閑話

院長と大臣

「院長。ここにいましたか」


 聞き馴染んだ声にハンデル・ドゥーは足を止めて振り返る。

 声をかけてきたのは年若い院長補佐、トリアス・ファルケーだった。一部では親の七光ともささやかれてはいるものの勤勉さと物怖じしない性格のおかげで補佐としては十分な能力を携えている。


「どうしました?」

「院長に来客が訪ねてきているようです。すでに応接間へはご案内したそうです」

「……伝言役を頼まれましたか。世話をかけますね」


 推量を多く含む言葉にハンデルは苦笑いした。

 院長の座についてからずいぶん経つが、ドゥーが役職を持つことに反対していた者たちはまだ納得していないらしい。一部の修道士たちはこうして院長補佐を伝書鳩代わりにして物事を伝えるということがままある。

 何かあったとき一気に座から引きずり下ろすのだろうなとハンデルは頭の片隅で考えている。もともと座りたくもなかった椅子なので別にいいのだが。


「いいえ。むしろ、今後の人間関係を考慮するいい機会です。こいつは人に押し付けるとか、あいつは女子院長にアプローチしてるとか、今後のためにもなります」

「あとで『あいつ』について教えてください。――では、しばらく席を外します」

「久しぶりに院長の舌戦でくたばる人を見て栄養摂取したいので詳しく調べておきますね〜」

「いい性格してますよ君は……」



 人払いをされた応接間を開けるなり、ハンデルは額に手を当てた。

 クレイゲ・ドラ・ソボ。国に必要な儀式を請け負う一族の現当主であり、祭祀大臣がソファに身を埋めていたのだ。


「お出口はこちらです。おかえりくださいませ」

「まだ何も話していないが……?」

「帰ってください」

「とりあえず扉は閉めてくれ。こうして会っていることを知られて困るのは君の方だろう」

「帰れ」

「いいから」


 ハンデルは嫌な顔を隠そうともせずにソファにどっかりと座った。

 それから足を組み、うんざりと目の前の男を見る。


「何しに来たんですか。私に用など欠片もないはずでしょう。懺悔はよそでしてください」

「そんなにきつくあたることもないと思うが」

「私を雪の日に教会前に捨てておいてよく言う」

「……毎回最初にその話をしているな」

「私とあなたの間には思い出話なんて皆無ですからね」


 ふたりは父子の関係だ。非公式の、だが。

 クレイゲと行きずりの女との間に生まれた名のない赤ん坊は、母をいかなる理由によってか失った。しかし引き取ることもできないクレイゲが使用人に命じて教会前に置き去られたのがハンデルである。

 彼のような境遇は実はドゥーには多く、逆にラマリスやパメラといった完全に親の足取りが追えないほうが珍しい。


「で? どうしたんですか? パメラが国家転覆未遂罪になったのはとうに知っていますよ」


 ハンデルがパメラと関わりがあったからか、彼女まわり――とくに聖女に関連することであれば、普通なら知り得ない情報を持ってくる。

 聖堂に安置されている『女神の輝石』が偽物ということもだ。本当は知りたくなかったのだが。


「もうひと段階踏み込んで考えてくれ。なぜ今、追放され行方知らずの彼女を国がわざわざ指名手配したか分かるか」

「……」

「国民が彼女へ抱く印象を悪くさせるため。そして、この国へ戻ってきたとき自由を奪い管理下に置くための理由づけだと考えられないか?」


 ハンデルはため息をついて居住まいを正し、話の先を促した。


「現在、国を上げてパメラ・ドゥーの居場所を探知し、そこへ兵たちが転移魔法を使って派遣されている……と噂がある」

「……噂ですか」

「少し調べたが、大規模魔法実験棟が最近閉鎖され、関係者以外立ち入り禁止となっていることと、魔法使いの緊急招集があったのは確認した」

「別の実験とも考えられます。そもそも、転移魔法なんて相当量の魔力が無ければ使用できません。インクの染みを量産することが魔法使いの仕事と思い込むジジイとババアにそんな魔力あるとは思えませんけどね」


 転移魔法は技術もそうだが多くの魔力も必要になる。

 失敗すれば身体の部位がよそに飛ぶのはまだいい方で、他の物質の中に転移してそこで窒息したり圧死、餓死する可能性もある。

 そのため万全を期して行わなければならず、手間もかかるため魔法使いたちはとてもではないが手を出そうとはしない。

 

