国王と王子
ボョシ国の王宮。
その奥、王族のみが過ごせる一室。
末の王子ダァドルゲナと、その婚約者パセラミカは神妙な面持ちで入室した。
「父上」
「ダァドルゲナか。そこに座れ、まずは祝杯だ」
希少な石を使って作られた床、その上にこれもまた高級な敷物が引かれている。
そこに寝そべり杯をあおる男がいた。
ボョシ国の国王であり、ダァドルゲナの父親である。その横でゆったりと座り微笑んでいるのが王妃である母親だ。
数ヶ月ぶりの顔合わせだ。成人して家を与えられて会う機会は減り、さらに王位継承戦前は国王に接触することができない。過去に国王がひとりの息子に肩入れをしすぎて他の息子たちを殺そうとした事件があったかららしい。
国王は身を起こし、黒檀の盃に酒を入れた。そしてそれを息子に渡す。
「ごたごたした引継ぎの儀ではないから楽な姿勢でいい。――国を守護する王に」
「ありがとうございます。――国を守護した王に」
わずかに緊張した表情をつくり、ダァドルゲナは酒を煽る。
その様子を見て国王は笑いをこぼす。
「毒など入っておらぬ」
「あ――。申し訳ありません」
「よい。警戒をするというのは悪いことではないからな」
横で王妃は木の器に酒を注ぎ入れ水で埋める。
「パセラミカさんもどうぞ。貴女なくしてこの子はここにはいられなかったでしょう」
「頂きます。ダァドルゲナ様は聡明で、あたしはなにもしていません……」
「いいえ。実のところ、王位継承戦前に逃げ出してしまう婚約者も少なくはないのよ。その強い心と愛情はとても素晴らしいと夫と話していたの」
褒められ慣れていないのかパセラミカは顔を真っ赤にさせた。
ボョシ国の王子たちは十の歳に婚約者が決められる。そこから王位継承戦を勝ち抜いて、国王となれば正式に結ばれるという決まりがあるのだ。
負けた王子の婚約者は逃げてしまうか、運命を共にして死ぬ。パセラミカも実家から何度か婚約解消をして帰って来いと言われたぐらいだ。だが突っぱねて彼女は寄り添い続けた。
蛮勇と思われた行為はのちの世で英断と呼ばれるのだろう。
「勝利を収めただけでなく、
「ありがとうございます」
「あそこまで侵入されたのは久しぶりであったな」
「今後は対策を考えます。行事があるとどうしても外からの警備が手薄になりますから」
「ああ」
ダァドルゲナは殻付きの木の実を手にとり、割るとパセラミカに渡した。
幼いころからこれが好きだったのを覚えている。彼女は王と王妃の前にいるので表情には出さないものの、いそいそと貰って食べた。
その様が芋虫に似ていてかわいらしいので以前そのまま伝えたことがあったが、めちゃくちゃに叱られた。どうしてかは未だに分からない。
「それにしても、ディオルゲナを生かしたか……」
国王から小さく吐き出された言葉にダァドルゲナの表情が引き締まる。
「本当は国に居させたかったのですが、結局は追放処分というかたちを取りました」
「聞いた。お前のムシはなにも言わなかったのか」
「はい。ジェルイシィーガには、常より王家の血を食らうことへの疑問を話しておりましたから」
「まあ話が通してあるなら良い」
「……その、怒らないのですね」
「ムシに食わせる真の目的は敗者に反逆をさせないためのものだからな。その対策ができているならどうだってかまわないと思っている」
5人の兄弟を殺した男はそう言って口端を吊り上げた。
「詰めは甘かったがな。お前も、あいつも」
「はい……」
ダァドルゲナは自分の兄の性格が悪いことを分かってはいたが、あそこまで意地汚いとは思わなかった。
パセラミカを狙ったのは彼女のムシが戦闘向きでないことと、弟の婚約者を殺すことで不満や無念もろもろを解消させるつもりだったのだろう。
だがその目論見は外れた。
「ディオルゲナのムシを小さくさせたのは客人か?」
「そうです。北の国から来た巡礼者とのことでした」
「ただの巡礼者ではあるまい。あの女が来た時から守護神様が騒いでおる」
「守護神様が?」
守護神――国を守る神のことである。名を持っているが儀式のとき以外では安易には呼んではいけない。
王は神子として守護神と唯一交信することができ、国で起きたことを報告する。そしてそれに対する信託を預かり国を動かす役割があるのだ。
「ふたりとも、守護神様が昔暴れ神だったことは学んでいるな?」
「学びました」
「はい」
「初代国王とともに守護神様を『落ち着かせた』という存在。メァルチダという気配に似ているそうだ」
「……」
確かに、あの巡礼者の少女は女神のちからを『借り受けている』と話していた。
嘘が得意ではないのか少し口ごもっていたが。
そもそも生き物を小さい姿に変えさせたり光らせる芸当を持つ者は凡人なわけないよな、と今更ながらにダァドルゲナは思った。
「ずいぶん恐れていてなあ。何しに来たのか、いつ帰るのか問いかけてきてうるさくてたまらん」
「そうだったのですか。彼女はただ森で出会って、南へ向かうというので連れてきただけです。体調が良くなさそうなのでもうしばらくは療養するかと思います」
「ダァド。あなた、婚約者がいるのだからそういう不安にさせることをするのはおやめなさい」
「すみません母上……」
国に帰ったときにパセラミカが怒り心頭だったのは、どうやらまた国外に行っていたからではなく見知らぬ少女を連れてきていたことも関係あったらしい。
横目で婚約者を見れば、彼女は唇を曲げていた。これは後で話がありますという顔だ。
「実際のところ、あれはお前の目からしてどう思った?」
「……?」
「俺なら、早いところ国から放り出したいがな。出来るだけ風を立てず、送り出したい。なぜか分かるか?」
「力が強すぎるから、ですか?」
「そうだ。たったひとりで国を離れてひとり危ない道を歩いてきたはずだ。だというのに、なぜその身体や服に一切の傷も汚れもない?」
「……」
「ときおり来る外商人はきれいな格好では来ないではないか。警護を雇っていても皆汚れておるし誰かしら傷ついている。旅慣れしている奴らでさえそうなのに、あれはどうだった?」
たった今出発したような出で立ちだった。
そういえば、とダァドルゲナは思い出す。治癒魔法を彼女は何も言わずかけてくれたが、昔読んだ本には治癒魔法は高価な香辛料と同じぐらいの価値があると書かれていた。それをやすやすと行うぐらいに技術とちからに自信があるのだろう。
「危険な人だと父上は考えているのですね?」
「まあな」
悪びれた様子もなく王は酒に口をつける。
「あの人は、善良ですよ」
「善良かつ力をもっているからこそだ。野心の一つ二つあれば俺もまだ安心できただろう。国の秘宝を渡せ、特別な地位につかせろとかな。だがあれは何を望んでいるか聞いたか?」
なにも。
パセラミカを救った時に礼をしたいと言ったのに、彼女はなにも要らないといった。ただおなかがすいたから何か食べたいとだけ。
禁欲的なのだろうか。それとも、欲がないのか――。
「覚えておけ。欲のない善良な人間ほど恐ろしいものはないぞ」
「それは、欲のある悪人も同じでは?」
「少なくとも欲は人間の進路を決める。他者から見てもある程度の予測は付く。しかし、欲がないとなれば別だ。いったいどこで燃え上がるのか分からないまま対応できず気づけば何もかもが灰にされる」
焼けた肉を削ぎ、新王に渡しながら前王は笑う。
「くれぐれもあの巡礼者に礼を欠くな。それがお前の初めての王としての仕事になる」
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