閑話

劣化した器、過保護なほどの護り


 鈍色の厚い雲が空を覆っていた。

 最後に陽が差したのが数週間も前の話であり、時折雨や雪が降る以外はまるで変化がない。

 激しい温度変化により農作物にも徐々に影響が出始めており、家畜たちも太陽に当たらないせいか元気がなくなってきているという。

 国の中を通る川も濁りが出てきており、気のせいでは済まな段階まで異変が起こっている。


 ――パレミアム国は様々な異変を把握しているはずだが、公的な対応はおろか報告すらしていない。

 それでいてパメラ・ドゥーの指名手配通知は全力で国内に知らしめていたため、意図的な情報操作と見てもいいだろう。

 あらゆる悪事が連ねられた手配書を見て国民はこの異常に彼女が一枚噛んでいるのだと怒りや恨みを向けはじめている。

 当の本人は釈明どころか国にいないため、今後も悪人のレッテルが濃くなっていくことだろう。


(あの子は面白がるだけでしょうけど、周りからすればたまったものではありませんね……)


 ラマリス・ドゥーは城内の通路を歩いている。

 女子修道院院長として城に出向き報告を終えた帰り道であった。

 ただでさえドゥーに対する王宮の当たりが強いうえに、教え子が指名手配というスキャンダルまで滑り込んできたため過去最悪な空気を味わった。

 院長の座から下ろしたいというならさっさと下ろしてもらいたいぐらいだ。そのまま田舎にでも左遷してくれたら嬉しいのだが――そうはいかないだろうな、とも分かっている。

 治癒魔法という才がラマリスを王都に縛り付けていた。パメラだって治癒魔法を王子に使わなければ今頃……もう叶わない話だ。

 痛む頭を抑え、早く帰ろうとしたときだった。


 足元からネズミの鳴き声が聞こえた。

 ぎょっとして下を見れば、たしかにネズミがそこにいた。つぶらな瞳でラマリスをじっと見つめている。

 小動物が城の隙間に住み着いていてもなんらおかしくはないが、それにしても人馴れしており違和感を覚えた。ひとの前に出たら最後、例外無く退治されるというのに。

 ネズミは走り出し、すぐに止まってラマリスを振り向く。2、3歩足を進めればネズミはまた走る。

 呼ばれているかのようだ。

 だが、この先は関係者以外は入れないところであり、見張りの兵もいる。ネズミを追いかけたいので通してほしいなど通じるはずもない。


(……そういえば、見張りがいない……?)


 曲がり角には必ずひとりはいるはずだ。一斉に休憩を取っているわけでもないだろう。

 壁に手をつけて魔力を探ろうとしたところで鋭い痛みを指先に感じ、慌てて指を離す。爪が割れ、血が滲み出していた。


(城の防護魔法を潰し、さらに上から人払いの魔法を……。パメラほどではないにしろ力押しですね……)


 治癒魔法を巡らせて止血と爪の再生をし、ラマリスは油断なく辺りを探る。

 ネズミは変わらずそこに居た。

 しばらく見つめ合ったあとに、ラマリスは呟く。


「まあ、いいでしょう。案内してください」


 彼女の口癖だ。

 罠だとしてもまあいい。いいのだ。どうでも。

 よくはないが、そう飲み込む。

 飲み込むしか無かった。



 ――過去に数度、この城は増築している。

 このあたりは増築した部屋に役目を奪われたのだろう。手間暇かけられた場所だろうに、今は倉庫のようになっており、カビの匂いが停滞していた。


「……!」


 元気に走っていたはずのネズミが突然転がり、手足をもがかせたかと思うと泡を口から吐き出しながら死んでしまう。

 やはりというか、魔法で操られていたらしい。ひとですら負担の大きい術に耐えられるわけがなく、ネズミの身体に限界が来たのだ。

 ラマリスは短く目を閉じたあとに奥へと視線を送り、その姿を認めると片膝をついた。深々と頭を下げる。


「お初にお目にかかります。リカコ・ニシオ様――」


 こいつがいるだろうな、と予想はついていた。

 上の階級の者であれば呼び出しをするだろうし、知り合いや仕事関係者なら修道院に訪ねてくる。ハンデルはこんな迂遠な真似をしない。

 それらに当てはまらない者といえば、異邦人の彼女ぐらいなものだった。


「私の名は、」

「なんとかドゥーでしょ。べつに、聞いても意味ないし」


 ラマリスは下唇を噛む。どうやら素晴らしい教育を受けているらしい。

 リカコが近寄る気配がする。


(……もし本当にロエリアの警告通りであれば、私は……)


 前触れもなく、とん、と頭に触れられた。

 


