一夜明けて

「んん……っ」


 ルカは顔に日射しを感じて、目を開けた。


 窓辺で誰かが、ルカに背を向け立っている。


‘誰……?’


 その誰かが振り返ると、優しく微笑みかけてくれた。


「起きたか」


「……オルシウス」


 オルシウスはルカの元へ近づいてくると、膝を折り、息遣いが感じられるほどに顔を覗き込んでくる。


「っ!」


 その顔の近さに、ルカはびっくりしながら飛び起きた。


「よく眠れたか?」


「……ええ。すごく。多分あなたがつけていた香水のお陰だと思う」


「香水?」


「とても爽やかで甘くて……とても心地よかったの。あれはなんていう種類なの?」


「香水なんて使ってない」


「え、でも」


「今もその香りはしているか?」


「うっすらと、だけど」


「いや、やっぱり何も匂わないな」


「それじゃ、あの香りは……」


‘もしかして、オルシウスの匂い……!?’


 オルシウスに抱きしめられ、彼の胸に顔を埋めながら眠ったことを思い出し、ルカは頬を熱くしてしまう。


「……っ!」


「どうした?」


「う、ううん、何でもない。きっと何か勘違いしたんだと思う。気にしないでっ」


「? そうか」


「オルシウスこそよく眠れた? なんだか疲れてるみたいだけど……」


 オルシウスは少し気まずげな表情になったかと思うと、目を反らす。


「問題ない」


「本当に?」


 ルカは、オルシウスの左の頬に手を添えた。


 触れると、彼はかすかにぴくっと身体を反応させる。


 オルシウスの大きな手が頬を撫でるルカの手を優しく握ると、心地よさそうに目を閉じた。


 野性的な凄みと、貴族的な品のある顔立ち。


 昨夜、間近で幾度も眺めたというのに、少しも見飽きるということがないばかりか、もっと見ていたいと思う。


 と、不意にオルシウスが目を開けた。


「!」


 ルカは慌てて目を反らす。


「ところでルカ、朝は食えるか?」


「うん。お腹ぺこぺこ」


「なら、ここに運ばせて、一緒に食べよう」


「ええっ」


 しばらくすると、アニーがプレートに乗せた朝食を運んで来てくれる。


 二人でベッドに入りながら、朝食を取った。


「オルシウス、今日の予定は?」


「昼から巡回だ」


「最近、ケガレの報告はある?」


「ここのところはないが、油断はできない。ケガレはいつ来るともしれないからな」


 いつ終わるとも知れないケガレとの戦い。


 オルシウスの父はケガレとの戦いで命を散らした。


 オルシウスも戦いで傷つくこともあるだろう。


‘私が聖女であれば、支えることができるのに……’


「――俺が傷つくことを考えているのか?」


「そう……。これまでは大丈夫だったかもしれない。でも今後どうなるか分からないでしょ」


「安心しろ。つがいになったばかりの妻を置き去りにするほど、俺は柔じゃない」


‘あなたは強い。それは分かってるの。私が心配しているのは、あなたが無茶をすること。でも無茶をするななんて、あなたには無理な話よね……’


 彼は仲間が危機に陥れば、自分の危険を顧みることなく救う為にできることをするだろう。


 そんな人だから、ルカはオルシウスに惹かれたのだ。


 食事を終え、オルシウスは立ち上がった。


「名残惜しいが……部屋に戻らないとな」


「なんだかあっという間ね」


「今夜もある」


「っ! そ、そっか……うん……」


 しばしの別れを告げ、オルシウスの広い背中を見送った。


‘ギルヴァのように、私もオルシウスの役に立ちたい。とにかく私にできることをまず考えよう’


 聖女でなくても、黒き竜のつがいとして出来ることはあるはずだ。


 オルシウスの母がしたように。


 ただ戦いに赴くオルシウスを見送るだけの妻にはなりたくなかった。



 オルシウスが部屋に戻ってしばらくすると、ギルヴァが部屋を訪ねてきた。


「……なんだ?」


 ギルヴァの何かを探るような眼差しに、オルシウスは目を細めた。


「陛下、ずいぶんお疲れのようですね。はじめての夜とはいえ、ルカ様のお身体のことを考えるようにしてください」


「……分かっている」


‘昨夜は己の本能との戦いでほとんど眠れなかった、とは言えないな’


 オルシウスは身体の熱を冷ますために、冷たい水を飲み干す。


「様子を見に来ただけならさっさと出ていけ」


「ルカ様の件を調べたので、ご報告にあがりました」


 それは以前、オルシウスがギルヴァに探らせていたことだ。


 今となってはルカがどんな辛い境遇に遭ったかは知っているが、もしかしたら彼女がまだ話していないこともあるかもしれない。


 夫として知っておきたかった。


「……聞こう」


「ルカ様が過ごされていた環境ですが、母親はルカ様を産んで間もなく亡くなり、父親もルカ様が十歳の時に亡くなられました。それからは義理の母、腹違いの妹と暮らしていたようです。しかしながら適齢期を迎えても、ルカ様は社交場に参加された記録がありません」


「侯爵家の長女なのにか?」


「左様です。それどころか貴族の子弟の通う学校にさえ通ってはいなかったようです。何でも持病が悪化し通学に耐えられないからと、家庭学習をしていたようです」


‘ルカに持病? そんな話は聞いたこともないし、ここでも健康そのものだ’


 そこまでしてルカを家の中に閉じ込め、奴隷のように扱って苦しめたのか。


 どうしてそこまで執拗に、残忍になれるのか、理解できなかった。


 オルシウスは怒りで拳をきつく握りしめ、思わずグラスを手の中で粉々に砕いてしまう。


「陛下!?」


「構うな。続けろ」


「……は、はい。ここからが本題です。館の使用人は口が硬く、情報を引っ張れませんでしたが、侯爵家にかつて仕えていた使用人から話が聞けました。それによると、ルカ様は義母と腹違いの妹からひどい虐待にさらされ、奴隷のような扱いを受けていたそうにございます」


 その義母と腹違いの妹がどんな連中かは知らないが、今すぐ竜の姿になり、連中を八つ裂きにし、もう心配はないと、その亡骸をルカに見せてやりたかった。


‘いや、そんなことをしても、ルカの気持ちが晴れることはないか……’


 それはオルシウスが一番よく分かっている。


 アルズールたちを半死半生の目に遭わせても、それまで黒き竜が受け続けていた屈辱が晴れることはなく、カルロの仇を取ったとも全く思えなかった。


「以上でございます」


「分かっているだろうが、これは他言無用だ。いいな」


「……無論でございます。陛下、このようなことを私が言うのはあれですが、どうか、ルカ様を幸せにしてくださりませ」


「当然だ」


「では失礼いたします」


 ギルヴァが去り、オルシウスは一人になる。


‘夫として、俺はルカのために何が出来る……?’

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【第一部完】私、聖女といつわり竜帝に嫁ぎ、毒家族と絶縁します! 魚谷 @URYO

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