閑話
とある大臣の思慮
クレイゲ・ドラ・ソボ。
国に必要な儀式を請け負う一族の現当主であり、祭祀大臣である。
彼は今、しっかりと研がれたナイフを抜き身のままテーブルに置いた。
向かいには修道女が座っている。刃物を見て青い目を瞬かせたあと、彼女は表情なく視線をクレイゲに移した。
「こちらは?」
「私はパメラ様に重大な決断を要求いたします。もし異議を申し立てる覚悟がございましたら、こちらで私の命を取ることで反対の意とすることができます」
「そうですか。大変ですね、大臣というのも」
興味なさげに彼女は角砂糖を口に含んだ。
ちなみにこれは茶に入れるためのものであり、食べるために置かれたものではない。なにか菓子を用意すればよかったとクレイゲは一瞬考えたが、そもそもこれは茶会ではないと考え直す。
「――パメラ・ドゥー様。あなたは、聖女になります」
「消去法で、そうならざるを得ないですものね」
「――」
もうひとりラナンという聖女候補は居た。しかし数週間前に彼女は忽然と姿を消し、どれだけ捜索してもいまだ影も形も見つからない。
王子がいたく気に入っていた娘でもあったので誰もが彼女が次期王妃だと疑わなかったのだが――ここにいない以上、どうすることもできなかった。
パメラのほうが力も強く、申し分ない技術を備えてはいたがいかんせん愛想が悪すぎる。愛嬌もなく、王子との顔合わせの時もにこりともしなかった。そのこともあって王子の気持ちはラナンに傾いていたのだが。
だからこそ、ラナンの失踪の報が入ったときは大臣全員で頭を抱えたものだ。聖女候補の脱走と、パメラを王妃にしていいものかという判断に。
「『パメラは聖女に向いていない、しかしパメラしかいない』という葛藤があったと存じます。さぞかし大変だったでしょう」
「……」
扱いにくい娘という認識は前々からあったが、本当にめんどくさい。
達観や悲観ならまだ可愛げがあるが、彼女の場合「とりあえず暇つぶしに噛みついておくか」という態度だ。対処のしようがない。
孤児院の院長や職員たちはよくこんな少女と十数年過ごせたものだと感心すらしてしまう。
「私が選ばれたことを、イルデット王子殿下にはお伝えはしているのですね?」
「既に」
彼女の夫となるイルデット王子には昨日の段階で申し伝えていた。
王家の話だというのに異邦人が王子のそばから離れず、王子もそれを許すものだから、やりにくいことこの上なかったが……。
「嫌がりましたでしょう?」
楽し気に口もとを歪めながらパメラは聞く。
クレイゲは答えなかった。その通りであったので。
さらに言えば、ひどく罵られた。内容は子どものわがままそのものであり「これが王となるのか」と少しばかり落胆はしたが――さておき。
「聖女となるための儀式をひと月後に行います」
「ええ」
「この場で簡単にご説明すると、聖女に代々伝わる我が国の秘宝、『女神の輝石』を御身体に埋め込みます。この後、力を制御するために――」
「自我を破壊する、と」
「……」
とっさに言葉が出なかった。
感情の察せない眼差しでパメラはクレイゲを見つめている。
「存じておりますよ。シェリッテ様が教えてくださりましたから」
「……先代王妃様が? どうやって……」
「魔法の弱い方々には分からない方法で。――
「……そうなります」
パメラはおもむろにナイフを手にする。
片手で軽く握りしめ、切っ先を眺めながら口を開いた。
「重大な決断というのは、自我を破壊されるということに許可を下すか否かということでよろしいでしょうか?」
「……」
クレイゲの背筋に汗が伝う。
相手はまだ十代後半で戦闘訓練もしたことがない少女である。だが治癒以外の魔法の才も秀でており魔法大学から声をかけられているぐらいだ。何をしでかすかわからない。
ナイフで刺してくるならまだいい。それ以上のことをこの場でやられたら、どうなるのか。
「もし、嫌と言うならばこれであなたを刺せばよろしいのですね? これが唯一の拒否の方法であると?」
「その通りです」
「これまで刺された方は?」
「聞いたことはありません」
「まあ、そうでしょうね。幼き頃より国のためと育てられ、聖女となることは最高の名誉であると教え込まれた、生真面目で勉強熱心な修道女は混乱こそすれこの場で衝動的に人は刺せないでしょう」
ゆらりと、パメラは席を立つ。クレイゲは半分腰を上げる。刺される、と思った。
「そしてあなたも、反抗などされないと信じている」
ナイフをテーブルに突き刺した。
そこを中心に魔法陣が展開される。ぼんやりと青色に光りながらゆっくりと回転する魔法陣に向け、パメラは唱えた。
「《ねえねえ、ちょっといたずらをしてあげて》」
これまで聞いてきたいかなる詠唱よりもふざけたもの。
だが、魔法は発動した。
テーブルの上に火柱が立ち上る。巨大な手が炎の中から伸びてクレイゲの頬を撫でた。熱気が彼の顔を覆う。気づくと身体に火がつき轟々と燃え盛っていた。
「うわぁっ!!」
情けない叫びとともに椅子を倒し、しりもちをつく。
少女のけらけらと笑う声とともに炎は消えて残ったのは刺さったナイフだけだ。
「あ……燃え……え……?」
「幻影ですよ、ソボ大臣」
「は……」
「悪ふざけが過ぎましたね、謝罪いたします」
ぺこりとパメラは頭を下げた。それからクレイゲに近寄り、引っ張り上げて立たせる。
「安全圏から私を見ている、という態度がどうにも不愉快で。以後気を付けてください」
「は……はぁ……」
普通なら怒るのはこちらなのになぜ怒られているのだろうかと疑問を感じたが、口には出さないでおく。
彼女は窓のほうに歩いていき、外を見下ろす。この部屋からはわずかだが街が見える。
「もし、ラナンが戻ってきても……罰さないてくださいますか」
「それは私の権限ではありませんが、最大限の配慮と寛容は示しましょう」
「お願いしますね」
「……恨んでないのですか? ラナン様を……」
「恨んでませんよ。憎んでもいません。今はただ、あの子に不幸が降り掛かっていないか心配なだけです」
ここまでの会話の中で一番感情がこもっていた。行方知れずだけならまだしも、聖女という役割を放棄し押し付けたのだから何かひとつは負の感情があってもおかしくないのだが、パメラはそうではないらしい。
その胸の内にあるものを明かさずに、彼女の自我は消されてしまうのだろう。
パメラは祈りを捧げるように両手を組み、クレイゲを振り返る。逆光によって表情が見えづらい。
静かに彼女は言った。
「パメラ・ドゥーは、聖女としての運命を受け入れましょう。国のために生き、国のために輝き続けます」
◯
本来の仕事に戻るとき、クレイゲは手に違和感を覚えた。
痛みがあるのではない。痛みがないのだ。
ここ最近朝から晩までペンを走らせ続けた代償で手首に痛みが出ており、忙しさにかまけて簡単な処置だけして放置していた。
いよいよ熱も持ち始め、どうにかしなければと思っていたところだったが……すっかり良くなっている。
何故、と考えて思い至る。
パメラに手を掴まれ立ち上がったとき。あのほんの一瞬の間に治癒されたのか。
確かにナイフを出すときぎこちない動きだっただろう。それでも、痛みがあるとは言わなかった。
優れた洞察力と治癒力。
女神のちからを継ぐものとしては最適だろう。
だが一方で、『人間』の枠組みに留め置いたほうが世界のために良かったのではないかと――頭の片隅で、思うのだった。
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