結婚式前日

屋敷全体が活気づいていた。


 使用人たちはいつも以上に忙しなく行き交い、普段は外界との交流のほとんどない屋敷にはひっきりなしに荷物が届く。


 全て竜帝であるオルシウスへの祝いの品である。


 結婚式まであと一週間を控えていた。


「こちらでございます」


 職人が完成したドレスを見せてくれる。


 生地から糸にいたるまで厳選されたものである。


 まるで王女がまとうような純白のドレス。


 袖や襟元にはレースをあしらい、スカートには生地をたっぷり使って豊かなフリルで飾り立てていた。


 ルカの好みで全体的にスマートなシルエットになるよう、いくつもの試作品が作られた末の完成品。


 ルカはもちろん結婚式の日にしか着ないのだからと試作品なんて作らなくてもいいと言ったが、「お前は竜帝の花嫁だ。中途半端な品ではダメだ」とオルシウスに言われたのだ。


‘……一着のドレスを作るのが、こんなにも大変だなんて’


 ドレス馴れしていないルカは目が回りそうで、ようやく完成品に漕ぎ着けた時にはこれで試着地獄から解放されると、こっそり小躍りしたものだ。


 ドレスに袖を通し、姿見の前に立つ。


「どうでしょうか」


 さまざまな角度から自分の姿を見て、ルカは鏡の前に立つのが本当に自分なのかと疑いたくなってしまう。


 それくらいドレスの出来映えは素晴らしかった。


‘ドレス負けしないようにしなくちゃ’


「おお、なんと神々しい! ドレスも喜んでおりますよっ!」


 職人が揉み手で褒めそやす。


「……素晴らしい出来映えね。ありがとうございます」


「いえいえ」


 他にも職人は、ルカが喜びそうな褒め言葉を述べるが、ほとんど耳に入ってこない。


 ルカの関心事はたったひとつ。


‘オルシウス様はこのドレスをまとった私を、気に入ってくださるのかしら……’


 本当ならこのままオルシウスの元へ行ってドレスを見て欲しかった。


 しかし結婚当日まではドレス姿の花嫁が花婿の前に出るのは良くないというジンクスがあるらしいから、我慢。


 それからウェディングドレスの試着にとどまらず、小物の試着も終え、どうにか人心地がつく。


「ふぅ……」


 いつものドレスに戻ると、気疲れして思わずため息がこぼれてしまう。


「お疲れ様でございます」


 アニーが淹れてくれた紅茶のかぐわしさが、疲労した身体に優しく染みる。


「アニーたちの前でもこれだけ疲れてしまうのだから列席する方々の前に立ったらどうなってしまうのかちょっと心配だわ……」


‘……オルシウス様ができるかぎりこぢんまりとした式に、と仰ってくれて良かった……’


 本来、竜帝の結婚式であれば大勢の招待客を呼んで盛大に催すらしいが、ルカが義母と腹違いの妹から受けた仕打ちを知ったオルシウスが「祝ってくれるのは領民だけでいい」と言ってくれたお陰で、最低限の招待客だけの式になったのだ。


