過去の出来事①(※オルシウス視点)

 半年前――。


 竜の姿のオルシウスは目の前のケガレと対峙していた。


 ギャアアアアアアアア!!


 けたたましい鳴き声と共に、赤い目を見開いたケガレがオルシウスめがけ向かってくる。


「馬鹿がッ!」


 翼をはばたかせ、ケガレと擦れ違う。


 その爪に確かな手応えを覚えると同時に、ケガレが態勢を崩す。


 抉れた身体から黒い体液を溢れさせ、ケガレは身悶えながら消滅した。


 他のケガレも、竜たちの連携に翻弄され、次々と倒されていく。


‘ケガレ憑きがいなくて助かった。今日は誰も失わずに済んだか……’


 その時、脳天気な声が聞こえてきた。


「オルシウス様! 俺、大活躍でしたよーっ!」


「おい、ここは戦場だ。気を抜くなった」


「あ、すみません……」


 飛んできたのは、白き竜のカルロ。


 一年ほど前に追放されてきた若い竜だ。


 理由は、病弱な弟が追放されるのを庇ったから。


 結果的に兄弟ともどこの森へやってきた。


 連中は不要だと判断した一族の者を、平然と斬り捨てる。


 カルロは戦いの才能があったようで、今では若い竜たちの手本になれるほどに成長していた。


 調子に乗りすぎるところが玉に瑕ではあるが。


「オルシウス様、そう怒らないでくださいよ。カルロは立派にやれてますから」


「サンザムじーさん! ありがとう!」


「じーさんじゃねえ! サンザム様と言え! 何度言ったら分かる!?」


「えー。様づけはオルシウス様だけでいいじゃん! じーさんがダメなら、おじさん! それでいいよなっ!」


「いいわけあるかぁ!」


「あはははは! 怒るなよ! 血管切れるぞーっ!」


「こんのガキぃぃぃぃぃ!!」


「サンザム、やめろ」


「でもオルシウス様ぁ……」


「命令だ。文句でもあるのか?」


「……い、いえ!」


「いひひ、怒られてやんのーっ」


「カルロ、お前は喋りすぎだ。黙れ」


「う。す、すみません……」


 オルシウスは思いっきりため息をつく。


「今日は負傷者もいなかった。お前ら、屋敷へ来い。みんなでメシを食おう」


「やった! オルシウス様、大好き!」


「抱きつくなっ」


 呆れながらもケガレとのいつ終わるとも知れない戦いの中で、カルロがムードメーカーとして活気を与えてくれていることは確かだった。


 屋敷へ戻ると、ギルヴァが迎えに出て来た。


 オルシウスは、使用人にカルロたちに食事を作るよう頼んだ。


「オルシウス様、お疲れ様でございました。首尾は?」


 ギルヴァがうやうやしく頭を下げながら聞いてくる。


「ケガレは無事に退治した。全員、無事だ」


「それは何より。カルロも来た当初より成長したようですね」


「もう少し思慮が深ければ、尚いいが……」


「そうですね」


「ギルヴァ、何がおかしい?」


 基本的に無表情のギルヴァが、口元を緩めるのは珍しい。


「オルシウス様が他の者を認めるとは珍しいと思いまして」


「俺は誰かさんとは違って、天の邪鬼じゃないんだよ」


「私は色々と考えなければいけないことがあるだけです」


「お前も書類整理ばかりではなく、戦いに出ろ。そうだ。カルロに稽古でもつけてもらえ」


「ご免被ります」


 オルシウスは笑い、食堂へ向かった。


 すでに食事が振る舞われていて、カルロたちが肉にかぶりついていた。


「食えるときに食っておけ。いつまたケガレが襲撃してくるとも限らない」


「はいはーい、オルシウス様!」


「? 何だ?」


 いきなり手を上げたカルロに、オルシウスは眉をひそめた。


 人になったカルロは赤い髪に、まだ少年と言っても通じそうな幼い顔立ちをしている。


「集落の奴が言ってたんですけど、聖女様とご結婚されるんですよね! 紹介してくださいよ!」


 その発現に、何人かの竜がゲホゲホと咽せた。


「おい、馬鹿野郎。その話はするな……!」


「えー、サンザムおじさん、なんでしちゃいけないんだよぉ。だってオルシウス様が聖女様と結婚したら、聖女様は俺たちにとっても大切な人になるだろー?」


「そりゃ……」


 サンザムがチラチラと、オルシウスを見る。


「結婚はしない」


「え! あ! もしかして食べちゃったんですか!?」


「食うか。使用人への態度がなってないから叩き出した」


 カルロは目を剥いて驚く。


「せ、聖女様を追い出したんですか!? じゃあ、結婚はどうするんですか!?」


「さあな」


「でも跡継ぎとか……」


「俺は跡継ぎのことを考えるほど老いていないし、簡単にくたばるつもりもない」


「ガハハハ! そりゃそうだ! オルシウス様は歴代最強の黒き竜だからなぁ! カルロ、お前みたいな青二才が心配するようなことじゃねえ!」


