食事を共に

「アニー、ど、どうかしら」


「素敵でございます!」


 アニーがぱあっと輝くような笑顔で頷いてくれる。


「ありがとう」


 今袖を通している細身のシルエットの青いドレスは、ギルヴァが屋敷から取りに行ってくれた衣装の中にあった。


 奴隷同然の生活を送っていたルカにドレスなどあるはずもない。


 きっと侯爵家出身の聖女として恥をかかせないよう、急いで仕立てさせたものなのだろう。


 胸元や腰回りなど少しサイズの合わない部分もあったけど、それでもドレスの美しさにうっとりしてしまう。


‘まるで童話に出てくるお姫様みたい……’


 髪もゆるく巻き、ドレスの青さに合うよう真珠のアクセサリーを身につける。


「絶対、陛下も喜んでくださりますよ!」


「そうだと嬉しいわ……」


 少しでもオルシウスのことを考えるだけで、鼓動が早くなった。


「でも少し胸元が出過ぎじゃない? はしたないと思われないかしら」


「それくらい平気でございます。それに陛下と、ルカ様はご夫婦になられるのですから」


「……そうね」


 ルカは机に歩み寄ると、宝箱を開け、ネックレスを取り出す。


「これをつけてくれる?」


「かしこまりました。こちらのアクセサリーはとても繊細なデザインで、綺麗ですね」


「母が身につけていたものなの」


 アニーがネックレスをつけてくれる。


 位置を調節し、「これでいかがですか?」と聞かれる。


「いいわ。うん、ありがとう」


 その時、ノックの音がした。


「はい」


 アニーが代わりに応じると、メイドが部屋に入ってくる。


「ルカ様、陛下がお戻りになられました」


「分かったわ」


 ルカは深呼吸を何度か繰り返すと部屋を出て、玄関広間でオルシウスを出迎える。


 オルシウスと眼が合う。


「おかえりなさいませ、オルシウス様」


 ルカは深々と頭を下げた。


 使用人たちもそれに合わせて、頭を垂れた。


「……いつもと雰囲気が違うな」


「ドレスがよくお似合いですよ、ルカ様。ですよね、陛下」


 ギルヴァが囁くように言う。


「……そうだな」


「巡回はいかがでしたか?」


「実りあるものだった」


「それは良かったです」


「夕飯を共にするんだったな。湯浴みをして着替えてから行く。食堂で待っていてくれ」


「はい」


 オルシウスはギルヴァとともに階段を上がっていく。


「……喜んで下さったかしら」


 いつもと同じむっつり顔だったけど。


「もちろんでございます。こー、目元の当たりが優しげでしたから」


「そうなのね」


‘オルシウス様の表情の変化に気づけないなんて、まだまだだわ……’


「でも、あまり目を合わせてくれなかったけれど」


「ルカ様があまりに綺麗で、目を合わせにくかったに違いありません」


‘そうだと嬉しいわ’


「ルカ様、ともかく支度を」


「そ、そうね」


 ルカが準備を終えて食堂で待っていると、着替えてきたオルシウスがギルヴァを従えて、入ってくる。


‘オルシウス様、気付いてくれるかしら’


