閑話

きょうだいの帰還

「あんたら、変態亀って知ってるかい」

「……変態亀、ですか?」


 『北の海』で漁をし、採れた海産物を加工して生計を立てる港町にて。

 旅すがら立ち寄り、食事をする聖女一行にひとりの町民が話しかけた。


「ああ。現れたのはほんの数週間前だ。しかし、毎日のように被害があってさ……」

「まあ。どのような?」

「子どもや女のやわらかい場所……ふとももだったり、脇腹を噛むんだわ」

「噛む――? 怪我人はいますか?」

「それがよ、痣も残らないぐらいの力で噛まれるだけなんだと」

「……」

「……」


 パメラとティトは互いに視線を交わした。

 とりあえずもう少し聞いてみましょう、とティトは目で語る。パメラは頷いてハズに向き直った。


「なぜ噛んでくるのかはご存じですか?」

「それが分かれば苦労しねえ。あ、ある時の逃げ台詞では『ただの趣味なのでご心配なく!』と言っていたとかなんとか……?」


 思ったよりも変態だった。


「にいさま、それって」

「シッ」


 きょうだいがこそこそと言葉を交わしている。

 町民がそのことに気づくよりも先にパメラは指を組み、「聖職者」のお手本のような笑みを浮かべる。美しいその姿に町民だけではなく、まわりも手を止め見惚れた。


「その者と、話をしてきましょう。場所を教えていただけますか?」



 ――そんな理由わけで、一行は浜辺に降りていた。

 きょうだいは靴を脱いで鱗に覆われた足を海に浸けながら歩いている。穏やかな波で飛沫を上げながらはしゃぐふたりをティトは目を細めて見守りながら、隣のパメラに話しかけた。


「パメラ様はもう少し貪欲になったほうがいいですよ」

「そうですか」


 彼女はうわの空で返事をする。後ろを振り向きながら歩く彼女の視線の先にはネクタが居た。

 ネクタは変身途上でありまだ上手にヒトの姿を取れない。球体からヒトの足が生え、よたよたと歩いている有様だ。人前ではこんな姿を見せたらまず退治対象となるため、先ほどまではパメラの服の中に隠れていた。

 この様子だと何を言われたかも分かっていないだろうな、と苦笑しつつティトは続ける。


「町民も、いや町そのものも、事態は切迫していませんが困っていることは明白でした」

「つまり?」

「対価を提示したほうが良かったということです。なんならあの場で奢らせたかったですね」

「そこまでのことですか?」

「はい。タダで手を差し伸べることが悪いとは言いませんが、軽んじられる可能性がありますからねえ」

「……」

「あまり自分を安売りしないでください」


 きょとんとした顔の彼女より一歩前に出て、ティトは片手でひさしを作り砂浜を見渡した。


「しっかし、どんな亀なんでしょうねえ。亀なんて図鑑でしか見たことありませんから目の前にいても気がつけるかどうか」

「……明るいオレンジの甲羅の、大きな亀だと思います」


 ティトの独り言が聞こえていたようで、ケケパゥは気まずそうに口の中でモゴモゴと言う。


「おや、ご存知で? というかそうか、あなたがたは海の出身ですもんね」

「『亀』はもちろんなのですが……『変態亀』も、たぶん、知ってます」

「なんと」

「あ、同類だとは思わないでください! ボクもララもぜんぜん変態じゃないので!」

「ないのでー!」


 力のこもった弁解である。

 よほど『変態亀』と同じ括りになるのが嫌らしい。


「……あ、でも言いすぎたかな。本当はいいひとなんですよ……」

「庇う言葉がろくに無いときの庇い方ですねえ」


 ネクタがなにかに気づいて跳ねた。球体から足が生えた姿で。

 ティトは小声で「うわキモ」と呟き、無事にネクタの飛び蹴りを食らった。

 揉み合うふたりを無視してパメラは目を凝らす。砂浜で子どもたちが団子のように集まっていることに気づくと 、「見てきます」とひとりで歩いていってしまう。その後ろをきょうだいが慌てて追いかけた。

