ケガレ

 ルカたちは梯子を下り、騎乗した男に駆け寄った。


 男は半ば転がり落ちるように下馬する。


「ヒル、ケガレだと! 本当か!?」


 ヒルと呼ばれた男は青白い表情で頷く。


「あ、ああ……獲物を捕まえたんだが、そいつがケガレ憑きだったんだ……」


「他の者は!?」


「ケガレと戦ってる。俺は、救援を呼ぶために……」


‘ケガレ……’


 知識ではもちろん知っている。


 それがすぐそばにいるという事実に、ルカは息を飲んだ。


「タリムは無事なの!」


 その時、悲鳴にも似た声が響く。


 梯子を下りて来た女性が掴みかからんばかの勢いでヒルと呼ばれた男に迫った。


「おい、やめろ。ラハ!」


 それをサンザムが慌てて羽交い締めにして、引き離す。


「離して、サンザム! タリムがはじめての猟で、ヒルたちについていったのよおおおおっ……!!」


 サンザムは、錯乱しているラハと呼んだ女性を別の村人にたくす。


「ヒル、タリムは無事か?」


「わ、わからん……。突然の襲撃でそれどころじゃなかった……」


「くそ! おい、動ける奴は付いて来い!」


 サンザムが声を上げた。


 ギルヴァは連れて来た部下へすぐに指令を下す。


「お前は陛下へ伝令! 他の者たちは屋敷へ戻り、兵を連れてくるんだ!」


「はっ!」


 ギルヴァの命で、護衛として従っていた二人の兵士が馬をとばし、別々の方角へ去って行く。


「ルカ様はすみやかに屋敷へお戻りください」


「村の方々が危険な目に遭うかも知れないのに!?」


「あなたにもしものことがあれば、陛下に顔向けできません。どうか、ルカ様はお屋敷へお戻りくださいっ」


 サンザムもギルヴァに賛同するように頷く。


「そうです、ルカ様。あなたにもしものことがあれば、俺たちが陛下に殺されてしまいます。陛下の妻になるんでしょ。そのためにはまず生きていなければ!」


「……分かりました」


 自分だけが逃げることへ抵抗はあった。


 しかしルカがここにいたからといって、出来ることは何もない。


 それどころか足を引っ張ってしまう。


「……分かりました」


 ギルヴァの手を借り、馬にまたがる。


「ルカ様、参りましょう」


 ギルヴァも馬にまたがり、馬腹を蹴った。


「ケガレだ! こっちにくるぞっ!」


 頭上から声が響く。


「えっ!?」


 振り返ると、真っ黒いものが集落に向かって来る。


 その真っ黒い何かは球状の胴体から虫のように長い両手両足を生やし、二つの赤い目をらんらんと輝かせる。


 昆虫と爬虫類の合いの子のような、生理的嫌悪をもよおすような姿に全身の鳥肌が立った。


‘あ、あれが……ケガレ……!’


 ケガレに触れれば、まるで生気を吸い取られでもしたかのように木々はたちまち枯れ、横倒しになって沼に沈んだ。


「くそ! ヒルを追いかけてきやがったのか! いくぞ、みんな! 女子どもは家ん中にこもっていろ!」


 サンザムをはじめ、男たちが次々とその姿を竜に変えた。


  ルカが驚いたのは、その竜の色だ。


 ほとんどの竜は黒かったものの、中には白き竜、青き竜、赤き竜、と他の竜族も混ざっていたのだ。


‘どうして他の竜が、黒き竜の中にいるの!?'


 竜たちは全員が傷つき、中には満足に飛べていない者もいた。


 それでもケガレへと勇敢に立ち向かい、集落への侵攻を食い止める。


白き竜、青き竜、赤き竜たちは魔法を展開し、そして黒き竜は肉弾戦でケガレの進行を食い止めるのだ。


「ルカ様、我々も急ぎましょう!」


「え、ええ……」


 しかし馬を進めようとしたその時、木々が倒れる音が徐々に近づいてくることに気付く。


‘まさか……!’


 本能的な恐怖に、ルカの全身の鳥肌が立った。


 今まさにルカたちが馬を進めようとしていた方角から、ケガレがこちらに向かって突っ込んできていた。


 ギルヴァは馬から飛び降りると、その姿を黒い竜へと変えた。


「ルカ様、ここは私にお任せを! あなただけでもお逃げ下さいっ!」


 しかしルカがしがみついていた馬がケガレの出現に驚き、「ヒヒーン!!」とけたたましくいなないて竿立ちになったかと思えば、突然、走り出したのだ。


「っ!?」


 予想外の行動に、轡をつかんでいた兵が跳ね飛ばされる。


 馬の制御などできないルカは、ただしがみつくしかない。


 馬は半狂乱で森の中を突き進んだ。


‘待って……こっちの方角は……!’