 ルカは立ち上がってオルシウスを迎えつつ、上目遣いに様子を窺う。


 自分の席へつく直前、オルシウスがテーブルに置かれた花に目を留めた。


 その表情がかすかに動く。


 今度はルカにもはっきり分かった。


「リュウゲツカ……? 今は春先だぞ」


 オルシウスが花びらにそっと触れる。


「……これは」


「はい、布で作った造花でございます。本物があれば良かったのですが、リュウゲツカが咲くのは秋だということですので」


「お前が作ったのか?」


「はい。リュウゲツカの絵を参考に」


「そうか」


「!」


 ルカは胸を突かれてはっとした。


 オルシウスは目を細め、優しげな笑みをかすかに口の端にのぼらせてくれたのだ。


 それはたった一瞬で、すぐにいつもの仏頂面に戻ってしまったけれど、刹那の間でも喜ぶ姿を見られて、それだけでルカは胸がいっぱいになってしまう。


「お前は、自分で机を直したのもそうだが、手先が器用なんだな。この折り重なった花びらのひだの部分など見事だ。まるで本物のようだ」


「ありがとうございますっ!」


「だが、ここまでしてくれるとは、今日は何かの記念日か?」


「いいえ。これは私からの感謝の印でございます」


「感謝?」


「私の看病を、オルシウス様がしてくださったことへの」


「あれは……」


「分かっています。礼には及ばない、と仰せなんですよね。ですけれど、私は……あの……」


 恥ずかしさに頬や首筋、耳が熱くなる。


「つ、妻となる身として……されてばかりは、受け取るばかりなのは、嫌だったのです……っ。私からも何かをして差し上げたくって……」


「そうか。それでお前の気が晴れるのなら、ありがたく受け取ろう」


「はいっ」


「それに、造花なら一年中、咲き続けて枯れることがない。生き物の宿命とはいえ、みずみずしい花びらが萎れるのを見るのは辛いからな。――カグナ」


 オルシウスはそばにいたメイドを呼ぶ。


「夕食が終わったら、これを俺の部屋へ運んでおいてくれ」


「かしこまりました」


 オルシウスは席に着く。


 それを見届け、ルカも座った。


「それじゃあ、食事だな……」


 メイドが運んでくる料理を見た瞬間、オルシウスは呆気にとられた顔をする。


 いくつもの大皿に盛られたスクランブルエッグが、オルシウスの目の前へ並べられていったのだ。


「おい、まさかこれ」


「は、はい……。私が作ったものでございます。あ、もちろん全部召し上がって頂かなくて結構です。私ももちろん頂きますので」


「そうしてくれ……。これはさすがに……多すぎる」


「ですよね。でもオルシウス様がどの程度の焼き加減がお好きなのか分からなかったので、半熟からじっくり焼いたものまで作らせて頂きました。お好きなものをどうぞ」


「なら半熟をもらおう。おい、ギルヴァ、笑ってないでお前も食え」


「余ったら頂きましょう」


「そうしろ。――ルカ」


「はい」


「気持ちは嬉しいが、作りすぎだ。次からは常識的な範囲に量を調節してくれ」


「分かりました」


 その場に控えていたメイドたちから「くすくす」と笑いがこぼれた。


 皿に取り分けたスクランブルエッグを、オルシウスは口にする。


「いかがですか?」


「……うまい」


「ありがとうございます。オルシウス様は、どうしてスクランブルエッグがお好きなんですか? なにか想い出がおありなのでしょうか?」


「母の味、という奴だ。俺の母は子どもの目から見てもとんでもない不器用な人で、俺の誕生日や記念日には必ず手料理をふるまってくれたんだが、どれもこれも焦げて苦かったり、調味料を間違えていたりと、かなり独創的な味付けだったりと、大変な目に遭い続けたんだ」


「そ、それは……」


「そんな母がまともに作れた唯一の料理、それがスクランブルエッグだ。よく分からないものを食べさせられることに辟易していた俺は、スクランブルエッグが好物だと言ったんだ。それ以来、母は特別な日にスクランブルエッグを作ってくれるようになった。それも、山盛りにな」


 ルカは「くすっ」と笑う。


「オルシウス様はとてもお優しい方ですね」


「自分の身を守っただけだ」


「では、本当は何がお好きなのですか?」


「忘れた。スクランブルエッグが好物だと繰り返していたら、本当に好物になったからな。お前の好きなものは?」


「……私は、クッキーです」


 悲しい話だが、屋敷で猫なで声を出すローザンとシェリルを前に貪るように食べたクッキーの味が忘れられなかった。


「侯爵の生まれにしては庶民的なものが好きなんだな」


「そうですね。ふふ」


「ん?」


「あ、すみません。私ったら……」


「別に怒った訳じゃない。ただなぜ笑ったのかと思っただけだ」


「……こうして何気ない会話を、オルシウス様とできて、幸せだなと思ったんです」


 オルシウスは何と反応していいのか分からない様子だったが、咳払いをして口早に言う。


「ほら、さっさと食え。せっかくの料理が冷めるぞ」


 この屋敷ではじめてかもしれない和やかな雰囲気の中、夕食の時間を過ごせたルカは幸せを噛みしめた。


 そして食事を終えて食堂から部屋へ戻る途中、ギルヴァに声をかけられる。


「ルカ様、オルシウス様がお部屋でお会いしたいとのことでございます」


「オルシウス様が……ありがとう、ギルヴァ」


「部屋の前までご案内を?」


「お願い」


 ギルヴァに、部屋の前まで連れてこられる。


 オルシウスは一足先に食事を終えて、部屋へ戻っていた。


‘オルシウス様のお部屋に入るのは、初めて……’


