僧侶と聖女の報告
「いいですか、落ち着いて聞いてください。あなたが眠っていたあいだに、私は根の国へ落ち、なんか食べてはいけないものを食べ、ネクタはひとの形を取れるようになりました」
眠りから覚めたばかりのティトへ、パメラはそう告げた。彼女に似た女性がその後ろでウンウンと頷いている。
ティトは上半身をゆっくりと起こし、しばらくぼうっとあたりを見回したあとに再びパメラに視線を戻す。
「……寝起きだからか、あまり理解できませんでした。ひとつずつ話してもらっていいですか?」
「分かりました」
生真面目な顔で頷き、彼女は話し始める。
「まずひとつめ、眠らせる魔法を強くしすぎました。これは申し訳ありません」
「俺もおぼろげながら荒れていたのは自覚しているので……それにしてもあんな魔法がとっさに出るとはさすがですね」
「先生たち、あのぐらい出力が強くないと足止めできなくなってしまいまして。その時の癖が出てしまいました」
「なるほど、苦労が忍ばれます。先生たちの」
うっかり出ていい癖ではない。
彼女が強すぎたから先生たちも強くならざるを得なかったのか、先生たちが強すぎたから彼女も強くなったのか――。
どちらにしろ、魔法の才を潰さない師には恵まれたのだろう。大切なことは教えられていないような気がするが。
「ふたつめ。根の国に落ちました」
「……どうやって?」
「ドアをぶち壊した先に穴があり、そこへうっかり落ちたらたどり着きました」
「……。そうですか」
根の国ってたしか死後の世界のはずだが。
というか、ドア向こうで執拗に親しいものの声を借りて話しかけてきた存在に向かって攻撃したばかりか、素直に穴に近づいたらしい。
もう何も言うまい。好奇心で危ない目に遭うのは今に始まった話ではないので。
「あの穴から腐乱した臭いを感じたのでもしやと思いましたが、本当に死に関連するものとは思いませんでした」
そんな場所に気軽に近づくな。
ティトから言いたいことは山ほどあるが、ぐっとこらえた。
「うん、とりあえず根の国にはついたと。で、なんでしたっけ……食べてはいけないものを食べたのはだいたいいつものこと――ん? 根の国で……食べてはいけないものを……食べた……?」
「はい」
「えっ……マジで?」
「マジで」
夢の中であってほしいと頬をつねるが、残念ながらここが現実であることを再確認する羽目になる。
そろそろしっかり叱ったほうがいいだろうか……と遠い目をした。
「……根の国のものを食べたらこちらには戻れない、と俺の国では言い伝えられていましたが、実際はそんなことなかったようですね」
「はい。代償は支払いましたので」
「まあそれなら……代償!? なにを!?」
「個人的なものです」
「個人的なものって…………」
何を奪われたか問いただそうとしたが、パメラが左胸のあたりを押さえているのを見てティトは言葉を止める。無意識なのだろう、彼女の視線は追求を避けるべく逸らされていたので。
眠る寸前、彼女の言っていたこと――心臓がない――が本当であるならばそれに関連するものなのか。
(……話したくないのであれば、無理に聞くこともないか……)
必要となれば話してくれるはずだ。パメラはなんだかんだ誠実なところがある。行動はバカそのものであるが。
「次に、ネクタのことですが。こんな感じです」
手招きされて女性が立ち上がろうとする。しかし同時に両足を前に出そうとしてべちゃりと転んだ。
突っ伏したままかたちが溶けていき、普段見慣れているスライムへと変化する。うねうねとパメラのもとに近づいた。
「この通り長時間は変身できないようです。動きも訓練の必要があります。でも進歩はしていますでしょう?」
「『変化の指輪』があってもひとの形にはなれませんでしたが……なにがあったんですか?」
「まずはいわくつきの神、その正体について語らなければなりませんね」
彼女の短くも濃い冒険譚をまとめると、こうだ。
あの声の正体はこの地で死んだ者たちの霊魂。それが長い間祀られたことによって神となってしまったようだ。
