閑話

密談、残された魔法、託した言付け

 メイド長、ロエリア・ダルニスは客人の部屋に向かっていた。

 客人とは言うが、王妃のような扱いだ。特別な部屋、家具、世話人。彼女のためのドレスも何着か作られている。王子がそのように命じたからだ。

 ――リカコ・ニシオ。

 突然現れた異邦人。

 イルデット王子の一番の理解者であり、また予知能力を彼のために使用して『偽りの聖女』を追放し、国の脅威を遠ざけたという。

 ……"功績"をバカ真面目に信じているのはごく一部だけだ。大部分は呆れ返っているが、リカコ・ニシオへの批判は国に逆らうことと同義だと王子が公言したため何も言えない状況だ。

 揺れ、天候不順、国の守りの劣化。

 果たして聖女候補を放り出して国の脅威はなくなったのだろうか。リカコはそれまでの聖女の役割をひとつもこなせていない。なぜ代替案もなく追放したのかロエリアは不思議に思う。

 

 リカコの使う部屋に近づくにつれ、話し声がすることに気づく。

 王子は公務中だ。控えのメイドも彼女がいやがるためおらず、ひとりきりのはずであるが……。


『器が必要ってどういうこと?』

『あたしは実体……肉体がないの。存在がずいぶん削られて薄まっているから。安定させるためのモノが必要なの』

『分からないよ』

『んん、なんていうのかな、液体が溢れないようにコップにいれるじゃない? そのコップがないと、暗黒竜が解放されたあともあたしはうまく存在できないの』

『コップが器ということ? トードリナはどんな器に入りたいの?』


 トードリナ。

 ノック直前の手を止め、ロエリアは考える。

 確か、世界を滅ぼしかけた創世神。勇者と初代聖女に封じられた存在。

 創世神の名前を子につけることは禁止されているはずだ。あだ名にしても不謹慎すぎる。


『魔力が高い器がいいなあ』

『……聖女とか?』

『そうだね、本当ならあの銀髪が良かった』

『でも追放されたし、いないほうがいいって言っちゃった』

『国の機能としては必要なの。ーー必要と聞いてもリカコはさ、イルデット取られたくないんでしょう?』

『……うん』


 子どもを諭すような口調。

 嫌な予感がした。丸め込もうとしているかのような。


『この国一番の悪者に仕立て上げればいい。イルデットに頼んで、国民を危機にさらす存在だと刷り込ませればいいの。そうすれば、仮に戻ってきたとしても誰もあの銀髪の味方はしない』


 口に手を当て、ロエリアは震えた。

 そのような残酷な提案をなぜ出来るのか。


『上手く……いくかな?』

『行くよ。イルデットはリカコが好きなんだから』

『うん』

『それで銀髪を器にあたしは復活する。そしたら国は元通り! ね、いいでしょう?』

『でもさ、聖女が戻る前に暗黒竜が起きたらどうする? 誰を器にするの?』

『んー……聖女候補という成り損ないはいるから、それを使おうかな? あんまり持たないとは思うけど』

『そうなんだ。……あ、ちょっと待って。誰かいるの?』


 話を聞くことに夢中で気配を隠しきれていなかった。

 そのため、突然外へーー盗み聞きする自分へ声がかけられ、ロエリアは酷く動揺して後ずさりする。

 その際に仕舞い方が甘かったのかポケットから万年筆が床に落ちた。

 あ、と思う間もなく万年筆は絨毯の上に転がり――そこから魔法陣が広がる。白銀のきらめくような魔法が展開された。一度きりの、条件が無ければ発動しないものだ。

 呆然と見ていると扉が開き、中からリカコが顔を出した。ロエリアが目の前にいるというのに目は一切合わず、きょろきょろと辺りを見回しているだけだ。

 窓の外で鳥がけたたましく鳴く。その声を聞いてリカコは「気のせいか」とつぶやいた。

 彼女はもう一度念入りに誰かがいないかをチェックしたあと、中へ引っ込んだ。


『どうだった?』

『ううん、気のせいだったみたい』


 ロエリアはこれが冗談でないことに気づく。本当に、見えていなかったのだ。

 薄くなる魔法陣に気づくと慌てて万年筆を拾い上げてその場を立ち去った。


 しばらく早足で城の中を巡った後、人気のない廊下で立ち止まり壁に背を預ける。そこでようやく自分の息が上がっていたことに気づいた。

 ――封印されたという創生神トードリナが、なぜか異邦人と話をしている?

 王子は? 周りは知っているのか?

 見つかっていたらどうなっていた?

 まるで悪い夢のようだ。だが、どうしたって夢は覚めないのでこれは現実なのだろう。

 握っていた万年筆を見る。手はじっとりと汗ばんでいた。

 いつだったか、聖女の少女が「それ見せて」と触れてきたものだ。


『……両親から頂いたものなので、雑に扱わないでくださいませ』

『大事なものなら持ち歩いていいのですか? 落としたりしません?』

『よっぽどのことがない限りはしません』

『では、発動条件はそうしときますね』


 あの時、なにをしたのか問い詰めてもへらへらと交わされてしまったが――。

 お守りのような魔法をひとつ、置いていったのだ。

 大事なものを落とすときは大抵何かが起きるときだから。


 分かりにくい優しさをもつ孤独な少女は今どこにいるのだろう。

 万年筆から魔法の残滓が失われる。


「パメラ様……」


 目を閉じて息を吐く。

 仕えるはずだった少女のために、どこまでしてやれるだろう。



「レッカミア」


 ロエリアは庭で年若いメイドに声をかけた。

 雑巾を絞っていたレッカミアはぱちくりと瞬きをする。


「は、はい。どのような用件でしょうか? メイド長」


 おどおどと彼女は上目遣いに上司を見あげる。


「怯えないで。あなたはよくやっています」

「あ、ありがとうございます」

「それで、本題に移りますが……あなたはドゥーですよね?」

「っ」


 びくりとレッカミア・ルーチの表情が強張る。

 彼女は田舎の娼婦街で生まれ、教会の戸口に置き去られた。幸運だったのは神父と修道女たちが慈悲深かったことだ。10の歳までそこで育てられ、同年代の中では優秀だったので王都の教会へ下働きとして出された。

 それから14になるころには城のスカラリィメイドとして働いている。修道女の苗字を借り受けてはいるが養子ではないので、本名としてはレッカリア・ドゥーである。ロエリアはそのあたりの情報も得ていた。


「あ、あの、えっと」

「普段ならこのような話題、出すこともありませんが……今回はドゥーであったほうが都合がいいのです」

「都合が……?」

「はい。現在の私は自由には動けません。そのため、あなたに頼みます」


 ……なんとか回避できたものの、今後も創生神と異邦人が対話しているとことにかち合ってしまう可能性がある。生きて戻ってこられるか自信がない。

 だから、託す。


「王都の図書館に通っていた頃、とんでもない問題児たちに魔法を断片ながら教わっていたことがあります。特にラマリス・ドゥーは……まあ、友人ともいえる関係でした」

「女子修道院長様と……?」

「ええ。にこりとも笑わない愛想の悪い人でしたが――ともかく。ドゥーは仲間意識が高いのだそうですね?」

「は、はい。そう、だと思います」

「ならあの堅物も話を聞いてくれるでしょう。近いうちにあなたを修道院へ使いに出します。その時、ラマリスにこうお伝えください」

「わたくしのようなものの話を聞いてくださるでしょうか……」

「もしそうであれば、あの人たちの命運も潰えたということです。あなたが責を負うことはありません」


 ロエリアは囁いた。


「『古き神の器にされたくないのなら、今すぐ逃げろ』と」

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