「本当に魔法使いが嫌いだな……。個々人の魔力が平凡でも、魔力を補うものがあるとすればどうだ?」

「どうって……それこそ『女神の輝石』レベルのものが必要になりますよ。いや、そこまではいらないか……大魔法使いの骨とか?」

「聖女の髪。元聖女、か」


 ひゅ、とハンデルの喉が鳴る。


「パメラ・ドゥーの髪は追放直前に切られた。ずいぶんな長さだ。それを使用しているとしても不思議ではない」


 たしかに。たしかに、髪には魔力が宿る。とくにパメラの髪は素晴らしい魔力を含んでいるだろう。

 ハンデルは吐き気を覚えた。

 彼女を放りだしたのはこの国なのに、まだあの子を利用して、何がしたいというのか。


「どうしてそこまで一度は追放した者を労力を使って捕まえようとするのでしょう」

「異邦人が求めているそうだ」


 ハンデルは再び息を吐いた。


「あの少女がパメラを『国を滅ぼす存在』と騒いだせいでこうなっているのでは? 今更なにをしているんですか?」

「あまり言ってやるな。国政も理解していないお花畑な頭の少女と夢見がちな王子についていくだけで周りは手一杯なんだ」


 ハンデルはそっと周囲の気配を探り大丈夫だったことを確認する。


「異邦人がパメラの力を欲しがっている、ですか……」

「いなくなってようやく価値に気づいて、慌てて探しているのだろう。遅すぎるぐらいだが」


 結局、異邦人の少女は聖女の代わりにもなれていない。

 そのことを本人がどう受け止めているかは不明だが。


「しかし、連れ戻されたとてパメラは言うことを聞くでしょうか。あの子のひねくれさは国内上位に入りますよ」

「私なら、お前とラマリス・ドゥーを人質にするがな」

「なんですって?」


 思わずハンデルは聞き返したが、言わんとしていることは分かった。

 言うことを聞かせるための材料として、ハンデルとラマリスの身の安全を交換条件とする。それなら扱いやすくなるだろう――と。

 問題はそこまで単純な少女とは思えないことだが。


「本題はここからだ。ハンデル・ドゥー。後ろ盾のないお前は無実の罪を着せやすい」

「承知しています」


 何度もあったし、何度もねじふせてきた。

 ラマリスも同じだ。

 

「今までは個人的なつまらない思念によるものだっただろう。だが、国ぐるみならばどうなる? とんでもない手段を使ってくるぞ」

「例えば?」

「殺人事件の犯人」

「あー……」


 ありそうだな、とハンデルは思う。

 目の前に死体がある状態で騒がれたらもう終わりだ。勝手な憶測で罪が作られていき、それらしい発言から自白したと言われる。

 肝心のパメラは「先生、とうとうバレたんですか」と真顔で言い放つだろう。まだ誰も殺してはいない。

 そこまでぽんぽんと思い浮かび、自分が嫌になる。


「その場合、被害者は私になる」

「……どういうことです?」

「聖女に関連するものを国から排除したい王子にとって、そのあたりを管理して未だに口を出す私は邪魔だ。ついでにお前に罪を被せることができたら楽に事が進むだろう」


 視線が合う。

 冗談で言っているようには見えなかった。


「だからって」

「先日から頼んでもいないのに使用人が増えた。王宮内で頻繁に顔を見るようになった何処の部署ともしれない人間がいる。鍵をかけている物入れの中身の配置が僅かながらにズレている。――じわじわ嫌な予感はしているわけだ」

「……」


 にわかには信じがたい。

 だが妙な嘘を引っ提げて会いに来る男ではない。

 ラマリスが旧友(互いに友人ではないと思っている友人)から警告を受けたことを考えても――良くない方向に事態は転がっているようだ。


「蘇生魔法があれば苦労しないんだがな」

「あるわけないじゃないですか……一度死んだらおしまいですよ。……あ」


 ひとつ思いついたことがある。

 非常にリスキーであるし、なにより心を削らなければいけないだろう。だが何もしないよりはマシだ。


「似たようなものはあります。それを手に入れるまでは死んでも生きてください」

「無茶を言う」

「俺の生き汚さは親譲りだと思いますから、きっと大丈夫ですよ」


 嫌味を含めてそう言ってやれば、クレイゲは苦笑いをした。



「おかえりなさい。どうでした?」


 執務室ではトリアスが書類を整理しながら待っていた。本当によく出来た部下だなと思う。


「面倒な相手でした。――時にトリアスさん、君の人脈の広さに甘えて伺いたいことがあります」

「はい、なんでしょう」

「ポーション研究室にツテはありますか?」

「あの変人欲張りセットの研究室に!? ありますけど……どうするのですか?」


 そんなめちゃくちゃ言いながらツテあるんだ。ハンデルは言葉に出さないまでも胸の中で思った。


「秘密です。君は、

「……。なにか、あるんですか」

「それも言えません。ただ、ポーション研究室と面談の場を取り付けてください」


 不安げな顔を隠さず、しかしトリアスは頷いた。


 ――どこまで犠牲を出さないようにできるだろうか。

 すべての厄を背負うのは自分だけでいい。トリアスもラマリスも、それから世話になった人たちだけは守りたかった。

 その覚悟がパメラ・ドゥーにどのような影響を与えるか、まだ彼は知らない。

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