 緊張で心臓がドキドキする。


「ルカ様、そのように緊張されずとも大丈夫ですから」


「ええ……」


 かすかに汗ばんだ手で扉をノックする。


「ルカです」


「入れ」


「失礼いたします」


 ルカは部屋に足を踏み入れ、後ろ手で扉を閉めた。


 オルシウスは机で書き物をしていた。


「突然呼んで悪かったな」


「いいえ」


 ルカははしたないと思いつつ、オルシウスの部屋を見回す。


 部屋の一面を占領している書棚にぎっしり収められた書籍の数々はオルシウスの知性を、もう一方の壁を飾る鞘に収められた剣や盾、槍、そのほか名前の知らない武器の数々はオルシウスの剛毅さを示しているようだった。


 そして窓際に置かれた、食堂から運び込まれた造花のリュウゲツカの入った花瓶。


「つまらん部屋だろう」


「! い、いえ。そのようなことは……。すみません。ジロジロと見るなんて不作法な真似を……」


「構わない。もっと近くへ来い」


「は、はい」


「俺が怖いか?」


「いいえ、そんな……」


「だが緊張しているようだ。食堂にいた時のほうがリラックスして見えたぞ。二人きりは、嫌か?」


「違います!」


 ルカは大きな声で否定する。


 それからはっとして、声を抑えた。


「……初めて、オルシウス様が部屋に入れてくださったので緊張しているんです……」


「そうか」


 オルシウスは席を立つと、近づいてくる。


 怜悧な光をたたえる暗紫色の双眸が、ルカの胸元に伸びる。


「……胸元が、出過ぎでしょうか」


「ん? いや、そうじゃない。そのペンダント……。初めて見ると思ってな」


「これは、母の形見なんです」


「もしかして、あの机に置かれた箱に入っていた?」


「そうです」


「……美しいな」


「お母様は私を産んで間もなく亡くなってしまわれたから肖像画でしか顔は分からないんです。でも父から母の話をたくさん聞きました。頭が良くて、気品があって、そして優しかったと。なにより、このネックレスがとてもよく似合う女性だったそうなんです。私も母のような女性になりたい、このネックレスに相応しい女性でありたい。そう思って……」


「そうだったのか」


「つけてはみましたが、まだまだ母には及ばないと思うんですけど」


 ルカは照れ隠しに、「あはは」と笑った。


「そんなことはない」


「え……?」


「俺には、お前が頭が良く、気品もあり、優しい女性だと思える」


「……あ、ありがとう、ございます……っ」


 そんなストレートに褒められ、ルカはどう反応していいか分からず、俯いてしまう。


「それで来て貰った理由だが、明日の夜、大切な話がある」


「……今ではいけないのですか?」


「明日だ。だから、部屋で待っていてくれ。迎えに行く」


「どちらへ行かれるのですか?」


「明日になれば分かる。だから今日はよく休んでおけ。用件はそれだけだ」


 しかしルカはすぐには去らなかった。


‘二人きり……。私が偽の聖女だって言うのなら、今がその時なのかも……’


「どうかしたか?」


「……オルシウス様」


「ん?」


「あの……」


 その時、リュウゲツカを見た時にみせてくれたオルシウスの笑顔、そして今しがた形見のネックレスを美しいと言ってくれた彼の優しさが頭を過ぎる。


 真実を告げ、オルシウスの顔が失望に変わることを想像すると心が竦んでしまう。


 いつまでも隠しておけることではないのに。


「大丈夫か。顔が青いぞ。体調でも悪いのか?」


「いいえ、平気です。し、失礼いたします……っ」


 ルカは頭を下げ、逃げるように部屋を飛び出す。


‘言えない……。オルシウス様を失いたくない……っ’

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る