丁重に葬ってくれた者へ礼を言うために、祠を壊すという「縁」を辿って話しかけて頼もうとしたのはいいが、相手が望んだ死者を投影してしまうために結局はうまくいかなかったという。
いくつもの存在がひとつに収束されたこと、もはや自分たちの姿も覚えていないために透明な姿でパメラに話しかけていたが(しかもよく分からないものを口にしたことに小言を言っていたそうだ。悪い存在ではないなとティトは思った)安価の指示で姿を見せるように伝えると、ネクタの身体とパメラの姿を使って『肉体』を作り出した。
その時にネクタはひとの形を覚えたというのだ。
足のかたちを真似できていたのはネクタがその低い目線故、足を観察する機会が多かったから。そのほかは常に見上げる立場だったこと、男女の体つきの違いでそもそも人体を正しく見ることができていなかった。
そこにかつてひとの形をしていた者が入り込み、型と動作方法を示したことでネクタは学びを得たのだ。
飛び蹴りをしていたのは単純にネクタの基本戦闘スタイルであったことと、関節の使い方を正しく知らなかった、ということになる。
「ざっとこのような感じです。かの存在から言付けを預かることが出来ましたし、ネクタも変身が上手くいくようになって、結果としては良かったかもしれません」
「でもそれ、パメラ様だけが大損では?」
「そうでしょうか。代償の件は自業自得ですし」
「ああ、そこら辺の自覚はあるんですね……」
ふと横を見ると水の入った容器と軽食としてか蒸かし芋が置かれていた。
芋を半分に分けてパメラに渡すと、彼女はすこし嬉しそうに受け取る。ひとかけらを傍らのネクタに与えて食べ始めた。餌付けしている気分だ。
わずかに甘いそれを嚙み砕きながら『家族の声』を思い出す。
心の奥底でああ言われることを望んでいたのだろうか。だとしたら、愚かしいことだなと笑ってしまう。死者の気持ちなど永遠に分からないというのに。
「明日の朝、長老たちに改めて話をしに行きましょう。私もあっちから戻ってきたのが数時間前で、ちゃんと話が出来ていないのです」
安価で帰るための扉を作り出し、ほんの数歩の間に十数時間も経っていたという。
むしろそのぐらいで済んでよかったとも思う。それ以前によく戻れたものだ。
「今は……」
「深夜です。ルッカさんとキッカさんで部屋にいたころから丸2日経過しています」
意識を落とす魔法は塩梅が難しい。短い眠り程度の強さしかかけられないか、永眠させてしまうかが大多数である。
特に大きなダメージもないまま2日も眠らせたという技術、さらにいえばティトも常時防御魔法を張っているのでそれを貫通させた強さ。
よくもまあこんな実力者を国外に放り出せたものだ。ティトの母国ならば必死で阻止しようとしていただろう。
この才能を外に漏らしたらどれほどの損害が出るか、考えるだけでも恐ろしい。だというのに彼女の国はやらかしてしまった。
愚かな国は滅びるに限るので、どうとも思わないが。
「なら、朝にまた話をしましょう。パメラ様も休んでください」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
パメラは立ち上がろうとしてよろめいた。とっさにティトは支える。
気恥ずかしそうに彼女は微笑んだ。
「ありがとうございます」
「疲労が溜まっているんですよ。気をつけて」
「ええ」
パメラたちが出ていき、音が遠ざかり、完全にひとりになったタイミングでティトは顔を覆った。
(嘘だろ……体温が無かった)
掴んだ手が、あまりにも冷たかった。
いつからだろう。
初めて会ったとき、治癒したときはまだ温もりがあった。海で再会したときも。骨を組み立てているときに手が触れたことがあったが、その時も異常はなかったはずだ。
氷のように冷たい体温はあり得るのだろうか。
ひとつの予想が頭を駆け巡る。
彼女は、ヒトでなくなっていくのではないか、と。
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