王と聖女
「ダァドォ――――!!」
早朝。まだ太陽が目を開ききらない時間に、ダァドルゲナはパセラミカに叩き起こされた。
掛け布団を剥がされ朝の寒さに震える。
「どうしたのパセ……。こんな朝からすることあったっけ……」
「巡礼者様が南の門に移動してるってシャルが言ってた!!」
「え!?」
シャルとはパセラミカのムシの名だ。
賢い個体であるが、それゆえか主以外には懐かない。ダァドルゲナにもかなり冷たい態度を取る。
昨日の夜、巡礼者の少女が自身の持ち物をまとめていたと使用人から報告があった。
おそらくは人の目を盗んで出ていくつもりだろうとパセラミカはシャルに頼んで見張りをさせていたのだ。
命の恩人なのでしばらく引き留め礼を尽くすことも考えたが、少女側にはいい迷惑となるかもしれない。せめて見送ろうとふたりは約束していたのだ。
「ほら! 鏡の前に座って!」
「いや、使用人を呼ぶから……」
「みんな昨日のお祭り騒ぎで疲れてるからすぐには起きてこないわよ」
「いいのかそれは……。じゃあ任せ――待って、その服派手すぎない?」
「なに言ってんの。王様になるんでしょ、ちょっとは見栄え良くしなさい」
テキパキと身支度をされていく。
記憶力と推察力の高いパセラミカは一人で着るには手こずる衣装をあっという間に整えた。
「よし、行きましょう。昨日用意してもらったパンはあたしが持ってきたから――」
「パセ」
ダァドルゲナは誰にも触れさせない机の鍵がついた引き出しを開ける。
光沢のある布で何かが巻かれていた。
「きみも王妃になるんだから」
開ければ赤い宝石で作られたイヤリングだった。昔、外商人から買い密かに加工してもらっていたのだ。
いつか自分についてきてくれるパセラミカにあげるつもりで。もし王になれず自分がいなくなってもこれを売れば当面は過ごせるだろうとも考えていた。
パセラミカはしばらく目をまんまるにして眺めたあと、笑いながらまなじりに浮いた涙を指先で払う。
「受け取っても?」
「もちろん」
□
南門までもう少しというところで追いついた。
ボョシ国は小さな国かつ、縦に長く横に短い。それにダァドルゲナの住まいが南門寄りに建てられていたのもあってたどり着くのにそこまで時間はかからなかっただろう。
巡礼者の少女は真っ白な服装なので良く目立つ。
歩き方はお手本と呼べるほどに完璧なまっすぐとしたものであったが、どこか違和感がある。まるで糸を括り付けた人形のようにどこかへ引っ張られていくようだ。
「パメラさん――」
巨大カブトムシ――ジェルイシィーガから下り、呼びかけると少女は立ち止まる。
ダァドルゲナたちよりも幼い顔つきの彼女は振り向いて小首を傾げた。
「もう行ってしまうんだね」
「そうにゃん」
ちなみにこの珍妙な語尾は特に自分の意志ではないらしい。
ここではない空間の意識の集合体に行動を任せた結果がこれらしい。国を追放されたときに自力で動かなくなったためにその集合体に頼らなければいけなかったのだという。正直半分も理解できなかったが、非常に不本意そうな表情で説明をしていたので乗り気ではないのだろう。
「私が出ていくとよく分かりましたにゃん」
「たぶんこっそり居なくなるんじゃないかと思ったんだ」
「お見通しでしたにゃん」
悪びれる様子もなく彼女は言う。
ふと意識を他に向けて目を戻した時には消えていそうだ。この場に自分がいなくてもいいと思っているようなそんな軽さを少女は持っていた。
「本当に、あなたには命を助けられてばかりだった。なんとお礼をしていいか……」
「最初にあなたが助けてくれたにゃん。それに、ダァドルゲナ様を本当に心配するお方がいましたから私もここまで動いただけですにゃん」
「え? それって……」
「……」
パセラミカは顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。
「あなたは今や一国の王。どうかご自身を大事にしてくださいにゃん」
「分かった」
「パセラミカ様も、ご自分を犠牲になどと考えませんように、にゃん」
「……そうするわね」
少女はぼそりと「話せる範囲が広がってるにゃん……。ちょっと緩んだにゃん?」とつぶやいたが、ふたりには何のことか分からなかった。
「そうだ。兄は然るべき処罰を受けることとなったよ。……国外追放かな。ムシを小さくされてからすっかりしょげているようだけど、次もなにかしないとは限らないからね……」
「そうにゃのですね」
「報告はそのぐらいかな。あとはなんとかやっていくよ」
日が完全に起きた。
城壁から太陽が顔を出すとあたりは一気に明るくなる。
「名残惜しいのにゃが、私はもう行くにゃん。できれば、門兵に話をつけてくださると助かるにゃん」
「そのぐらいならいくらでも。――先にこれを」
固く焼いたパンと干し肉を渡す。
心なしか瞳が輝いた気がした。人間らしさをようやく見れた気がして安堵する。
「あと、これも。森を抜けるまでは持っておいてほしい。その後は路銀にでもして旅に役立ててくれ」
ムシ避けのブローチだ。
人の手で育てられたムシたちはある程度慣れてはいるが、野生のムシは嫌がる波長を出す。
ほぼこの国周辺でしか使われていないためめったに流通しておらず、外ではかなりの高額値となると聞く。
精巧な飾りがつけられたこれは国内でも高級なものであるが、正直これだけでは足りないぐらいにダァドルゲナは感謝していた。だが荷物を増やすわけにはならない。一人旅に負担となるようなことは避けるべきだ。
「ありがとうございますにゃん。では私からも一つ」
すっと彼らのはるか後ろを指さした。
「北へ真っ直ぐ行けば村にたどり着きますにゃん。運が良ければ、にゃん」
「え?」
「なにも知らないところに放り出すよりは、少しばかり希望を持って国から出したいかと思いましたにゃん。余計なお世話ならごめんにゃん」
「……ありがとう」
追放される兄というよりは、追放する立場で考えてくれたようだ。
優しすぎるな、とダァドルゲナは思った。人を見捨てられないのだろう。自分の身は二の次で。
「ダァドルゲナ様、パセラミカ様、あなた方に幸多からんことを。女神メァルチダの祝福……は、この国の神に失礼でしたにゃんね。では私個人から」
足元から色とりどりの花が舞い上がる。視界を鮮やかに埋めたあと、空に吸い込まれて消えていった。
「すごいな……」
「ちょっとだけいいことが起きる魔法ですにゃん。おまじない程度ですが」
門兵はダァドルゲナたちを見ると慌てて立ち上がり深々と頭を下げた。これまでの扱いとはまるで大違いだ。さすがに苦笑いしてしまう。
「もし自分の国が嫌になったら来なさいね。いつでも迎え入れるから!」
さすがに言い過ぎでは、とダァドルゲナは思わなくもなかったがパセラミカの言葉に少女は微笑んだだけだった。
そもそも国へ帰れない身分であるし、どこに行くかも聞いていない。聞けなかった。
それから門を出て、一度彼らに頭を下げると少女は迷うことなく森の中へ入っていく。
王と王妃はその後ろ姿を見送った。
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