妻候補
オルシウスはルカたちより一足早く館に戻り、自室にいた。
‘あの女、他の聖女どもとは違って、俺の竜の姿を目の当たりにしてもやかましく叫んだり、腰を抜かしたり、おぞましいだのなんだのとほざかなかったな……’
何のためらいもなく手の平にのり、空を飛んだ時も初めて見る景色なのだと声を詰まらせていた。
‘妹の代わりに黒き竜に嫁ごうというくらいだから、ただの変わり者か、それとも重度の鈍感さの持ち主か、恐怖心をまぎらわせようと虚勢を張っているだけなのか……’
何にせよ、試すことに変わりはない。
過去の十人の聖女たちのようにいつ逃げ出すか、それともオルシウスによって追放させられるか。
そこまでオルシウスが考えていると、扉がノックされた。
「ギルヴァでございます」
「入れ」
「失礼いたします」
あいかわらずの仏頂面のギルヴァが部屋に入ってくる。
「あの女、部屋を見た時はどういう反応だった?」
「ルカ様は戸惑っておいででした」
ギルヴァには屋敷の中で一番狭い部屋に案内するよう命じていた。
「だろうな。沼地での様子は?」
「少し驚いてはいらっしゃいましたが、落ち着いているように見えました」
「音を上げそうか?」
「さあ、そこまでは……。しかし音を上げられては困ります。私として無事に結婚まで漕ぎ着け、子どもをもうけて頂きたいと切に祈っているのですから」
「これくらい耐えてもらわないとな。おい、そう睨むな」
「睨んでおりません。これが私の素の表情です。しかし感心はいたしません。まるでこれでは追い返すために、わざといびっているようです……」
「最初の聖女は万全の準備を整えて出迎えたのに使用人どもに横柄な態度を取った。あまつさえ癇癪を爆発させて罵倒した。二番目の聖女はそもそもこんな陰鬱な場所では暮らせない、気持ち悪いと嘆き、涙を浮かべてどうか帰らせてくれと土下座までした……まだ続けるか?」
「……いいえ」
「聖女は温室育ちで苦労も知らずにただ漫然と生きてきたような連中だ。気位が高いだけで中身のない女とつがいになるつもりはない。有害な聖女とつがいになれば、領民に不利益が生じる」
「オルシウス様の仰りたいこと、よく分かります。しかし試練ばかりでは……」
「これくらいで音を上げるようでは俺の妻はつとまらん。結婚した後に問題が起こればそれこそ、面倒なことになる。これは互いの為だ」
「……はっ」
「用件はそれだけか?」
「いいえ。沼地の件です。やはり去年よりも土地への侵食が広がっております」
「……そうか」
それはここ何百年の間、この領地が抱える問題だ。
毒の沼地が土地を少しずつ侵食し、民のすまう集落が避難せざるをえないことが多くなっていた。
この地はかつて、ケガレの討伐に功績のあった黒き竜の先祖が恩賞として貰い受けたのだ。
最初この森に沼などなく、もっと美しかった。
しかし沼がいつからか湧くようになってから、その美しさは急速に陰っていく。
沼は有害だ。
触れれば竜の肉体といえども汚染され、最悪、切断を余儀なくされる。
どうにか堰を築くことで沼の広がりを押さえようとしているが、うまくいっていない。
根本的な解決方法は聖女の癒やしの力を使うこと。
それも並大抵の聖女ではダメだ。
それほどに沼の毒性は強い。
しかし黒き竜とつがいになる歴代の聖女たちは皆、オルシウスの母を含め、沼の毒を浄化するほどの力を持っていなかった。
強き力を持つ聖女の血統はすべて、他の竜たちへ優先的に回され、黒き竜の元へは決して来ることがなかったからだ。
ギルヴァがオルシウスに早期の婚姻を勧めるのは、この土地の問題解決のためでもあった。
竜帝となった今なら優れた血統の聖女を妻にできる。
だが沼の問題の解決を優先する余り、領民への愛情も、弱き者への優しさも持たない聖女と結婚しても、待っているのは破綻しかない。
そもそも、これだけの毒沼だ。
浄化を行う聖女にも相応の負担がのしかかる。
黒き竜に嫁ぐことを家名の恥だと、己の身にふりかかった災難であると思いこむような聖女が本気で浄化できるとも思えなかった。
「……陛下が竜帝になった今、帝都にある宮殿に移るというのが、現状取れる選択肢の中で比較的まともではありますが……」
ギルヴァの言葉に、オルシウスの形のいい眉が震える。
「あんな穢らわしい場所に棲むつもりなどない。黒き竜の故郷はここだ。たとえどれほど過酷な環境であったとしても父祖の血がここには染みこんでいる。あんな何もせずのうのうと生きるだけの連中が築いた場所になど……!」
「申し訳ありません。失言をいたしました」
「……お前の言うことは分かる。だがそれは最終手段にしたい。領民も、父祖の地から離れたくない者がほとんどだ」
「……となればやはり、オルシウス様がルカ様とつがいになって頂くのが最良かと」
「全てはあいつ次第だ」
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