僧侶と託されたもの

 奴隷船が小さな港町についてから、2週間が経とうとしていた。


 僧侶ティトは陸地が見えた頃から頭を悩ませていた。

 まず船員たちの処遇と「商品」であった人々の生活の場の確保だ。

 いわゆる海賊である船員たちはどこの国でも問答無用で死刑であるが、かといってまったく無関係である閑静な町を血に濡れさせるのも憚られる。

 そこで、町の長が「この町に二度と近寄らない」ことを条件に船員たちを追い出した。連中が約束を守るとは思えないとティトは忠言したが、長曰く送り出した先は獰猛な魔獣が居座っており、襲撃はしてこないが迷い込んだら帰さない危険区域らしい。

 「商品」であった人々は半数ほどがもとの国、もしくは親族のいるところへ帰りたいと少しの滞在後に旅立っていった。もう半数――行く当てのない者や子供たちは町に残ることになった。数は25名。彼らの乗った奴隷船が小規模なものだったために人数がそこまで多くはなく、だからこそ町に受け入れてもらうことができたのだろう。


 信頼を得るために、そして残った者たちの衣食住を確保するためにティトはほうぼうを駆け回り、頭を下げ、積極的に仕事を請け負った。

 話に耳を傾けてくれる者が多かったことと、若者がほとんどおらず過疎化の進んでいた町としても歓迎すべき出来事だったため、2週間が経つ頃には生活の基盤が整っていた。

 感謝されたかったわけではない。善ポイント――彼独自の謎のポイント制度――だけのためではない。

 を待つための場所を用意したかったのだ。


 教会横の小屋で寝泊まりしているティトは、真夜中に気配を感じて目を覚ました。

 ゆっくりとベッドから抜け出しナイフを握る。強盗ならまだいい。命を狙いに来たのであれば面倒だ。

 脅しで退散してくれるなら良いが、と考えながら暗闇に目を慣らす。


「……ティトさん」


 張り詰めた声色。聞き覚えがあった。

 ドアを薄く開けて外を見ると、月明かりの下で真っ青な顔をしたケケパゥが立っている。

 実のところ、ティトは彼とあまり接していない。毎日が多忙で話す機会がなかったことと、ケケパゥがティトに対して警戒しており、ふたりきりにならないようにしていたことでマーフォークであること以外は詳しい素性も知らずにいた。

 だから夜中にわざわざ自分のところに来たケケパゥにティトは驚いている。しかし顔には出さず、優しく声をかけた。


「どうしました?」

「……妹が、ララノゥが、いなくて」

「妹さんが?」


 不安が溢れ出したのだろう、ケケパゥは喋りだした。


「いつも、妹は他の子たちと寝ていて、ボクは別の部屋にいるんですけど、夜中に一回は様子見に行ってて、さっき見たらララノゥだけがいなくて、あいつ暗闇が苦手だし、ひとりで出歩けないぐらい臆病なのに、どうしていないのか分かんなくて、」

「ケケパゥさん落ち着いて」


 興奮により擬人化の魔法が解けかけている。彼の手には鱗が浮き出ていた。

 ティトは部屋の隅に置いてある桶をちらりと見る。その中に収まっているはずのスライムが――いない。

 ……食ったか?