 数週間前のことだ。


 ロエリアの警告――『古き神の器にされたくないのなら、今すぐ逃げろ』。

 その言葉を預かった晩、ひそかに男子修道院にしのびこんだラマリスはハンデルと情報共有をした。ちなみにどちらの修道院も異性禁制である。


 ロエリアの立場で、小さなメイドを走らせてまで警告をした、理由。

 もし悪巧みをしていたのが貴族ならばこんなことはしていないだろう。ハンデルもラマリスも上からの嫌がらせには慣れていて、はねのけることができることは付き合いの長いロエリアも承知していたはずで。


 だから、あれはイレギュラーゆえの警告。

 この国で起きたイレギュラーは間違いなく異邦人――リカコ・ニシオという少女。

 古き神は判断に迷うところではあったが……女神メァルチダがパメラという器に注がれた状態で国外を出たのであれば、消去法で創世神トードリナという見方もできる。

 そのトードリナは暗黒竜内に封印されているはずなのに、なぜリカコと接触しているのかはこの際横においておくとして。腐っても神だ、人智からはみ出してもおかしくはない。


「待てよ、たしかトードリナって異世界からひとを攫っていたみたいな逸話がなかったか?」

「師匠はそう話していましたね。別世界を羨ましがって、ひとと技術を盗んだと……」


 様々な意味ではた迷惑な話である。

 この世界にはない知識や技術はたしかに欲されたが、一方で自国の法や育てていた技術が書き換えられていく危険性もあった。

 パレミアム国はまだ温和だが、他国では異邦人を見つけ次第捕縛、処分することも珍しくはない。


「さらには異邦から来た魔王をそそのかして世界を作り変えようとしたので、怒った勇者と聖女が魔王と創世神を封印した、というのは聞いたことがあります」

「魔王……魔王は……なんなんだろうな……。スレ見てると違う気はするが……逸話の一つだし今は議論しなくてもいいな……」


 そもそも神話には逸話が多すぎて正解が分からない。

 例えば初代聖女の髪色ひとつとっても黒目黒髪だったという説もあれば別の色だったという説もある。現状、パレミアム国では白髪桃色目で通っている。


「異邦人大好きトードリナが異邦人のニシオにコンタクトするのはあながちおかしい話でもないだろ」

「そうですね。――その結果から行くと、創世神と異邦人が手を組んでることになるのですが……」

「最悪だ……推論止まりであってくれ〜」


 これ以上ないぐらい最悪である。

 国に害を及ぼしかねない存在が一組爆誕している。そしてリカコ・ニシオは王子の寵愛を受けているという最低なコンボだ。


「古き神の器、ということはトードリナの器……ということになると思いますが。正直に言います、私の身体はもはや神を迎えるには老いすぎている」

「老いも若いもあるか……?」

「魔力回路も魔法への耐久性も、骨や筋肉と同じように衰えていくではありませんか」

「ああ、まあな」

「私、今トードリナの器になったら確実に死にます」


 でもそれでバカたちの計画が破綻すれば面白いですよね――と言いかけて、ラマリスは言葉を止める。

 ハンデルの表情が曇っているのを久しぶりに見た。


「……冗談ですよ」

 

 わりと本気だった言葉を、誤魔化した。



『あーあ』


 遠くで声がした。


『古い身体はダメね。やっぱり若い肉体がいい』

「でもこのひとより強い身体なんてある?」

『暗黒竜を封じている魔力を拝借すれば、もしかしたらなんとかなるかも』


 視界が滲んでいる。

 息がしづらい。


「誰使うつもり? 聖女は今いないのに」

『……とっておきは近くにあるから、いざとなったらそれを使おうかしら』

「とっておき?」

『それよりこの場から早く離れましょ』

「うん。……ねえ、このこと話されたらまずくない?」

『大丈夫よ。頭の中かき回したから』


 足音が遠ざかる。

 ラマリスは床に突っ伏しながら深呼吸した。

 とどめを刺されるかとヒヤヒヤしたが助かった。


 ぼんやりと魔法陣が目の前に展開されている。

 あまり良く見えないが、丁寧に細かく施されたそれは、ただ一度だけ対象を守護する魔法だ。

 それが、不意に訪れた悪意からラマリスを守った。強い負荷はあったもののまともに受けていれば耳から脳みそが流れ出ていただろう。

 弱々しく輝きを失っていく魔法陣に手を伸ばそうとするも、重しを載せられたように腕が重く持ち上がらない。

 よく見れば魔法陣は二重だった。互いに干渉し合わないように慎重に重ねられている。ふたつとも、見覚えのある魔法陣のクセがあった。


「シュリッテ……パメラ……」


 呟いて、そのまま意識を失った。

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