教え子と先生(前)
男子修道院の院長、ハンデル・ドゥー。
女子修道院の院長、ラマリス・ドゥー。
ふたりは出生地も不明で、後ろ盾のない身分ながら、信仰と鍛錬に励む姿、修道士や修道女たちを厳しくも温かく見守る姿が評価されている。他の世話係が匙を投げた稀代の
そんな彼らが少しだけ休暇を取りたいと言った時、周りの者たちは止めなかった。むしろ休んでいる姿を見ていなかったのでその言葉が出た時「人間らしいことを言うんだなあ」と思われたぐらいである。
同時に実家や家族のない彼らが向かう先に好奇心を抱くものもいた。実際にそう問われて、ハンデルは静かに笑って答えるのだった。
「恩師のもとに」と。
〇
ハンデルとラマリスは城壁の外側を背にして歩いていた。つまり、国外にいる。
城壁近くで作物を育てたり狩りをする農民と、国外資源発掘に駆り出される囚人以外にはめったすに外に出る者はいない。
一歩外に出れば魔獣と盗賊がうろついているのだ。外商人がしっかり護衛を雇うことから分かる通り、国の外はけっして優しい世界ではない。もし旅に出ようとするならば自分以外がすべて敵であり、頼るものはおらず、安息の時間などないと覚悟しなければいけないのだ。
ふたりは数日分の食料を背負い、平然と歩いていた。
手には雑に作られた杖が携えられている。即興の魔法杖だ。これがあることにより魔法の精度が上がるが、パレミアム国では魔法使い以外所持することは禁止されている。理由はもう誰も分からない。
「ですからね、あの魔法の証明にはデァック・ダリナの法則を用いたほうが解きやすいと思うんです」
「お前はいちいち法則に当てはめる悪い癖がある。近しい魔法からすり合わせしたほうが手間が少ないんだよ。ドールの魔法とシドレナの魔法から導ける」
「古典魔法を今どき誰が理解できますか。二万は越える現存魔法から近いものを探したあげく、前提知識を要求され、さらに理解しにくいものを提示されてごらんなさい。時間がいくつあっても足りませんよ」
「新しい魔法の発見過程の事故で死ぬよりはまだマシだろ。魔法の研究するなら最低でもどの本に何が書いてあるか把握しとかないと話にならない」
「そのために法則が作られたのであって――ハンデル」
「ああ」
道中の暇つぶしに行っていた議論を中断し、ふたりは立ち止まった。
馬のような魔獣がこちらを見ていた。足の長さだけでハンデルの身長を超えている。
魔獣は静かに歩み寄ると頭を下げた。
「この子は……」
「間違いない、先生のところのだ」
ハンデルは近寄り尋ねる。
「私たちを迎えに来たということでいいのですね?」
こくりと魔獣は頷く。
ラマリスと目を合わせ――攻撃態勢に入る。
「《この聲その耳に届いているのならばどうぞおちからお貸しください我々の行き先を阻むものを退けるためにあなたのおちからがひつようです》」
「《重ねて願わくば我らに守護のおちからをお貸しください我々には欠けて良い場所はなく欠かず旅路を歩かなければならずその慈悲が必要なのです》」
誰も知覚できないが確かに魔力を内包し存在する「それ」はいる。「それ」から魔力を貰うための祈り言葉だ。
言葉が雑であったり、態度がよろしくなければ言葉は聞き届けられない。魔法使いは王と魔力の元には丁寧に接すると言われるぐらいにおざなりにできない。
……唯一、まるで友人に話しかけるようにして魔力を願う子どもはいるが。
魔獣が地を蹴るのと同時にラマリスが杖に光をため、撃つ。
魔獣の前に透明な壁が現れて攻撃を押さえ霧散した。余波を食らい周辺の草が飛び散る。
「来ますよッ!」
彼女の叫びとともに魔獣が突進してくる。
地面から杭が生え、行く手を阻む。しかしモノともせずに破壊した。まっすぐにハンデルたちに向かってくる。
「ああもう――《打撃》!」
「無理だ、受けるぞ! 《緩和》!!」
いくつもの攻撃球が魔獣に向かうがすべて阻まれる。
そのままふたりは跳ね飛ばされた。突撃の際に食らったダメージは抑えられているとはいえ、恐怖まで軽減はされない。今起きたことの処理ですらなんとかできているぐらいだ。
それでもハンデルは歯を食いしばり空中で杖を構え、地面に魔法陣を浮かばせた。
ツタが生え魔獣を拘束する。引きちぎられてもすぐに代わりのツタが絡んでいき、やがて魔獣は立ったまま身動きを取ることができなくなった。
すでに地面に叩きつけられていたハンデルはよろよろと起き上がる。減速したが衝撃をゼロにはできなかった。対してラマリスは変わりない足取りで彼に近づく。彼女も同じぐらいの高さから落とされているのだが。
「腕ヒビ入ったかも……」
「情けない。その身体の弱さはどうにかならないのですか?」
「お前のフィジカル耐久値がおかしいだけだろ」
治癒をしたあとにラマリスは呻いている魔獣を見る。
右手をこぶしの形に固める。
「《跳躍》――《強剛》《強靭》」
「強化するにもほどがあるだろ。《耐久》《減痛》」
「ありがとう。行ってきます」
「おう」
ラマリスは走っていく。
修道院では激しい運動をすることはなく、走る必要もほとんどない。しかしこの十数年の修道院は少し違っていた。とんでもないクソガキがいたためである。
ラマリスはそのバカをとっ捕まえ説教するために日々走り回る必要があり、体力は同年代よりもはるかに上であった。
魔獣の前で飛び、腰を捻り、思いっきりその顔面を殴り抜けた。
脳を揺らされた魔獣は勢いのまま崩れ、倒れる。ラマリスはとんっと着地して腕を回した。
「老いました。若い時なら飛ばしたのに」
「普通はな、魔獣を殴って沈めることすらできねえんだよ」
ハンデルが手を振るとツタは光の粒子となり消える。
あとに残ったのは縮んだ魔獣であった。魔法で大きくなっていたらしい。とはいえ一回り小さくなったぐらいで巨体のままである。
顔を覗き込みハンデルは眉を寄せる。
「死んでないよな?」
「気絶しているだけですよ」
「気絶も大概危険なんだよ」
言っているうちに魔獣が目を覚ました。まばたきをして鼻を鳴らし、ふたりを見る。
ゆっくりと身体を起こし何度か足踏みをしたあとに身を屈めた。乗れと言いたいようだ。
ハンデルもラマリスも疑わずにその背に乗る。
「では、先生のところまでお願いしますね」
「ラマリス、俺に掴まれ」
「は?」
「こいつがまともなわけないからな。先生の使いだぞ」
理由が分からないままラマリスはハンデルに掴まる。
魔獣はグンッとすさまじい速度で走り出した。はたから見れば色のついた風だ。
少しでも力を緩めれば落ちる。速度的に地にめり込む未来が見えた。
「あ、ぐ、あんのクソババアがァァァァァァァァァーーーー!!」
叫びが虚しく響いた。
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