「あー! サンザムおじさん、ひどいよぉ! それ、俺が後で食べようと残しておいたやつー!」


「へん、食事の場は戦場と一緒なんだよ。少しでも油断してると、あっという間に奪われるんだ。分かったか! ワハハハハ!」


「ああ、そうかよっ!」


「うぉぉぉい! そりゃ、俺の手羽先!」


「確かに油断してると、あっという間に奪われるみたいだねっ!」


「お前ら、少しは静かに飯を食え……」


 オルシウスの言葉もむなしく、食事は大騒ぎなまま終わった。


 全員を見送り、オルシウスは屋敷へ戻ろうとしたその時、「あの……」と声をかけられて振り返ればカルロだった。


「……忘れ物をしたって言って戻ってきたんです」


「どうかしたのか?」


 カルロはさっきの食事時とは打って変わって真剣な顔をしていた。


「あの……その……」


 普段は頭に思い浮かんだことをすぐに口にするカルロが、珍しく言い淀む。


「言いたいことがあるなら、はっきり言え」


「ケガレとの戦いはいつ、終わるんですか?」


「……さあな。俺に聞くな」


「今日は誰も死にませんでした。でも先々月はリューダさんが……。子どもが産まれて、間もなかったのに……」


「俺の落ち度だ。俺が助けに入るのが、間に合っていれば……」


「違いますっ。オルシウス様のせいではありませんっ」


「いいや、黒き竜をまとめているのは俺だ。どんなことも最終的には俺が追うべき責任だ」


 仲間が死ねば、眠れなくなる。


 己の無力感に苛まれ、叫びを上げたくなるほどの狂おしさに囚われる。


「……白き竜や他の竜たちはそんな風には考えません。落ち度は下の者に、功績は自分のたちのもとにって連中だから」


「俺に、あいつらと同じところまで堕ちろとわざわざ言いにきたのか?」


「違います! すみません……俺……馬鹿だからうまく言えなくて……」


 オルシウスはカルロの頭に手を置き、撫でる。


「オルシウス様……」


「俺こそ意地の悪い言い方をした。で、何が言いたいんだ?」


「……アルズール様にお願いできませんか」


 忌まわしい名前に、オルシウスは目を細めた。


「あいつに何を願う?」


「力を貸して欲しいと。アルズール様は理知的な御方です。現実を知ればきっと、力をお貸し下さるはず。そうすれば黒き竜の犠牲はずっと減るでしょうし、もっと安全にケガレとも渡り合えると思うんですっ」


「お前の弟を役立たずと容赦なく斬り捨てた奴だぞ。それのどこが理知的だ」


「それは……確かにそうですが、でもそれはアルズール様ではなくて、竜の法のせいです。それにアルズール様は都にいて、どれほどここが過酷かをご存じないんです。知ろうとしても、周りが邪魔するでしょうし……」


 追放されたばかりの竜にはありがちな、理想だ。


 一族から爪弾きにされながらも、追放されたばかりの竜は一族とまた分かり合えると信じているのだ。


 いつか追放が解除され、再び自分たちに救いの手が伸ばされる、と。


 そんなこと、あるはずもないのに。


「下手な希望は持つな。お前の居場所はここで、お前が頼るべきは俺やサンザムだ」


「じゃあ、ずっとこのまま戦い続けるんですか?」


「そうだ。カルロ、これは黒き竜の長としての命令だ。お前と白き竜の間にはもう何もない。――早く土産を弟に届けてやれ。鹿の肝は滋養がつく」


「……分かりました」


 カルロは沈んだ表情のまま馬に跨がり、去って行く。


 その背中を眺め、オルシウスはため息をこぼす。


 突き放す言い方になったがこうするしかなかった。


 こればかりは本人が自分の中で折り合いをつけるしかないのだ。


 その一週間後。


 オルシウスは執務室で書類と向き合っていたが、先程から一切ペンを動かせず、連なる文字も頭に入らなかった。


 昨日のケガレとの戦いで、勇敢な戦士が一人、その命を散らした。


 オルシウスが黒き竜を率いるようになってから、二十人の戦士を見送った。


 どれほど経験したとしても、馴れるということがない。


‘俺はどうしてこうも無力なんだ……。歴代最強の黒き竜? 仲間も守れもしないこの俺が……!’


 へし折った羽根ペンを怒りに任せて、床にたたきつけた。


「クソ……」


 その時、ギルヴァが入って来た。


「……入っていいとは言っていないぞ」


「申し訳ありません。緊急でしたので」


「ケガレが出たか」


「いいえ。サンザムからカルロが昨夜から戻らないと報告がありました。ついては探索の手伝いをお願いしたい、と」


「すぐ行くっ」


 オルシウスは立ち上がった。

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