白々として、やわらかな春の日射しが庭に差し込む。


 それはルカの子どもの頃の情景。


 まだ義母も腹違いの妹もいない、世界が明るく優しく、自分は愛されていると実感していた頃の記憶の断片。


 庭で、ルカの父のウスタフはテーブルセットで紅茶を飲みながら新聞を読んでいる。


 庭は子どもの頃のルカにとって絶好の遊び場。


 綺麗に手入れのされた生け垣の周りをチョウが飛び回り、庭には黄色いミモザ、青いハナニラ、淡く繊細なピンク色のサクラが咲き誇っている。


 のんびりとした昼下がり。


 子どものルカは、庭の探険に余念がない。


 そんなルカが日陰で見つけたのは、ぐったりとして動かなくなった鳩。


 普通ならルカが近づいただけで飛び立ってしまうのに。


 当時のルカには死の概念がまだ理解できなかった。


 ぐったりした鳩を両手で大切に抱え、父の元へ走る。


 ルカにとって父は何でもしてくれる、叶えてくれる人だったから。


「パパ! この子を治して。動かないの!」


 舌足らずに呼びかけると、少し困ったような顔をした父は新聞を畳んでテーブルに置くと、ルカと目線を合わせるようにしゃがんだ。


「その子はもう動かないんだよ。どんな生き物にも、そういう時がくるんだ。その鳩はもう治して上げられないんだ」


「……ママ、みたいに?」


 娘の純粋な言葉に、父ははっとした表情になり、それから寂しそうな眼差しのまま小さく頷く。


「そう、ママのようにね……。だからゆっくり休ませてあげなければいけないんだ。分かるね?」


 聞き分けのいい娘を慰めるようにウスタフは、ルカの頭を優しく撫でる。


「そう、なんだ……」


 それでも生き返って欲しい、とルカは願わずにはいられなかった。


 瞬間、身体が温かくなった。


 その時、「ルカ……何を……」と父が声を漏らす。


 その声は細かく震えていた。


「パパ?」


 ルカは小首を傾げ、父を見る。


 あの時、父の表情の意味なんて分からなかった。


 でも大人になった今なら、あれが驚きと恐怖が混ざり合ったものだと分かる。


 メイドが叫び、誰かがティーポッドを倒す。


 バサバサ、とけたたましい羽音が、幼いルカの耳をつんざいた。


 瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。


 春の日射しは消え去り、美しい花々もなくなった。


 唐突な場面転換。


「ぱ、パパ! 痛い……!」


 ルカは必死に声をあげていた。


 しかし父は無言でルカの腕を引っ張り、半ば引きずられるようにして歩かされた。


 そのあとを慌ててついてくる使用人たちが、必死の形相で父へ訴えかけている。


 何を言っているのだろう。


 その会話は痛みに気を取られているルカの耳には届かない。


 分かるのは、普段は誰の言葉にも耳を傾けて熟考する父がこの時ばかりは、何もかも無視しているということだけ。


 そこは屋敷の地下通路。


 それまでルカが一度も行ったことのない場所。


 綺麗な絵もかけられていないし、美しい花がいけられてもいない。


 壁に取り付けられたカンテラの頼りない明かりが、赤い煉瓦敷きの天井や壁、床を闇の中から辛うじて浮かび上がらせているに過ぎなかった。


 ルカが引きずられた先にあったのは、鉄製の立派な扉。


 覗き口だけがあるだけのシンプルなデザイン。


 屋敷にあるような植物や果物の彫り物がされているような洒落た扉とは、ぜんぜん趣が違う。


 父がポケットから鍵を取り出し、カギ穴に差しこんで解錠し、扉を開ける。


 ギィィと不気味な音をたてながら開いた扉の向こうには、何もかも飲み込んでしまえそうなほど深い暗闇が広がっていた。


「やだやだぁ!」


 父が何をしようとしているのか、いくら幼いルカにも分かり、父の足にしがみついて、「パパ、いやぁ!」と泣き叫ぶ。


 しかし父は娘がどれほど泣き叫ぼうとも無視した。


 そして自分の足に抱きつくルカを強引に引き剥がしたかと思うと、真っ暗な部屋の中に突き飛ばす。


 ルカはよろけながら、部屋に入らされた。


 さらに使用人たちが父に何かを訴えかけ、誰かがルカを救い出そうと駆け寄るが、父がその使用人を殴り付けた。


 父の手が鉄製の扉の取っ手にかかる。


「パパぁぁぁぁぁぁ……!!」


 辛うじて廊下から差し込んでいた頼りない明かりがどんどん先細っていく。


 そしてズシンという扉の閉まる音とともに、何もかもが暗闇に塗り潰された。

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