救援②
伝令からの知らせを受けたオルシウスは、竜の姿となって飛ぶ。
集落を守ろうと竜たちが戦う姿が見えた。
速度はそのままに、オルシウスは高度を下げる。
「全員、離れろ! 俺がやるッ!」
雷鳴のごときオルシウスの哮りに、竜たちは一斉にケガレから離れる。
黒き竜は他の竜たちと違い、魔法は使えない。
その代わり、他の竜にはない強靱な飛翔力と頑健な肉体を持っている。
「消え去れええええええええっ!」
ケガレを爪で引き裂く。
オオオオオオオオオ……。
ケガレはたちまちその身体を塵に変え、消滅する。
さらにもう一体。
ギルヴァが必死に抑え込んでいたケガレも同じように、爪で斬り裂く。
「ギルヴァ、お前は戦は不得手だろ! あまり無茶をするな!」
「陛下……ルカ様が!」
「あいつに何かあったのか!?」
「ルカ様を乗せた馬はケガレの出現に驚いて暴走し、ケガレ憑きのいるほうへ……」
「なんだと!?」
オルシウスはすぐに舞い上がる。
それに他の竜たちが続こうとするのを、オルシウスは止めた。
「俺ひとりで十分だ! お前らは集落を守れ! ギルヴァ、俺が戻るまで集落の指揮を任せるッ!」
満身創痍な彼らを連れて行くわけにはいかない。
オルシウスは馬が去ったという方向めがけ飛ぶ。
‘ケガレ憑きまで出るなんて……!’
ケガレ憑きとは、ケガレに寄生され、怪物化した生き物のことだ。
対象は野生動物だったり、時には人間や竜にまで寄生する。
寄生された生き物は凶暴化し、ケガレを無尽蔵に生み出す揺りかごにされてしまう。
いくらケガレを殺しても、このケガレ憑きそのものを倒さなければ根絶できないのだ。
‘ルカ!’
身を灼くような焦燥が全身に広がっていく。
これまで聖女相手に感じたことがない感情に、無性に苛立った。
無論、ルカへの苛立ちではない。
ケガレが現れる可能性を一切考えず、ルカを試すなどという児戯めいたことをしてしまった己に対する嫌悪感だ。
‘いた! あれかっ!’
半ば腐敗した、小山のような大きさのイノシシ。
その身体から無数の黒い手が伸びている。
「化け物、俺を見ろッ!」
イノシシは振り返らない代わりに無数の黒い手が、オルシウスめがけ伸びる。
しかしその手がオルシウスを捉えることは叶わない。
オルシウスがその爪牙で、黒い手をズタズタにしたからだ。
肉迫したオルシウスはイノシシの巨体に向かって体当たりを食らわせる。
ブヒャアアアアアア……。
イノシシが鳴き、横倒しになる。
立ち上がろうと藻掻くが、そんな暇は与えない。
オルシウスはイノシシを踏みつけると、半ば腐敗した身体に右手をねじこみ、ケガレの核を引き抜く。
それはまるで宝石のようなきらめきを放ち、魅入られそうになるほどの魔性を秘める。
「これで終わりだッ」
力を込め、核を打ち砕く。
核が粉々に砕けると同時に、イノシシの身体から陽炎のようにたちこめていた黒い瘴気が消え去り、イノシシの肉体はたちまちドロドロに溶けて骨だけになった。
しかし勝利への高揚感などオルシウスは一瞬のうちに頭から追い出し、ルカを探す。
「ルカ!!」
半ば沼に沈んだルカの身体を、泥から抱き上げた。
「起きろ、おいっ! 目を覚ませッ!」
呼びかけるが、泥にまみれた身体に力はなく、細い腕は垂れたまま。
息は辛うじてあるようだが、弱々しい。
‘沼地の毒を浄化しなければ!’
