合いに使っていいレベルの魔法の練度ではない。

 それぞれがテーブルに着くと、ハンデルはラナンに向かって人差し指を立てる。


「ひとつ忠告ですが、契約魔法の使用を易々とするものではありませんよ、シスター・ラナン。特にあなたは聖女候補なのですから外部からの付け入る隙は極力減らすべきです」

「……」


 聖女候補という単語でラナンの身体が強張った。

 ハンデルとラマリスは目くばせしあい、ラマリスが優しい声で聞く。


「なにか、あったのですね?」


 口をきつく結び、ラナンは首を横に振った。

 なにかあったからここに来たのは明らかではあったが。

 大人ふたりはそれ以上質問はせず、静かに酒を舐める。完全な静寂ではなく、遠くから寝ぼけた鳥の声が聞こえたり木々が葉をすり合わせる音が響いていた。


 何度か声を出すために息を吸い、唇を舐め、止めていたがようやく決心がついたらしい。

 ラナンは反応を伺いながら口を開く。


「あの、私の、聖女候補の教育係の先生たちが、陰でお話されていたのを盗み聞きしてしまったのですが……」


 パメラの教育係はハンデルとラマリスのふたりだけだが、本来は様々な分野のエリートたちが選ばれる。

 ラナンには5人の教育係がついていた。他数名の聖女候補たちも同じぐらいついている。

 王族に勉学を教える者も含まれている。本来なら専門機関に入りコネを使い多額の金を払わなければならない知識を、「聖女候補だから」という理由で惜しみなく教わっていた。


「パメラが選ばれることはないと、あの子の頑張りは無駄だと、話していて……許せなくて……!」

「ああ。そういうことでしたか」

「シスター・ラナンは優しいのですね」


 あまりにも軽く返されたものだからラナンは目を剥く。


「なんで……っ、いいんですか!?」

「ドゥーですから」


 どちらが言ったのか、ラナンには分からなかった。

 あまりにも冷静で、低い、あきらめを含んた言葉。


「俺もラマリスも特例で院長をしていますが、本来なら役職を持つことも難しい身分です。卑しいドゥーですからね。聖女になんかなれません」

「事実、私も聖女候補でしたが予備のような扱いですよ。教育係もエリザベートとかいうもの好きの爆炎ババアクソババアだけが務めていました」


 知らなかった。

 そもそもドゥーという苗字とその出自についてラナンは聖女候補に選ばれて修道院に入るまで知らなかった。

 貴族界の中では触れることのない存在であったから。


「あとは単純に血筋の問題もありますので、王妃とするにはあの子は不適切でしょう。誰のはらから生まれたか不明ですもの」

「で、では聖女候補として費やしてきた時間は、費やしていく時間は、すべて無かったことになるということですか!?」

「そうですね。無駄です」

「え!?」


 明日の天気を言うような軽さで彼らは頷く。


「ラマリス、極端すぎますよ。……全部無駄とは思っていません。ただ、まあ……やめますとは言えないですよ。あの子も、こちらも」

「どうしてですか? ええと、例えば、聖女選定に携わる方と連絡は取れないのですか?」

「なぜ?」

「ドゥーというだけで今の段階から聖女になれないというのはおかしいです。もう一度、ドゥーであっても選ばれることはあるのか確認すべきだと思います」


 ハンデルは乾いた笑いを漏らした。

 

「それはの意見ですね。我々がなにか言ってもまず届きません。それこそドゥーなので」

「じゃあ、私がっ」

「止めておいていただけませんか、シスター・ラナン。あなたを唆したとして罰せられてしまう」


 冗談を言っているようには見えなかった。

 夜のせいだからか、酒が入っているからか。

 院長たちの目には深い絶望が渦巻いているようにラナンには見えてしまい顔をそらす。

 