 今馬が向かっているのは、ヒルがやってきた方向。


 ということは、この先には――。


「っ!!」


 そこでは巨大なイノシシが暴れ回り、木々を薙ぎ倒していた。


 小山のように大きいイノシシだが、問題はその大きさだけではない。


 身体の半ばが腐敗し、骨や筋組織が剥き出しになり、その傷口からは黒い腕が無数に生え、自分の周りを飛び回る竜たちを捕まえようと蠢いていたのだ。


 竜たちはイノシシの周囲を飛び、果敢にイノシシに向かうのだが、劣勢なのは明らかだ。


 ヒヒイィィィィィン……!!


 その時、ルカの視界が大きく揺れた。


‘え……?’


 ルカの小柄な身体は馬から振り落とされ、背中から地面に落ちてしまう。


「……!」


 一瞬、呼吸ができなくなり激しく咳き込みながらもどうにか身体を起こし、馬の行方を探す。


 馬は毒沼に足を取られて横倒しになり、その身体の半ばが沼に浸かっていた。


「大丈夫、今助けてあげるから……!」


 ルカは沼に入り、轡を握って馬を引っ張り出そうとするが、非力な力では馬の巨体はびくともしなかった。


 そうこうしているうちに馬の身体はどんどん沼に沈んでいく。


 それだけではない。


 沼に触れていた馬の身体がどんどん黒く変色していた。


 ルカのがんばりも虚しく馬の身体はたちまち、沼に飲み込まれてしまう。


「ご、ごめんなさい……」


 己の無力感にうちひしがれ、ルカは沼から上がり、荒い息遣いを繰り返す。


‘とにかくあの化け物イノシシから逃げないと……!’


 そばにあった木にすがり付くように立ち上がり、足を動かそうとする。


 と、目の端に何かが映り込んだ気がして、ルカは目をそちらへ向けた。


 木立の裏で頭を抱えた少年がブルブルと震えていた。


「あ、あなた」


「……っ」


 少年がルカの声に、顔を上げた。


 ルカはイノシシに見つからないよう身を低くして、少年のもとへ駆け寄った。


「あなた、もしかしてタリム?」


「……どうして俺の名前……」


「あなたのお母さんが、心配してるの。私と一緒に逃げましょ。立てる?」


「う、うん……」


「急ぐわよっ」


 ルカはタリムの手を取り、元来た道を戻ろうとする。


 瞬間、地響きが襲い、ルカたちはよろめく。


 何が起こったのと周囲を見れば、イノシシと戦っていた赤き竜が今しがた、黒い手で地面に叩きつけられたところだった。


 これでイノシシの障害になるような竜は全部、倒されてしまった。


 そして赤黒い光を帯びたイノシシの目が、ルカたちを捉える。


「っ!」


‘この子を助けないと!’


 ルカは、タリムを突き飛ばす。


「あなたは逃げて!」


 呆然とするタリムに、ルカは怒鳴る。


「早くしなさいっ! 逃げるの!」


「っ!」


 タリムは弾かれるように起き上がったかと思えば、一目散に駆け出す。


 イノシシがタリムへ注意を向けた。


‘あの子を追いかけさせない!’


 ルカはそばにあった石を拾い上げ、イノシシめがけ投げつける。


 石は鼻面に当たったが、もちろんそんなものがきくはずもない。


 しかしイノシシの注意が、ルカに向く。


 ブヒャアアアアアアアア!


 イノシシが甲高く鳴き、その身体から生えた無数の黒い手が蠢く。


「怪物! 捕まえられるものなら、捕まえてみせなさいっ!」


 ルカは駆け出す。


 イノシシが逃がすまいと追ってきた。


 ルカは必死に走る。


 明らかにイノシシのほうが走る速度が勝っていた。


 しかしその分、小回りが利かない。


 Uターンする時にどうして大回りしなければならないようだった。


‘小回りが利かない分、そこを狙って逃げれば!’


 足を取られそうな沼を避け、陸地を選びながら、ルカはめちゃくちゃに走った。


‘苦しい……っ’


 息が切れ、胸が燃えるように熱くなり、痛みが走る。


 だが足を止めるという選択肢はない。


 少しでも動きを止めれば、その途端、イノシシの餌食になってしまう。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 オルシウスがきっと来てくれる。


 それまで持って欲しい、とルカは祈るような気持ちで動き続ける。


 だが、次の瞬間、踏み出した右足がすべり、足首まで沼にはまってしまう。


 ルカの身体がぐらりと大きく傾ぎ、仰向けの格好で全身が沼に浸かった。


 藻掻けば藻掻くほど、身体は重みによって沼に沈んでいく。


「だ、め……っ!」


 イノシシが悠然と近づき、沼に沈んでいくルカを見下ろす。


 ブヒャアアアアアアアア!


 まるで沈みゆくルカをあざ笑うように巨大イノシシが鳴いたかと思えば、身体から伸びている無数の黒い手が、ルカに向かって伸びる。


「……っ!!」 

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