オルシウスはルカのガラス細工のように細い身体をしっかりとその腕の中に収めると、翼を大きくはばたかせて舞い上がり、屋敷を目指して飛ぶ。
屋敷の敷地に降り立つと、異変を察知した使用人たちが飛び出してくる。
オルシウスは人の姿に戻った。
「ルカ様!」
オルシウスの腕の中にあるルカの姿に、アニーが悲鳴じみた声を上げて駆け寄った。
「陛下、何があったのですかっ!?」
「ルカがケガレに襲われ、毒沼に浸かった。どれだけの間、浸かっていたかは分からない」
「すぐに薬湯の準備をいたします……っ」
「頼むっ」
「陛下も治療を。身体に泥が……」
「これくらい何でもない」
屋敷へ入り、二階のルカの部屋へ向かう。
すぐにアニーから「薬湯の準備が整いました」と報告があった。
‘悪く思うな、緊急事態だ’
オルシウスは泥を吸って身体に張り付いているルカの服を破り、裸にする。
「……っ」
オルシウスは瞬間、小さく息を飲んだ。
「ルカ様……!」
アニーもまた、ルカの身体を前に口を手で覆う。
ルカの肌には傷や痣が無数に刻まれていたのだ。
‘ケガレの仕業……ではないな。ケガレに襲われたなら、この程度で済むはずがない。それに治りかけの傷もある。これは昔につけられた傷か……?’
そこまで考え、オルシウスは今は余計なことを考えるなと自分に言い聞かせて頭を振った。
「アニー、このことは他言無用だ」
「しょ、承知いたします……」
浴室に連れて行くと、えぐみのある匂いをたたえた緑色の薬湯がバスタブを満たしていた。
ルカの身体を薬湯へひたしていく。
目や口、鼻だけは湯に浸からぬよう気を付けつつ、泥と接していた部分をすべて薬湯に沈ませる。
今のところ泥の毒を浄化するには、この薬湯を使うしかなかったが、これも万能ではない。
すでに毒に冒された部位はどうしようもない。
あくまでこの薬湯は毒の発現を抑える効果しかない。
ルカの鮮やかな蜜色の髪が薬湯の中で広がり、静かに揺らぐ。
「陛下、あとは私にお任せ下さい……」
「いや、俺がやる。いくらルカが軽いと言っても、女の力では大変だろう。俺がやったほうが合理的だ」
「……はい」
鮮やかな緑色をしていた薬湯が、徐々に黒く濁っていく。
「その程度でよろしいかと」
「よし。タオルをくれ」
片腕で力ないままのルカの身体を支え、その美しく、しかしその美しさが今はただ痛々しく見えてしまっている裸身を、アニーから受け取ったタオルで優しく包み込む。
そしてベッドへ寝かせ、胸元までしっかりと布団をかける。
オルシウスは椅子を引っ張り出し、座る。
「それで、どれくらいで薬湯の効果が出たと分かる?」
「それは程度によりけりなので……。ルカ様のお体が黒く変色しなければ抑えられたということになりますが、毒沼に浸かっていた状態では……」
「……一部の切断は免れない、か」
「……はい。ですが、切断は命を守るためで」
「分かっている。……二人きりにしてくれ」
「かしこまりました」
「すまん」
アニーが部屋を出ていく。
オルシウスは、かすかにためらいつつ、両手を組んだ。
それは今は亡き母が教えてくれた祈りの形。
――オルシウス。お願いがあったらね、こうして手を組んで、叶うようにと神様にお祈りをするのよ。そうしたら神様はきっと叶えて下さるから……。
しかしどれだけの時間、どれだけの日数祈っても、病に倒れた母を助けられなかった。
それ以来、祈るなど馬鹿げたことだとしたことはなかった。
祈りなど意味がない。
そんなものは気休めにすらならない。
そう思っていても。
オルシウスはしっかりと手を組み、手に額を押し当てて祈る。
‘許してくれ、とは言えないな……。だがルカ、お前がどんな状態になったとしても、俺がそのあとのことは全て引き受ける……。だから死ぬな……’
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