長老と聖女たち

「まだ儂が幼い頃の話だ。ここから山や湖を越えた場所に、ヒトが治める国があった」


 香が焚かれた部屋。

 1枚の薄い布を隔て、長老とパメラたちは向かい合い敷布に座っていた。

 これが客人と長老が対面する正式な形だそうだ。すでに外で直接顔を合わせ言葉を交わしていたが、仕切り直しの意味も込め、改めて場を設けることにしたらしい。

 ついでにティトが「復習というかたちで同席させませんか」と提案したことでルッカとキッカもこの話に参加している。復習の機会を与えたのではなく、単純に嫌がらせが目的であることは明白である。


「魔法の研究と……外から来る商人たちに言わせれば、もうひと段階上の技術も探っていたという。それは今はいい。ともかく、我々はこの通り保守的な種族だ。あまり関わりたくもない」

「保守的って自覚あったんだジジイ……」


 ルッカがぼそりとつぶやいた。長老が長々とため息をついたのでどうやら聞こえていたらしい。


「1000年と少し前。その国が壊滅した。数カ月はここからでも黒い煙が空へ立ち上っているのが見えたぐらいだ、よっぽどの被害が出たことは容易に想像できた」

「こちらの村に被害はなかったのですか?」

「目立ったものはなかった――いや、魔獣だな。魔獣が活発に動き出して大変だった記憶はある。魔力が暴走しているのは分かっていたからそれにあてられたのだろうと予想はしていた」