 一瞬よぎる考えをティトは振り払う。時々ネズミや虫を捕食しているのは見たがそれ以上は体積的に食べられないようだ。

 なにより、食うなら一番近くかつひとりで寝ているティトを襲ったほうが早い。

 先日不躾な質問をしたせいで顔にへばりつかれ息の根を止められかけたのでこれは確実である。


 ティトは少し考えたあとに前の家主が残したチョークを取り出し、床に円を描く。子供たちに貰った羽根を真ん中に置いた。


「失せもの探しの魔法を使います。ララノゥさんの持ち物はありますか?」

「え……いえ、今はなにも。取りに行きますね」

「ふむ。では、ララノゥさんとよく繋いでいる手で円に触れてください」


 よく分からないという顔でケケパゥは円の端に触れた。


「【我ガ声キコエバ応ジタマヘ。イワケナキ少女ララノゥヲトブライタマヘ。繋ガルハ人トノ手。示スヨシハ羽根使イタマヘ】」


 低い声で唱え終えるともぞりと羽根が動き、宙に浮かび上がった。

 ふわふわと外に出ていく羽根をふたりは追いかける。しばらく歩くと潮の香りが濃くなってきた。


「海に……?」

「そのようですね」


 潮騒とともに泣き声がかすかに聞こえてくる。

 ケケパゥはさっと顔色を変えて走り出した。その後ろでティトは羽根を掴み魔法を解除するとその背中についていく。

 視界が開けて――浜辺で少女が座り込んでいるのが見えた。


「ララ!」


 砂に足をとられながらケケパゥは妹のもとに駆け寄る。

 全身を使い泣きじゃくるララノゥの腕の中にはスライム……ネクタがいた。抱きしめられ為すがままだ。

 少なくとも最悪の予想は外れたようなのでティトはほっとする。


「どっちの気持ち?」


 ケケパゥはそんな問いかけをする。

 しゃくりあげながらララノゥはネクタを指さした。


「……そうなんだ。スライムが……」

「すみません、ケケパゥさん。俺には話が見えてこないのですが……」


 きょうだい感でのみ通じる事柄らしく、端から見ていても事情が飲み込めない。

 ネクタがいじめたというわけでもなさそうだ。


「ララノゥは、母方の遺伝である『感情を読み取る』ちからを色濃く継いでいるんです」

「感情を……」

「あと、遠くで強い感情を抱いてるひとがいたら会いに行こうとしたりして……。慰めたくて近寄るみたいですが、こちらはヒヤヒヤします」

「ではララノゥさんはスライムの感情を察知して泣いている、と?」

「はい。海に来たスライムの感情をキャッチしたララノゥがここまで追いかけてきた――という流れでしょう。たぶん」


 スライムに感情があるのは今更驚かなかった。

 あの聖女の連れていた魔獣だ。どんなことが起きても不思議ではない。


 ティトは海の向こう側に視線を向けた。月の光が波間に散っている。それだけの、静かな海。

 人が流れ着いたら教えてくれと頼んでいるが、今日までゼロだ。

 マーフォークに海底に引きずり込まれたのでまず浮上しているかも怪しい。


「あなたもあなたなりに彼女を案じていた、というわけですか」


 スライムに声をかけたが、当然のことながら返事は帰ってこなかった。



 ケケパゥと泣き疲れて眠ってしまったララノゥを彼らの泊まっている場所に送り届けたあとティトたちは小屋まで移動していた。

 振り向けばネクタは球体からなんか足っぽい突起を出して歩いていた。気持ち悪かったので見なかったことにする。


 潮風を感じながら船の出来事をティトは思い返していた。

 奴隷船に積まれてなおも凛とした美しさを損なわなかった少女。

 パメラと名乗った彼女は普段は呪いに支配されているが、『聖女パワー』を出したあとは一時的に自由に動けるらしい。

 その自由な時間を狙い、彼女が自ら海に落ちるのだと言いだしたときにはさすがに驚いた。


「『陸生物収集家』は私を欲しがっているそうです。銀の髪、白の服が私以外に当てはまらないので、まあ間違いはないでしょう」


 ティトにだけ聞こえる声量で囁きながらパメラはローブを彼に預けた。

 それについている、意匠が凝らされたブローチを名残惜しそうに触れる。


「ブローチは高値で売れるそうです。生活の足しにしてください」

「親切心から、ではなさそうですね?」

「察しが良いですね。条件は、あなたが守れる範囲でいいので、あの子達を守ること。お願いします」


 有無を言わせぬ圧だ。

 自分の身などどうでも良さげに、残される者たちへ最善を図ろうとしている。

 老衰とはわけが違う。自ら生贄の道を選んだのだ。

 パメラが行うことは、パメラに一切得にならない。なのに真剣に悩み、尽くそうとしている。

 ――狂っている。 

 夢中で喋る彼女の額に髪がへばりつくのを退けてやりながらティトはそんな感想を抱く。


「あと、この子も」


 瓶を押し付けられた。

 ガタガタと抵抗するように瓶が揺れるが強化魔法により割れない。


「ネクタ。スライムです」

「ほう、やはりスライムでしたか。どうすれば?」

「必ず私が迎えに来ますから、この子をお願いします」


 浅い間柄に魔獣を託すなんていよいよ狂っている。

 冗談を、と言いかけてティトは口をつぐんだ。彼女の目は揺らがず、大真面目であったので。


「……そんなに俺が信用できますか? 殺すかもしれませんし、売るかもしれませんよ」

「信用します」

「根拠は?」

「あなた、わりと押しに弱そうなので」


 土壇場で言うセリフではないだろうと苦笑いし、ティトは頷く。上辺だけのきれい事でないのが気に入った。


 パメラは船べりに立つ。気づいて止めようとするケケパゥを押しとどめながらティトは彼女をじっと見つめる。

 甲板にいる全員が彼女に顔を向けた。

 白いワンピースがたなびく。薄く唇に笑みを乗せ、手を組み、後ろへ倒れ込むようにして海へ身を投げだす。

 ためらいは、なかった。


 マーフォークの歌が止み、代わりにきゃらきゃらと笑い声が響いた。


「なんてことを……」


 呆然とつぶやくケケパゥを置いて、ティトは海を覗き込む。

 今まさにパメラ無数の手に掴まれて波の下へ引きずり込まれる最中であった。

 ティトに気づくと青い目をふっと細め、彼女は水面に沈んだ。

 嘘のように静まり返った甲板で、彼は自分の頬を叩く。ぼんやりとはしていられない。


「守れる範囲ですよ」


 呟き、両腕を大きく広げる。


「争いを止めよ! 見たか! 今、ひとつの祈りを我らは見届けた!」


 ハッタリは得意だ。

 朗々と、芝居かかった話し方も慣れている。


「今、我らのために純真なる乙女が海に身を捧げた! 船の亀裂を縫い、風を受け止め、更には贄となった!」


 気持ちよかっただろうな。ティトは頭の片隅で思う。

 国を滅ぼした占い師も、最初は仰々しく物事を口にするだけのおっさんだった。いつの間にか『王の代理人』として喋るようになったとき、さぞかし気分がよかっただろう。


「かの乙女の献身をあざ笑う者は私が切り捨てよう!」


 剣など手元には無かったが、問題はなかった。

 誰も笑わなかった。それどころかひとり、またひとりとパメラが落ちていった方向に頭を下げ始めたのだ。

 ティトは知らず流れていた汗を拭った。 


「善ポイントめっちゃ貯まった気がしますね……」



 教会横の小屋。

 桶の中に入ったネクタに水をかけながらティトは言う。


「なんかパメラさんって死ななそうですし、そのうち打ち上げられますって」


 パメラの『聖女パワー』は確実にヒトの放てる魔法量ではなかった。

 よく出血程度で済むものだ。ティトなら使った瞬間に死ぬだろう。


「待ちましょう。あなたは寿命が無いようなものですし、俺だって行くあてはありませんからいくらでも時間はあります」


 まあでも、とティトは続ける。


「この町に賭け場がないのはつらいですが……」


 

 

 

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