 ネクタを引き剥がしながらティトは苛立しげにつぶやく。


「……だから、安売りするなって」



 子どもたちは誰かを囲んで棒で叩いていた。中心からは情けない悲鳴が聞こえる。

 隙間から明るいオレンジの甲羅が見え、パメラの後ろから覗いていたケケパゥは小さく「ワッ……」と漏らした。彼の背に隠れていたララノゥも「アッ……」と反応した。

 間違いなく、ケケパゥたちの知り合いであった。

 そのことをパメラに言おうとして視線を上げると、彼女は空中の見えない何かを『読んで』いる様子であった。

 ケケパゥは説明をされてもよく分からないが、スレというものを見ているのだろう。不自然な間から考えるに『安価』をしているらしい。これをすることで動きの制限される呪いにかかっている彼女は動けるのだという。

 突拍子もない動きが毎回『安価』よるものなのかは聞けないままだ。彼女の意思ならめちゃくちゃ怖いので。


「『弱いものいじめをしてはなりませんよ。弱いものにしてあげましょうか?』」


 棒読みであるので『安価』だと分かるがそれはそれで怖い。

 振り向いた子どもたちは見慣れない人物とその言葉にたじろいだようだった。ネクタとの喧嘩を終えて追いついたティトは状況を把握して、パメラの言葉を補足する。


「君たち、何しているか教えてもらっていいですか? 一方的に暴力を振るっているようですが、どうしてそのようなことを?」


 子どもたちはバツが悪そうな顔をしていたが、言い分はあるとばかりに口々にしゃべりだす。


「こいつまた噛んできたんだもん!」

「気持ちわりーよコイツ!」

「おにいちゃんたちがなんとかしてよ!」

「噛んだらダメだって分かんないんだもん!」


 子どもたちが左右に捌けると、中心にいる者の姿がはっきりとする。

 そこにいたのは、頭は亀で、首から下は緑色の肌をしたヒト族の成人男性の肉体であった。背中には甲羅が張り付いている。

 丸まって身体を守っていたが、攻撃がやんだため亀(推定)は首を伸ばした。そして、冷ややかな目を向けられていることに気が付く。


「誤解ですぞ!」


 亀(推定)は叫んだ。


「海の神に誓い、害を成すつもりはありませぬぞ! ただ若いヒトやメスはやわくて、こう、下品なんですが、ふふ……噛まずにはいられないっていうか」

「はっはっは、ウケる」


 ティトは乾いた声で笑いながら子どもたちを手招く。


「事情は理解しました。我々で対処しておきますので、今日はここに近寄らないように。いいですね?」

「おにいちゃんたち大丈夫なの? 変態の餌食にならない?」

「俺もこっちのおねえさんも強いですから大丈夫ですよ」

「ちゃんと始末する?」

「しますします。さ、行きなさい」


 見知らぬ大人であるが任せても大丈夫と思ったらしい。子どもたちはめいめいに頷き、町へ帰っていく。


「……じいや」


 パメラの後ろから出てきたケケパゥが亀に話しかける。

 亀はしばらく目の前の少年を見つめて、彼が何者なのかを理解したようだった。

 わずかな間のあと、つぶらな瞳から涙が流れる。ティトはすわ産卵かと思ったが砂浜の上には何も生み出されてはいなかった。


「お、王子!! ケケパゥ王子!? ララノゥ王女も!! おお、おお……よくぞご無事で!!」

「なんでここが分かったの?」

「南の海から無事と連絡が来ましてな、陸移動しているのであればこのあたりが良いだろうと占いで出たのでお待ちしておりました。お元気そうでなによりですぞ……!」

「じいや!!」

「……待って」


 駆け寄ろうとするケケパゥの肩にパメラは手を置いて引き止める。

 彼女はわずかに眉を寄せ、顔には疑念の色がありありと出ていた。


「ほほう……あなたが、南の海で奴らを蹴散らした……」

「ケケパゥさんとララノゥさんは王の後妻によって実家から追い出されたと聞いております」

「間違いありませんな」

「あなたが私たちと離れた後にこの子達を害すおつもりなら、帰すわけにはなりません。それと、」

「それと?」

「全裸の変態に子どもを預けるのは……ちょっと、仮の保護者として抵抗があります」

「あー、確かに俺も抵抗があります」

「ご安心なされ!!」


 亀は胸を叩いた。無駄に胸筋が動く。


「ケケパゥ王子とララノゥ王女の母君――今は亡き王妃様に、おふたりを守るように申し仕りました。ワタクシ、この命が破られれば身体がちぎれても良いと海神様に宣告もいたしました。あと全裸は許してくだされ」