 ただオルシウスがギルヴァからしつこく言われたらしく、結婚式には白き竜、赤き竜、青き竜の代表が列席するらしいけど。


「ルカ様は全て陛下にお任せになればよろしいのです。ルカ様は陛下のことだけを考えてください」


「アニー、まるであなたが結婚しそうなくらい嬉しそうね」


「はい、結婚式ですから! たとえ自分のものでなくとも、お祝い事は胸が弾みます! それがルカ様と陛下の結婚であれば、尚更に!」


 アニーは頬を染め、うっとりとした表情で呟いた。


「そういうものなのね」


「ついにあの陛下がご結婚されるなんて! それも相手はルカ様のような素敵な御方! 私、ルカ様にお仕えできてとても光栄ですっ!」


「そう言ってくれて、私も嬉しい。あなたの主人として恥ずかしくないよう頑張るわね」


 そうしてあっという間に結婚式前日を迎える。


 ルカはその日、オルシウスと朝食を取っていた。


「オルシウス様、今日は都より他の竜の方々がいらっしゃるのですよね」


 白き竜、赤き竜、青き竜の代表たちは、屋敷に併設された仮設の宿に泊まる予定になっている。


「そうだ。本当は呼びたくもなかったが……」


 オルシウスはちらりとギルヴァを見た。


「こいつが呼べとうるさいからな」


「当然です。竜帝の臣下としてケジメはつけさせるべきです」


「では、お出迎えを……」


「お前は俺の隣にいればそれでいい。一言も口をきかず、黙っていろ」


「あ、分かりました……」


 ルカは目を伏せ頷くと、オルシウスは小さく咳払いをした。


「……勘違いするな。奴らははっきり言ってクズ中のクズだ。あいつらは言葉を交わす価値もない。もちろん話したいことがあれば、無理にとは言わないが」


「分かりました」


 食事を終えてしばらくして部屋で休んでいると、ノックの音がした。


「はい?」


「俺だ。入ってもいいか?」


「オルシウス様! もちろんです!」


 ルカは立ち上がって出迎えた。


「使者が間もなく到着する。行こう」


「かしこまりました」


「……その言い方はそろそろ直せ」


「は、はい? 言い方?」


「その他人行儀な物言いだ。夫婦になるんだから」


「……わ、分かったわ。オルシウス様」


「様もいらない。呼び捨てだ」


「お、オルシウス……」


「ぎこちないが、いいだろう」


 オルシウスは口元をほころばせる。


「っ!」


‘そんないきなり微笑むなんて……ずるいわ’


 オルシウスが差し出す右腕に、ルカはそっと手を置いた。


 屋敷を出たルカたちは、仮設の宿泊所へ向かった。


 仮設と言っても造りはしっかりしているし、調度品は小物の類いにいたるまでギルヴァの手配で一流の品々で統一されている。


「お付きになりました」


 ギルヴァが知らせてからすぐ、それぞれ白、赤、青を基調とした豪奢な馬車が建物前の車止めに停まると、中から着飾った男女が下りてくる。


「久しいな、グラハム」


「竜帝陛下、ご機嫌麗しく……」


 グラハムと呼ばれた壮年の男は片膝を折り、最上級の礼を示す。


 隣の夫人も深々とお辞儀をする。


 グラハムはちらりと、ルカを見やる。


「そちらが?」


「明日、正式に俺の伴侶となる、ルカだ」


「ルカでございます」


「シェリル様の姉君でございますな」


「っ!」


 久しぶりに耳にする腹違いの妹の名に、身が竦んでしまう。


「……そ、そうです」


 飲み込もうとした唾はまるで小石のように固く、声が震えた。


「……シェリル、あぁ、俺に嫁ぐはずだった女か。アルズールの許嫁だったな」


「今もアルズール様の許嫁のままでございます」


「そうか」


「つきましては、シェリル様から祝いの品を預かっております。姉君に直接渡して欲しいと」


「……あ、ありがとうございます」


 差し出された木箱を受け取る。


 正直、シェリルのことで頭がいっぱいで、それから自分がどんな表情と言葉で、赤き竜、青き竜の使者たちを出迎えたのかほとんど覚えていなかった。


 出迎えが終わり、ルカはオルシウスと一緒に屋敷へ戻る。


「ルカ、その箱を渡せ。処分する。お前をいじめ抜いた奴がまともな品を寄越してくるはずがない。お前も、忘れたいだろう」


 ルカは少し逡巡した饐えに、首を横に振った。


「私なら平気。あなたがそばにいてくれるから……」


「だが」


「では、二人で見ましょ」


 このまま中身も見ずに処分するのは、まるでシェリルに怯えているみたいで嫌だった。


‘……確かにシェリルのことを考えるのは、今も怖い。でもこのまま避け続けたら、もっと弱くなってしまいそうだから……’


 箱を開ければ、収められていたのは青と赤の一組の美しいクリスタルのグラス。


‘あの陰険極まりないシェリルがこんなものを……?’


 赤いグラス取り出し、日射しにかざす。


「……っ」


 その光の屈折具合と手に取った時の質感で、それが偽物だとすぐに分かった。


 クリスタルに似せてカッティングしただけの、ただのガラス。


 赤いグラスだけではない。


 青いグラスも偽物だった。


「偽物のグラス、か……」


「きっと一つは、私が偽の聖女だということを皮肉ったものだと思います」


「なら、もう一つのグラスは俺のことだろう。竜帝の地位を簒奪した、偽物とでも言いたいのかもな。お前の妹はアルズールの婚約者だと言うから。……気分は?」


「大丈夫」


 それは決して強がりではない。


 オルシウスがいてくれるお陰で、不思議なくらい落ち着いている。


 そんな自分にびっくりしてしまう。


 オルシウスに出会う前のルカであればこれだけで動揺し、落ち込んでいたかもしれない。


 ルカはグラスを箱に戻す。


「粉々に砕いて送り返すか?」


「それはさすがに……。シェリルは人格が破綻してるけど、このグラスに罪はないし……使うわ」


「お前もなかなかいい根性してるな」


 オルシウスは面白がるように微笑んだ。


「ありがとっ」

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