秘密を明かす夜①

 次の日の朝、ルカの目覚めは最悪だった。


‘結局、言えなかった……’


 オルシウスが好きだ。


 好きだからこそ、偽の聖女だと告白しなければいけないはずなのに、オルシウスから突き放されるのが怖かくて勇気が出なかった。


‘私の中でオルシウス様の存在がどんどん大きくなっていく……’


 だからこそ、余計に苦しい。


 好きだからこそ言わなければいけないという気持ちと、好きだからこそ失いたくないという気持ちが、胸の奥でせめぎ合う。


 そこにノックの音がした。


「は、はい」


「私でございます」


「……アニ、入って来て」


「おはようございます、ルカ様」


「おはよう、アニー」


 アニーが用意してくれた洗面器のお湯で顔を洗い、いつものように部屋の外でアニーには待ってもらい、一人で身支度を調える。


 服をちゃんと着てから、アニーには部屋に入ってもらった。


「ルカ様、陛下より今日から別の部屋に移るよう申し使っております。これよりご案内いたします」


「別の部屋? でも私はこの部屋で十分よ……」


「陛下よりの御下命でございます。どうか」


「……分かったわ」


 荷物はあとでメイドが運んでくれると言うので、ルカは母の形見の入った宝箱だけを手に移動する。


 途中、廊下で擦れ違うメイドたちからは口々に「おめでとうございます」と声をかけられた。


「……おめでとうって、何かあったの?」


「きっと陛下とルカ様のご結婚が近いことを言っているんだと思います。――私からもおめでとうを言わせてくださいませ、ルカ様」


「あ、ありがとう……」


 聖女の件が胸のつかえとなっているルカは、ぎこちない笑顔を浮かべるしかなかった。


 アニーはある部屋の前で立ち止まると、扉を開けた。


「こちらでございます」


「嘘……」


 部屋に入ると、ルカはその綺麗さと広さに思わずため息をこぼしてしまう。


 窓が大きく取られて解放感があり、前の部屋にはなかったバルコニーまであった。


 調度品もまるで昨日今日仕上げられたばかりのように、ピカピカ。


 絨毯も厚みがあって、気を付けなければ足を取られてしまいそう。


「……でもベッドは? どこで寝るの?」


「こちらは応接室でございます。隣が寝室になっていますので、お休みの際はそちらをお使い下さい」


 アニーが隣の部屋の扉を開けてくれる。


 まるで童話に出てくる王女様が使うような天蓋付きのベッドがどん、と存在感を放っていた。


「……すごい」


 ルカはベッドに腰かけると、その手触りを楽しむようにふっくらとした布団や、精緻な彫り物のほどこされた支柱を撫でる。


「……本当に、今日からここが私の部屋?」


「左様でございます」


‘ひ、広すぎて落ち着かない……!’


 これまで使ってきた部屋のほうが、屋敷であてがわれていた屋根裏部屋に近かったから落ち着けた。


 この部屋は広さの割に調度品の数が少ないせいか、実際以上に広さを感じてしまう。


‘今日からここが私の部屋……。早く馴れないと’


 そして今日という日はあっという間に過ぎていく。


 手持ちぶさたに本を眺めていたが、意識はとっくに夜のことしか考えられなかった。


 ――部屋で待っていてくれ。迎えに行く。


 その夜、ルカはバルコニーで夜空を眺めて時間を潰す。


 今日はいつよりもずっとたくさんの星を見られた。


 その時、ルカの耳は羽ばたきの音を聞いた。


‘この音……’


 それは耳馴染みのある音。


「待たせたか?」


「!」


 舞い降りたのは、竜の翼を生やしたオルシウス。


 しかしその姿は竜ではなく、人の姿だ。


「オルシウス様、そのお姿は……」


「竜の姿になれば皆を起こしてしまうからな。さ、行くぞ」


 オルシウスが差し伸べてくれる手を、ルカはためらうことなく掴んだ。


 大きな手がしっかりと、ルカの手を包み込んでくれる。


 ルカはオルシウスの腕に抱かれながら、空を飛んでいた。


「……お、重たくありませんか」


「軽すぎる。もっと食え」


 オルシウスの引き締まった身体を意識すると、顔から火が出てしまいそうなくらい頬が熱を帯び、モジモジしてしまう。


「これからどちらへ?」


「戦士たちの元へ」


「戦士……? ――あぁ!」


 思わず感嘆の声が口を突いて出た。


 濃紺の夜空に砂金を撒いたような無数の星々が、視界いっぱいに広がる。


 手を伸ばせば掴めそうなほどだ。


 それだけではない。


 長く尾を曳いた星が地平線に向かって落ちていくのを見た。


「流れ星……」


 一つや二つできかない。


 無数の流れ星が夜空を渡っていたのだ。


 ルカを抱いたままのオルシウスは、ルカが流れ星を見られるようにゆっくりと飛び続けてくれる。


「新しい部屋は気に入ったか?」


「はい。私にはもったいないくらい素敵な部屋です」


「足りないものがあればアニーに言え」


「ありがとうございます」


「――見えてきた。あれだ」


 オルシウスが指さした先は、小高い丘。


 その丘には、無数の石が置かれている。


‘……何かの遺跡?’


 舞い上がった時と同じよう、ゆっくり着地したオルシウスはルカをそっと地面へ下ろしてくれた。


「気分は?」


「オルシウス様が慎重に飛んで下さったお陰で、大丈夫です」


 ルカはそばにあった石を見る。


 そこには名前と年代が刻まれていた。


 問題はその年代。


 今から数百年も前だ。


「これは……お墓……?」


「そうだ。戦士たち……ケガレと戦い命を落とした者たちの、な」


「これ全部、ですか?」


 この丘の上に数百基の墓石がある。


 その墓石の中、真新しいものが二つあることに気付いた。


 まだ風雨にさらされこともなく、苔むしても、ひび割れてもおらず、そして鮮やかな花が供えられている。


「これは……先日のケガレとの戦いで?」


 オルシウスは頷く。


「勇敢に戦い、その使命を全うしてくれた。俺たち竜族の世界でこの流星群の日は特別なんだ。地上をさまよう戦士の魂があの長く尾を曳く流星を目印に、現世を離れ、黄泉の世界へ旅立つと言われている……」


「オルシウス様。竜族……いえ、黒き竜について教えてくださいっ」


 何も知らないままオルシウスの妻にはなれない、なってはいけない。


「そのつもりでここへ連れて来た。俺とつがいになるということはただ妻になるということだけじゃない。お前もまた黒き竜の一部になる、ということだからな」


 ルカはしっかりとオルシウスを見すえ、頷く。


 黒き竜は世間で言われているように穢れてなどいない。


 それをルカはあのケガレ憑きとの戦いの中でしっかりと見た。


 彼らは家族の為、仲間の為、命をかけ、勇敢に戦っていた。


「――黒き竜は元々、この世界に存在していなかった」


「え……?」


 オルシウスの言葉を、ルカは理解できなかった。

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