「宣告?」

「俺ですらパンツは履きましたよ」

「そうです! 海神様への宣告は絶対です。破れば本人はおろか周りへ罰が下る可能性もあるので、滅多には行われませぬ」

「神罰ですか」

「なるほど? しかし、その宣告が果たして本当にされたか、確認する術はありませんよねえ」


 にこにことしながらティトは亀の顔を覗き込んだ。

 ちなみに、亀の背は誰よりも高い。日を後ろにしているのでパメラたちに影がかかっている。あと局部は特に隠されていないのであった。


「うーむ……どうすれば信じてくれるのか。他のものに迎えを――」

「あの、パメラさん、ティトさん」


 亀と聖職者たちの間に立ち、ケケパゥは声を張り上げた。


「じいやはボクらが2番目の王妃によって陸に売られそうになったとき、尾をヒトの足に変えて逃がしてくれました。……そのあと別の場所で捕まってしまいましたけど……。もしボクらを害そうとしているなら、ずっと前にしています」

「うん!」

「第二王妃への裏切りと知っていながら、ボクらを守ってくれたんです。お願いします、信じてくれませんか」

「くれませんか!」

「お、王子、王女……!? ワタクシのためにそんなことは……!」


 ふかぶかと頭を下げたきょうだいに亀は慌てる。

 そして、そんな彼らを前にパメラとティトは肩をすくめた。


「パメラ様、どうなさいます?」

「……裏は取れました。素行はアレでも、その心に偽りは無さそうですね」


 彼女以外には見えないものを読みながらパメラは言う。


「スレって匿名の者たちが書き込む場所なんですよね。第二王妃による印象操作の可能性は?」

「……」


 ティトの最もな意見へひどく言いにくそうに彼女は返した。


「海神が……チャットでそう仰ってます……」

「え。神?」

「……まあ……少々ツテが……」


 ツテってなんだよ。

 ティトの顔はそう語っていたがそれ以上は追求しなかった。聖女だしそういうこともあるだろうと短絡的な結論づけをし、今決めなければならないことに話題を戻す。


「では、パメラ様。よろしいのですね?」

「ええ。おふたりとも、少しこちらに」


 パメラは屈んでケケパゥとララノゥを抱きしめる。

 足元からぶわりと花びらが舞い、鮮やかに視界を埋めた後、空に吸い込まれて消えていった。ささやかな祝福のおまじないだ。


「どうか、お元気で」

「まさかお別れがこんなにもいきなりとは。風邪や怪我に気をつけてくださいね」


 ネクタも砂だらけになりながら跳ねた。

 きりりとした顔を保とうとしていたケケパゥだったが、徐々に崩れ、泣き顔に変わる。

 

「ほん……本当に、お世話になりまし"た"!」

「ありがとう! バイバイ」


 王子に比べあっさりした挨拶の王女に笑いながら亀はパメラたちへ手を差し出す。

 ヒレに指を生やしたような造形のそこには大小さまざまな真珠が乗せられていた。


「陸では真珠は価値の高いものとお聞きしております。我が王より御恩人様へお渡しするように預かりました」

「私は礼が欲しいわけでは――」

「パメラ様、こういうのは気持ちなんです。受け取らねば失礼というものですよ」

「……」

「嫌と言うなら俺が全部賭け金にしますよ?」


 しぶしぶとパメラは受け取り、腰に吊るした革袋にしまった。


「ワタクシからもひとつご提案があるのですが」

「なんでしょう」

「脇腹、いや二の腕でもいいので少しだけ噛ませて欲しいなアァァァァーーー!!」


 ネクタの飛び蹴りが入った。



 マーフォークの尾に戻り、名残惜しげに何度も手を振るきょうだいが海に潜るまでを見送るとあたりは急に静まり返ったようだった。


「早く返してあげたいとは思いましたが、まさか今日とは思いませんでした」

「ですねえ。まあ、そんなもんでしょう」

「それで、ティトさんはいつ頃離脱するのですか?」

「はい?」

「いえ、『はい?』ではなく……。魔王城まで連れていくわけにはなりませんから」

「え?」

「え?」

「ネクタ、なぜか上機嫌ですがあなたもですよ」

『?』

「?」


 困惑したふたりを見てパメラは首を傾げる。


「魔王城は私だけで行くつもりですが?」


 この日。

 きょうだいが海に帰り、浜辺には変態がいなくなったため平和が戻った。

 そして、仲が凄まじく悪かったティトとネクタが、魔王城までどうにかしてパメラについていくという共通の誓いをたてる日となったのだった。

 

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