 それなりに遠い距離であるが、それでも魔力の暴走を感じ取れたということは大規模なものだったことが分かる。

 通常ならば魔力の探知は匂いのようなもので、そう遠くまでは感じ取れない。


「――皆がそう言うから便宜上その名にするが、国が壊滅した時と同時に『魔王』が生まれたそうだな?」

「……『生まれた』、なのですね。『襲った』ではなく」


 パメラは静かに聞き返す。大切な事のように、慎重に。

 隣にいたティトはちらりとパメラを見るが何も言わずに視線を前に戻した。


「少なくとも外から来る商人たちはそう話をしていた。そも、あの国は同族も異種族も関係なく実験に使うと聞く」

「ひと攫いをして、生体実験をしていたということですか?」

「ずいぶんまっすぐな言葉を発する娘だな、お前は。もう少し気を付けて言葉を選んだほうがいい」


 たしなめるように長老は言う。

 声に呆れと苦笑いがにじんでいた。


「実際どうだったかは知らぬが――事実無根ではあるまい。新しいものに憧れた儂の叔父叔母を含む数名があの国へ行って戻らなかった」


 初耳だったのかルッカとキッカは小声で「えっ」と漏らしていた。


「国が壊滅した後、続けざまに周辺の国は討伐隊を組み『魔王』とやらを倒しにいった。本当の目的は技術の奪取だったかもしれんが」

「ふむ……。そんなにうらやむほどの技術があったんですね」

「しかし、討伐隊も、討伐隊を出した国も壊滅してしまった……そうですね?」

「ああ。だが儂たちには関係のないことだ。元々交流もない国が滅んだところで生活が変わることもない」


 ヒトとエルフという種族の隔たりもあるのだろう。

 生きる時間が違うこと、それゆえに考え方も異なっているために共存は可能かもしれないが共生はできない。

 一番平和な付き合いは付き合わないことだ。余計な争いを避けるために。これはどの種族でも言えることである。


「だが800年前ほどだったか。森の中から傷を負ったヒトが複数現れた。当初は山賊にでも襲われたかと思ったが、彼らは『魔王にやられた』と話していた」

「疑いはしなかったのですか?」

「死に瀕した者を嘘つき呼ばわりもできまい。当時の長老もあの規模の魔力の暴走なら時間の歪みはありえなくもないと話しておった」

「そうですね」

「無理に転移をしたそうで全員の魔力は枯渇、手当はもはや無駄と分かるぐらいの重傷だ。せいぜいここには魔王がいないと伝え、水を飲ませるぐらいしかできなかった」

「ちょっと待ってくださいよジジイ、じゃなかった長老!」


 ルッカが声を上げる。

 ネクタが声に驚いたのか威嚇をする。それをパメラは優しくなでて諫めた。


「余所者には手を貸さないって言うのがウチの掟じゃないんですか!?」

「ほう、ならば余所者ならば手を出していいという掟があるのか? 儂は知らなかったぞ」

「あっ黙ります」


 静かになった室内で長老は咳払いをする。


「――たしかに、余所者に手出し無用と……そういう掟はある。それを破ったことは認めよう」

「ハァ!? このクソジジイ! ふざけんな!」

「なんで長老は一回他の話題にして逸らしたんですか!? ボケてる!?」 


 身体を後ろへ半分回し、ティトは騒いでいるふたりを見ながら床をこぶしで殴った。

 床に傷は付かなかったものの殴打音は響き、再び静寂が訪れる。

 重ねて指の骨を鳴らす彼へパメラは首を振った。


「……ティトさん。脅さないでください」

「反省足りてないですよあいつら」

「いいですから、話に戻りましょう」


 しぶしぶ姿勢を正したティトを確認し、パメラは長老に先を促す。


「結局、ろくな世話もできずひとりまたひとりと息を引き取ってしまってな……。ひとつの穴に葬り、魂を慰めるために祠を作った。それが時を経て、こうなっているわけだ」

「そうだったのですね。――お話、ありがとうございました」


 深々と頭を下げたパメラに習いティトも頭を下げる。ネクタはぽよぽよとしており、ルッカたちはぼんやりとその様を眺めていた。


「ここからは私の話をいたしましょう」

「ああ。――根の国に行って帰ってきたというにわかに信じがたい体験の中、言伝を預かったそうだな」


 話が真実であると認められたのはパメラの説明が上手かった、というわけではなく。

 崩れた祠のかろうじて残った扉の部分――手のひらほどしかない大きさ――から飛び出して帰還したからだ。いったいどうくぐり抜けたのかパメラですら分からない。


「はい。誰宛かは不明でしたが、今のではっきりしました。長老様、あなたが一番もらう言葉でしょう」

「……なんだ? 恨み言か?」

「いいえ」


 うすく微笑みながらパメラは口を開く。


「最期に声が出なくて伝えられなかった、と。『きれいなひと、ありがとう』『やさしくしてくれてうれしかった』『最期がここで良かった』――そう言いたかったとのことでした」

「くだらんな……」


 息を吐きながら長老は俯いたようだった。

 パメラは穏やかに頷く。


「はい。そのくだらない一言を聞き取れなかったことを、あなたが長い間後悔していることを彼らは知っていました」

「……」

「パメラ様、どういうことですか?」


 ティトの疑問に答えたのは長老だった。


「死した後に祟られるのも面白くない。息のあったものへ最期の言葉を残すように言い、何人か聞き取れなかった。それだけだ」

「ジジイのツンデレキッツ……」

「ルッカは後ほど追加の説教だ。ついでにキッカも」

「嘘だろ!?」

「なんでえ……?」


 騒いでいるルッカたちを無視し、長老は薄布から姿を表した。

 ひどく疲れたような、しかし安堵したような、そんな表情であった。


「……ともあれ、礼を言う。できる限りのもてなしをしよう、御客人」



 少しばかり外を散歩したいと伝え、パメラたちはあてもなく村を歩く。

 パメラの肩にはヒトのかたちを取ったネクタが手を置き、ゆっくりと歩く練習をしている。飲み込みが早いようで歩幅が安定してきていた。


「他所から来た異種族の墓を作るのは大変でしたでしょうねえ。だから神とかなんとか言って守った……というのが真相でしょうか。どう思います?」

「私も同意見です。ただ……神として祀ったから神になってしまったのでしょう」

「そんなことあり得――あり得るか。いるといえばいるし、いないといえばいない」

「はい。そう在れと願えば、そう在る」

「では、パメラ様は――」


 ティトは生唾を飲み込む。

 今なら聞ける。ここを逃してはもう機会がないような、そんな気がして。


「ヒトですか? 神ですか?」

「おかしな質問ですね」


 パメラはきょとんとした顔をした。

 だから、大丈夫だと安心した。まだ彼女はヒトであると。

 次の言葉を聞くまでは。


「どちらでもありません」

「……っ、は?」

「ですから」


 左胸に手を当て、幼い子供が根気強く大人に話して聞かせようとするようにパメラは言い直す。

 自分がなにを話しているのか深くは理解していないかのように。


「私は女神メァルチダの器です。神のちからを身に引き継いだ者。だから、もはやヒトでも、かといって神でもありません」


 いるといえば、いる。いないといえば、いない。

 そう在れと願えば、そう在る。


 まだヒトに引き戻せるだろうか?

 本人がそう強く思っているならば無駄だろうか?

 今まさに、『そうである』と増強されたのではないか?


「パメラ様……」


 ティトは口を噤む。

 もうこれ以上は問を重ねるべきではない。彼女の存在が揺らぐだけだ。


「パメラ様、なにか食べましょうか!」


 だから逃げた。

 問題を先延ばしにするために。いつか正答を思いつくまでに。

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