「……どうしたら、聖女候補として私とパメラが対等に見られますか?」


 対等。

 それこそが、ラナンの望んでいることであった。

 確かにパメラのちからに嫉妬はするが、純粋に称賛に値するとも思っている。

 だからこそ貴族の家柄だとかドゥーだとかで聖女を決めてほしくはなかった。

 この国にふさわしく、民を癒やし、王を支えるに適したほうを選んでほしいと思うのだ。


 ――ハンデルとラマリスは、甘い考えだと笑わなかった。肯定もしなかったが。


「国に染み付いた考えですから、難しいでしょう。でもあなたがそう考えてくれていると知れただけで、俺達は救われます」

「シスター・ラナンだけですよ。パメラを除いた聖女候補で、私達を蔑まないのは。彼女達が悪いと言うよりは彼女達にそう吹き込んできた者に原因があるとは思いますが」


 ラナンにはもうなにも言えなかった。

 自分が想像したよりも濃い闇がこの国に渦巻いており、少なくともいち貴族の娘にはどうすることもできない。


 『私ね、王子にいわれてここに来たの』


 パメラは髪を梳かされながらぼそりと零していたことが耳の奥で蘇った。


『でもこの前の謁見のとき、目も合わせてくれなかった。飽きちゃったみたい』


 そのときは、イルデット王子はラナンのことを見ていた。先生たちが喜んでいたから覚えている。

 ほんの気まぐれで人生を変えられたパメラにはまるで感心もなくて。

 まだ13歳の少女は、報われることのない運命にこれからも付き合わされていかなくてはならない。


 鼻の奥がつんと痛くなり、ぼろぼろと涙が溢れてくる。

 ラマリスに背を擦られながら、ラナンはずっとままならない現実に泣くしかなかった。



「ラナン様、ラナン様」


 は、とラナンは目を覚ます。

 頬が濡れていたので袖で拭った。……もう3年前の出来事なのに未だに夢に見てしまう。


「ラナン様、大丈夫ですか? お部屋で休まれたほうがいいのでは……」

「いいえ、大丈夫です。すみません休んでしまって」


 この地に昔から住む、顔が半分焼けただれた女性は困ったように笑う。


「ラナン様がいらしてから、色んなことが今まで以上に動いています。わたくしどもだけではあと数年は必要だったでしょう。ですから、休んでも誰も文句は言いませんよ」


 気遣われていることに気づいてラナンも苦笑いする。

 ここでは魔法を使える者はひとりとしていない。そのため人力で行われていたことが、ラナンが入ることで一気に負担が減ったのだ。


「……でも、もう少しだけします」

「……そうですか。では、水分をお摂りくださいませ。持ってきますね」


 女性はそう言ってきびすを返す。

 その後ろ姿を見送りながらラナンは肩までの流さがある髪をいじる。

 聖女になることを否定し、逃げ出した夜に自ら切り落としたのだ。髪は燃やした。魔術的に利用されるし、下手すると媒介にされ追跡されるからだ。


「ラナンさまー!」

「ラナンさま、お元気ですかー」


 子供たちが無邪気に手を振るのでラナンも振り返した。

 彼らは政治犯の父がいた。家庭が崩壊し生活ができない中でここにたどり着いている。

 爛れた顔の女性は貴族に仕えていたが不貞を疑われ熱湯を浴び、瀕死のなかここの住民に助けられたという。


 ここは、パレミアム国から逃げた者が住まう地。

 ――地下帝国アカルディア。


「目指すは、生活の地盤作り、国としての機能……」


 自分がいなくなっても問題ないところまで行ったら、ここを出ていこうと決めていた。

 そうしたら長い道のりになるだろうが協力者を集める。消息知れずのパメラも探していく。暗黒竜を目覚めさせる方法も探らなければ。

 パレミアム国を変えるための準備を、するために。


 腐った王国を変えるためにはなにもかもをひっくり返し均すしか手段はない。

 ……たとえ1度、滅ぼすことになったとしても。


 


 

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